読書の記録

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中古典のすすめ

2020年09月20日 | 言語・文学論・作家論・読書論

中古典のすすめ

斎藤美奈子
紀伊國屋書店


 「中古典」。これはもうコンセプトの勝利だ。戦後の日本、とくに60年―90年代にベストセラーになった本を、2020年となった今あらためて批評するという試み。それを「名作度」と「今でも使える度」という2つの尺度で評価しているのも心憎い。これだったらオレでもできたな、と思う評論家や読書インフルエンサーは多かったんじゃないか。ちょっとでも読書歴のある人ならば、ここに出てくる本の何冊かは読んでいるだろう。
 自分が若いころ読んで心踊らされた本が、クソミソにやっつけられるのは心おだやかではないが、逆に「今でも使える度」でトリプル満点だと、わが同意を得たり、と思うあたり、著者の術中にはまっている気がする。
 このブログにとりあげているものでも「文明の生態史観」「日本人とユダヤ人」「赤頭巾ちゃん気をつけて」などが含まれているし、それ以外でも「されどわれらが日々」「二十歳の原点」「自動車絶望工場」「ノルウェーの森」「窓ぎわのトットちゃん」「蒼い時」「構造と力」「日本沈没」「なんとなくクリスタル」「タテ社会の人間関係」「マディソン郡の橋」など、当時の話題作が次々と肴になっている。

 僕が多いに心を動かされた「文明の生態史観」は、その初読のインパクトを、今でも初めて読んだ人は開眼してしまうほどの説得力があると評する一方で、これは「居酒屋談義」の域だとも突き放し、名作度は★★★だが、使える度は★★と採点され、ムッとする。「居酒屋談義」というのは穏やかでないが、この評価は著者の梅棹忠夫自身が「ただの遊び」と言及していることにあるようだ。もっとも梅棹忠夫にとってはすべて学問とは遊びであって、これはコトバを額面通りとらえすぎだぞ、とついついこちらもムキになる。
 
 遠藤周作が1963年に発表した「わたしが・棄てた・女」に対しての酷評も面白い。今となっては著者のいうように「最低の気分になる」小説である。どこまでも自分勝手で高邁で保身な男の吉岡努と、不遇と不幸と不運をこれでもかと抱える森田ミツの話であり、原罪とか運命とか不滅の愛とか人の弱さとか文学価値的深読みはいくらでもできるが、著者としてはそもそもの男女観にステロタイプをみている。つまり、男女の立ち位置や不幸な女性の描き方に安易な予定調和がみられる。遠藤周作は「沈黙」や「海と毒薬」といったそれこそ「古典」入りした文学を書いている一方、「軽文学」というのも書いていて、この「わたしが・棄てた・女」はそちらにあたるとされる。始末に負えないのは、遠藤周作という人は、非常に文章がうまい人で、もうこれでもかこれでもかと読み手を感情移入させてお涙頂戴にして、これひょっとして超名作なんじゃないの? という感じにしてしまう技に長けている作家である。今で言うと浅田次郎みたいなものか。たいしたことないものでも、さも重要で深刻で壮大な風に書けてしまうというある意味タチの悪い超絶技巧名文家という遠藤周作の側面を60年越しに指摘した評だ。
 
 大絶賛しているのは橋本治の「桃尻娘」で、ここでは著者もノリノリである。いわく現代文学の流れを変えた作品。もちろん名作度★★★使える度★★★。この本がなければ「僕は勉強ができない」も「インストール」も「阿修羅ガール」も出ず、日本文学は死んでいたと。オジサン的既成概念に凝り固まっていた女子高生像をぶちこわしたということも多いにあるだろうが、やはり表現手法として饒舌系というものを切り開いたところが大きいか。DJか大阪のおばちゃんか古舘伊知郎かと言いたくなる過剰にして加速するコトバの戯れによって描かれる世界が示す圧倒的な力は、「なんとなくクリスタル」で使われた注釈手法なんて姑息に過ぎないと見せるに十分ではあっただろう。僕がこれを読んだのは高校生くらいのときだったと思うが、まあ、たしかに最初読んだときはぶっとびましたね。やがてこの「桃尻語」のスピンアウトとして、「桃尻語訳 枕草子」なんてのも出た。春って曙よ!


 「中古典」とは確かに言いえて妙で、これらは評価が完全に定まっていない。殿堂入りしたものは見事「古典」となる。「古典」というのは、時代を超えた普遍性がある、ということであれば、これら中古典は当時の時代の波をもろにかぶったものであり、そして2020年の現在、歴史の試練の真っただ中にさらされているものだ。これを耐え抜いたものが時代を超えた普遍性を見出されて「古典」の座につく。脱落したものは単なる中古品になる。本書の「今でも使える度」はあくまで著者斎藤美奈子の主観であるとはっきり断っているから、自分でもこれら中古典をもういちど反芻してみるのも面白そうだ。本書には登場してないが個人的には岸田秀「ものぐさ精神分析」、藤村由佳「人麻呂の暗号」、椎名誠「哀愁の街に霧が降るのだ」あたりはビミョーなところとしてその命運が気になるところだ。


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