梅棹忠夫氏逝去
番外である。
梅棹忠夫氏が90歳で天寿を全うした。
十分な長生きだということはわかっていても、自分で意外なほどに喪失感がある。
僕はそんなに梅棹忠夫の著作を読んできたわけでない。「知的生産の技術」「文明の生態史観」「狩猟と遊牧の世界」「情報文明論」。あと何かあったかな。それくらいだろうか。それに民俗学も文化人類学も特にかじってきたわけではない。だが、斬新かつ明快なこの論旨。対角線を一本引いたような、いままで硬直化してまったく見えなかったものが急速に明白な空の下の地平となるような独創的な切り口は、はっきりいって魔術といってもよかった。
「文明の生態史観」なんて、例の「銃・病原菌・鉄」の50年先駆といってよい業績だと思うわけだが、新聞の訃報記事を読んで、これが36歳のときの発表だと聞いて、心底たまげた。絶望的気分さえ味わったとさえ言える。もうすぐ40になる僕はどうして「文明の生態史観」にあたるようなコペルニクス転回とでもいうような切り口を見つけられなかったのか、という絶望感である。
僕の好きな言葉に「際」とか「境」とかいうのがあって、好きな言葉とか漢字を問われると、これらを答えることが多く、「愛」とか「楽」とか「寝」とかの答えを期待していた先方からは奇妙な顔をされることが多いのだが、こういったハイブリッドなところに新しい地平を見るダイナミズムを最初に知ったのが梅棹忠夫の著作だったような気がする。
ちなみに僕は右目が白内障で失明に近い状態で、左目のみの生活なのだが、梅棹忠夫は60歳を過ぎて、完全失明した。こういう観察学者にとって視力を失うというのはそれこそ生命線を断たれたに等しいと思うのだが、氏は「雑用が減って良い」とプラス思考だったという。この一点だけで心底感服する。
100才まで生きるつもりだったらしい。謹んで冥福を祈る。