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写真付きで日記や趣味を書く日々を過ごしながら・・・

退院しました。

2025年05月19日 | 日記
しばらくご無沙汰していました。腰椎2ヶ所の骨折のため入院していましたが、リハビリの甲斐あってやっと退院することが出来ホッとしている今日この頃です。まだ完全ではないので体を曲げることはできません。体の柔軟性には自信があった私ですが、固いコルセットに縛られて歩くのがやっとです。
gooブログが終了との事焦っています。年寄りの私にはなくてはならないブログですので現在迷っております。
4月9日朝ベットから降りた瞬間体を動かすことが出来なくなり、救急車で運ばれたのです。パジャマのままの状態です.前夜何となく予感があり玄関のカギはかけず、バックに保健書など詰め込んでスマホを手元に置いたのが幸運でした。この予感は説明がつかない事です。何かありそうと感じるだけです。自宅のドアや窓などを壊さずに警備の方達が入ってこられてよかったです。
初めの2週間は上を向いたまま体を動かしことも出来ず食べることも大変でした。そこでご飯あを一口サイズに握ってもらい口に放り込んでもらい食べました
       
この握りはリハビリ状態の時なのでだいぶ大きくなっていますがもっと小さいサイズでした。全部食べないと動けなくなると言われて私のためにわざわざ握ってくれる料理人のためにも残すわけにはいきません。そのおかげで普通より早く退院できたのだと思います。紙おむつも初めての経験でした。トイレにも行かれなくておむつの中におしっこは出なくて苦労しました。泣きながら出しましたが、部屋の中にはいろいろな人が居て「早く来て!」「助けてください!」と叫ぶ人あり朝早くから歌う人あり高齢者の集まりでいずれ我が身と思う次第でした。
       
入院中の窓から見える風景ですが、リハビリ病院に移ってからの風景でこの頃は外を見る位の動きは出来ました。あの森の道を歩きたい一心で頑張りました。初めて係の人とリハビリで歩いた時は嬉しくて第一声はありがとうの言葉しか出ませんでした。歩けることの喜び幸せを感じました。
今まで歩けること走る事食べることを当然と思っていたのにすべてが有難い事と思うようになりました。生かされている身だとつくづく感じました。
まだ思うようには歩けませんが、毎日少しずつ施設の周りを一周し次回は2週と増やしています。昨日は初めてPちゃんと電話でお話が出来て何となく日常に戻った感覚になりました。ブログは有り難いです。
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高次脳機能検査終了する(3月12日)

2025年03月12日 | 日記
午後2時からリハビリ会場の横にある小部屋に案内され1時間30分位検査が続いた。なんと一番大切な老眼鏡を忘れてしまい細かい文章は読みにくく眼鏡なしで検査がはじまる。今日の結果は21日に脳外科の医師のもとに届き私は結果を知ることが出来るのである。そもそも大切な検査に老眼鏡を忘れることがもうマイナスだと思う。色々な種類の検査をしたまず係の方の言葉を別のテストをした後で思い出して言うのである記憶のテスト。言葉は例えば「たばことライター」「空と星空」「葬式とお墓」・・・・もう忘れて書けないよこんな感じで十数個の記憶テストをする、。次は数字テストと図案を書く問題・短い物語を読ませてその中に書かれているアイウエオの字を探して罰点を付け内容を覚えておいて後で質問をされる。非常に細かい質問を・・・
字を探すのに夢中になり物語りは二の次 いつもの認知症の検査とは全然違った
色彩感覚テストあり、A4の白い紙を使って係の人の言うとおりに折り紙をする。
何をする時もすべて時間を図りながら2分以内で終わらせる。2分ではできない事もあるが私はこういう検査は好きな方である。短くていいので文章を書いてくださいと言われた時はブログを書き慣れれいるので意外と楽だった。自分の心境を一筆記す
結果は出てのお楽しみというところ齢相応と言われれば御の字である。ボケていたらボケの世界に入ろう、いろいろのせかいをみたい。
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連絡あり

2025年03月04日 | 日記
一日が長く感じられた今日だった。スマホを目の前に置いて待っていた。頭の中はいろいろに想像して439爺の胸の内を考えていた。緊張しているだろうか嫌な思いをしているだろうかマイナス思考になってしまうが夕飯後に連絡あり・・・思いのほか明るい声にホッとする。環境が思っていたより良い所だよ。と一声が入る
「食事はどう?」とまず聞く「そちらよりいいかも 美味しかった」それに一番気に入ったのは館内が清潔である事だそうである。10人ぐらいのグループで食事をしてテレビを見たり話をして自由に自室に戻り自分の好きな事が出来るので静かに本を読んでいるとの事…たくさん聞きたい事はあるが、スマホの充電を忘れたので長話は出来ないと言われる。でもあの声が嬉しかった。どんなにさみしい思いをしているか誰も知らないところに置かれた思いをしているのではないかと心配だったがいつもの声より元気だった。まだ一日目だから分からないが無理して私を心配させないように明るく話しているのかなぁ~なんて思ってしまう。でも一番は自分の居る場所が息子の家のすぐ近くだという事が爺の胸の内にあるようだ。明るい声で「15分位で直ぐ近くらしいよ係の人が教えてくれた」と言う。歩いてか車でかは聞かなかったが近くだということが嬉しかったようだ。
うれしかったので爺の様子を息子たちに全て話して伝えた。まずはひと安心する、私もすぐそちらに行くかも・・・たぶん


