読書の記録

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あんぱんまん

2010年05月08日 | 児童書・絵本
 あんぱんまん

 やなせたかし

 どこの家でも、小さい子供がいるところでは「アンパンマン」の浸食は大なり小なり避けられないだろう。よほど覚悟してかからないと、「アンパンマン」は忍びこんでくる。玩具や衣類に限らない。タオル、歯ブラシ、コップ、ハンカチ、ふりかけ、カレー・・・

 「ウチでは絶対にアンパンマンが描かれたものは買わない!」と決意しても、保育園や幼稚園からやってくる。友達の家でDVDを観てしまう。じいちゃんばあじゃんというリソースもある。だいたい、ちょっと街を歩けば、アンパンマンはすぐにいる。いちどアンパンマンの存在を知ってしまった子供は、もう黙っちゃいない。

 それだけ、幼児の心をわしづかみにしてしまう「アンパンマン」だが、よくよく考えてみりゃ、僕が子供のころ、すでにアンパンマンは存在していた。大判の絵本で、そのときは、今のようなカタカナ表記ではなくて「あんぱんまん」だった。
しかし、設定はほとんど同じで、お腹をすかせた子供に、あんぱんまんは自分の顔を食べさせ、首から下だけになって、飛んで帰っていく。世界広しといえど、自分の顔を食べさせるヒーローはアンパンマンだけである。この点で唯一匹敵するのは「幸福な王子」かもしれないが、さすがに自分の肉体の一部をちぎって渡すことはしない。武田泰淳の世界である。

 このアンパンマンの特異性については、やなせたかしがしっかりとコメントしていて、古今東西のヒーローは誰一人、“飢え”を救わなかった、という指摘である。腹を空かした子供に食べものをあげたヒーローは誰もいない。やなせたかしは“飢え”を救うヒーローをつくりたかった。それがアンパンマンである。


 その原点から始まったアンパンマンも、いまやそのキャラクター数のあまりの多さがギネスブックに載るほどになり、主戦場は絵本から完全にテレビになった。
 テレビで放映されるお話そのものは、実にシンプルで他愛のないもので、キャラクター設定も単純明快である。アンパンマンはどこまでも正義の味方だし、バイキンマンは心底わるもんである。ジャムおじさんは親切で温厚であり、メロンパンナちゃんは明るい優等生であり、食パンマンは紳士であり、カレーパンマンはやんちゃであり、ドキンちゃんはツンデレキャラである。物語は、誰かがバイキンマンの仕業で困っているところをアンパンマンと仲間たちが助け、バイキンマンは制裁を受け、めでたしめでたし、である。

 そういったアンパンマンの世界の中で、例外ともいうべき、もっとも複雑なキャラクター設定を持ったものが一人だけいる。ロールパンナである。1800近くあるキャラクターの中で、ロールパンナだけが一筋縄ではいかないポジションにいる。

 ロールパンナというのは、アンパンマンの彼女であるところのメロンパンナの「姉」である。「姉」であるが、生まれたのはメロンパンナのほうが先である。ここからしてすでにねじれている。
 このロールパンナは、勧善懲悪のアンパンマンの世界において、正義と悪の2つの心が共存しているキャラなのである。これは、ジャムおじさんの手によって作りだされるときに、「真心の種」と「邪悪の種」の2つが混在してしまったからだ。
 ロールパンナはこの引き裂かれる正邪の心に翻弄され、苛まされる。まるで人造人間キカイダーのようではないか。したがって、アンパンマンや「妹」であるメロンパンナとは一緒に住めない。しかし、「邪」であるバイキンマンのところにいくこともできない。ロールパンナは、岩肌の露出した荒野に、ひとり孤独な生活な生活をしている。

 妹思いであってメロンパンナを助ける。しかし、アンパンマンによって傷ついたバイキンマンを介抱して去っていく。この矛盾の相克は、アンパンマンの世界においてきわめて異彩を放つ。

 というわけで、オトナならば、ロールパンナのありようというのは、要するに人間は善と悪の二側面を合わせ持つということを表しているということはすぐにわかるのだが、当の子供達は、このロールパンナの宿命をどう受け取っているのだろうか。

 僕は自分の4才の娘に、ロールパンナちゃんが持つ悲しみや喜びがわかるかい、と尋ねてみる。興味深いので、ロールパンナが何を思って、どう行動しようとしているのかはとくと観察し、考えてみなさいと促す。だが、うちの娘はなぜかアンパンマンにもバイキンマンにもにらみを利かす史上最強キャラと認識しているようだ。ダーティヒーロー好みなのかもしれない。




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