読書の記録

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嵐が丘

2010年07月05日 | 小説・文芸
嵐が丘(ネタばれのようなネタばれでないような・・)

著:エミリー・ブロンテ 訳:鴻巣友季子

 この物語、道具立てを説明すると以下のようになる。

 時代は200年ほど前のイギリス。それもロンドン市内ではなくて人里離れた荒野が舞台である。この荒野には2棟の古い屋敷があり、この2つの屋敷は4キロほど離れている。
 かつてこの2つの屋敷にはそれぞれに裕福な家族が住んでいた。仮に彼らをX家とY家と呼ぶことにする(X家が住んでいた屋敷をX館、Y家が住んでいた屋敷をY館とする)。「人里離れた荒野」であるから、当然下界との交渉は絶っている。この状況をまず頭に入れておいて欲しい。これからお伝えする事件は、この2つの屋敷にまつわるものである。どちらも少なからずの名声と資産がある名家であった。

 どうだろうか。「風すさぶ荒野に立つ2つの名家の館」というこのシチュエーション。何か起こらないほうが不思議である。

 ここで起きる事件というのがハンパじゃない。いわば嵐吹きすさぶ絶海の荒野での惨劇。闇夜を彷徨する若い女性の幽霊、謎めいた館の主人、そして、かつて2つの名家に起こった不可解極まる連続変死事件…

  あらためて考えてみると、横溝正史ばりのオカルト話でもある。もしくは推理小説プロットのパターンのひとつである「雪山の山荘」タイプともいえる。

 だいたいこの物語、主要登場人物8人(物語の「聞き手」の作者と、語り手の「家政婦」を除く)のうち、最終的に6人が死に至り、そのほとんどが衰弱死と片付けられる。古来、衰弱死と言えば日々食事や薬を毒に入れ替える毒殺と相場が決まっている。いったい犯人はだれなのか。
 そしてもう一つのカギは20年荒野をさまようというくだんの幽霊。純文学では「幽霊」は「幽霊」として機能するが、本格推理ではそうはいかない。幽霊の正体みたり枯尾花、必ずトリックがあると考えたほうがよいだろう。本格推理で幽霊が出てきた場合は誰かが誰かを脅すために化けていると見るのが自然である。
 そうすると、この幽霊を仕掛けた人と、連続殺人鬼の関係はどうなるのか?
 いったいこの惨劇は誰が何のためにしかけたものなのか?
 家政婦は何を見たのか?

 ・・というわけで、英文学史上孤高の傑作と誉れ高い「嵐が丘」。映画や舞台でもお馴染で、女性を中心にファンも多い。誰に感情移入するもよいし、恋愛小説、サスペンス、復讐譚、寓話、成長物語、福音など様々な読み方が可能なことが人気の秘訣である。しかも時空間の配列や語り手のあり方といった技法の点でも工夫満載で言わば超絶技巧小説、つまり研究者好みともいえる。 鴻巣訳では、かつての大仰さが消え、感情の大爆発になっている。

 ちなみに僕が通っていた中学校では、夏休み読書感想文の課題図書のひとつとしてこれがあがっていた。いったい何を考えているのか。誉れ高い古典文学だしセックス描写がないので(これも「嵐が丘」の謎の一つとされる)安心して課題図書にしたのかもしれないが、これで中学生に感想を書かせるのはいくらなんでも無茶であろう。






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