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準備完了する

2025年03月03日 | 日記
昨日今日と明日ショートスティに出かける439さんの準備が終了した。荷物はまるで海外旅行をするような感じの量になってしまった。最初は最低限に小荷物だったが、爺はそれでは気が済まないのか自分が必要と思ったものを小出しにし始めて結局小引っ越し並みになってしまった.うがい薬2種類手洗い洗剤中ビン・顔そりだけでもひとケース(誰の顔をそるのよ?)と言っても必要だとしか言わないホコリ取りのコロコロ 兎に角神経質なので自分の必要と思うものはすべてまとめて荷造りする。大きなものと言えば座布団二枚を重ねて縛った足枕(足のむくみを直すため)自分用の物でないと駄目だと言う。薬だけでもひと荷物大きな旅行鞄に特大ゴミ袋に足枕を入れて荷物は4個となる。それに歩行用の押し車だ、施設の人たちはビックリするだろう。彼自身を安心させるためには必要ではあるが受ける側は困るだろうが個室だから他人に迷惑は掛からないかもしれない。
準備は完了したが夜8時ごろ私の部屋にきて2泊3日とはどういうことか聞きに来た図を書いて説明するが4,5,6と行くのだから3泊だと言う2回泊まるのは分かるがどうしても3泊だと思い込んでしまっていて理解してくれない。
「大丈夫だよあなたは全部書類を出しているからみんな分かっているから心配しなくていいのよ」というが納得できない様子「大丈夫よ私がいるから心配しないで…」と彼の部屋まで送っていったがあの彼がこんなにも変わってしまった姿を目の前にして胸が痛む。彼は物事がキチンと分からなくてどんなに苦しい事だろうと思うと明日は笑顔で送ってあげようと自分に言い聞かせている。
認知症とはなぜこんな病があるのだろうこの病を恨むが私もいつかは病む事だろうその時きっと彼の本当の虚しさが分かる時がくるだろう。優しくなりたいが私の言葉はいつもきつ過ぎる。反省はするが直らない困った人間じゃ
明日送る時だけは優しいオナゴになってくれと言い聞かせているが????
優しさが欲しい やさしくなりたい!のになれない私がいる。
自分に反省を始めたのが遅すぎた。ずっと我儘で自分勝手で強がりで負けず嫌いで仕事をしている時も一匹狼タイプで群れない自分が居たと思う、ただ取り得は健康なだけ元気さだけだった。この取り得は親のお陰である。
  
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1月13日面会に行く

2025年01月13日 | 日記

正月帰宅時に挨拶に行った親友が留守で合えず、旅行中とばかり思っていたが先日連絡があり驚いた。入院中であるとの電話あり

詳しい事がまだ分からないとの事なので兎に角面会に行ったが、その日は面会は身内だけで知り合いは断られた。この時期なので病院での診察さえままならない時なので仕方ない…電話するとMRIの検査はしたが病名はまだ分からないので歩けるようになったら待合室で合おうとなったが、心配で待ちきれないので今日午後また出かけた。「身内同様の親友なので病室に入れなくともいいので会せてください」と受付に話すと「では病室から離れた部屋で待っていてください」という事になり車椅子にのってKさんが来てくれた。思いのほか元気な顔にほっとした。脊髄の第4第5に神経が?でよく理解できなかったが首の手術をするため別の病院に移動することになったと言う。その病院は有名なだけに日にちがまだ決まらないと言う。Kさんの言うには朝起きたら足も手も動かなくて家族総出で連れ出されて病院に来たらすぐ入院になったという。手仕事仲間で店を持って一人で頑張っていた仲間である。

K「でも私もう一回(以前階段から落ちて腰をやられて入院した経験あり)元気になって仕事をしたいの大丈夫よね」と言う彼女に私「あなたはいつも元気でないと私は困るのよ、だっていつもあなたから元気をもらっていたのだから…」大丈夫よと手を握りしめる病院移動の時娘さんが仕事で都合がつかなかったら私が付き添うから心配しないで連絡してねと約束して帰ってきた。

来週いつになるか分からないが心配だ、病院に居る限り悪く悪化することはないだろうが首の手術が心配 どうか何事もなく以前の明るい元気なKさんで戻ってきて欲しいと祈るのみである。こんなことがあるのですね 正月早々入院して手術なんて考えられない事に胸が痛くつらいです。私の辛い時悲しい時苦しい時いつもKさんのお店に行って励まされて元気をもらっていたのに‥‥私は自分の誕生日を忘れていたのに去年の私の誕生日(10月27日)に栗ご飯を炊いて待っていてくれたKさんでした、ブログに書いたと思う。姉のような妹のような大切な人なのです。私より若いのだから大丈夫よ。 

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