読書の記録

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ぼくが猫語を話せるわけ

2017年04月14日 | エッセイ・随筆・コラム

ぼくが猫語を話せるわけ

庄司薫
中央公論社

 

 今回は、ふるーいエッセイ集の紹介である。刊行は1978年。ついに40年前の本になってしまった。

 ちなみにこのエッセイの冒頭はこうである。

 ”或る日ぼくは、主観的には全く突然に、一匹の猫の居候を抱えこむことになった。
 これは一大事だった。”

 おお! まるで村上春樹!

 作者の名前は庄司薫である。年配の人には懐かしい。それこそ、庄司薫は昭和40年代に、村上春樹のようなファッショナブルな作家として登場した。

 庄司薫の代表作は「赤頭巾ちゃん気をつけて」。これは芥川賞を受賞し、映画にもなった。

 この作品は、主人公である高校生の薫クンが、学園紛争真っ只中のある一日を描いた青春小説である。村上春樹の小説のようにすぐに肉体関係に至るわけではないが(爆)、後に、村上春樹の先駆と言われることにもなった。ちなみにヒロインは由美ちゃんという。

 その後は続編として「白鳥の歌なんか聞こえない」「さよなら怪傑黒頭巾」「ぼくの大好きな青髭」と、赤・白・黒・青として連作された。

 この薫くんシリーズの後はそ「狼なんてこわくない」「バクの飼い主目指して」というエッセイというか、青少年論みたいな作品を出し、そして「ぼくが猫語を話せるわけ」というエッセイ集を最後に上梓し、そのまま断筆してしまった。筒井康隆のように断筆宣言したわけではないが、以後いまに至るまで新作は世に出ない。もう80歳になるはずだ。

 小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、道具立てその他を現代のものに置き換えていけば、今でも通用しそうな内容だと思っているが(10年ほど前だったか、ラノベ大好きだった人間が、はじめてこれを読んでえらく没入し、立て続けにシリーズを読破していったのを見た)、庄司薫は、この「僕の大好きな青髭」を最後に小説の発表をやめてしまっているから、結局のところ小説家としてはこの薫クンシリーズの4冊しか出さなかったことになる。(正確には活動初期に短編集が1冊ある)。

 

 そういう寡作な作家だったのだが、なぜいまさらここに「僕が猫語を話せるわけ」なんてエッセイを持ち出したかというと、たまたま僕がひっさびさに書棚から引っ張り出して読んだからである。

 「僕が猫を話せるわけ」は、数少ない庄司薫作品群の中ではもっとも読みやすいと思われる。内容は、もともと「犬派」だった作者のもとに「極端に旅行がち」な知人(女性)から猫を預かるはめになり、その猫との生活エッセイである。しかもあろうことか、猫だけでなく、その猫の「本来の飼い主」まで預かることになる。

 とはいえ、衒学であり碩学であり高等遊民として知られた庄司薫だったから、単なる日常エッセイではなく、そうとうにハイブローで教養を要求される内容だ。ここで試されるセンスは、おそらく現代ではもう通用はせず、ただのめんどくさいおっさんでしかないだろう。書かれていることはえらくインテリなのに、その文体は、とても大仰にしてナチュラルという、当時としては斬新な語り口だった。

 たとえば「鉛筆けずり」と題されたエッセイはこんな文章である。

 ”ぼくは、大体において昔から文房具というやつが大好きなのだ。中学生時代からひいきにしている銀座の伊東屋はもちろんのこと、ただ街を歩いていても、文房具店を見るとついなんとなく入りこんでしまう。そして、いい加減あれこれと見廻したあとで、鉛筆を一本もっともらしい顔をして買ったりするのは、これはすごく感じのいいものなんだ。”

 僕がこのエッセイを愛読していたのが今から25年ほど前の1990年代前半。つまりその時点で十分に古いエッセイだったのだ。しかし、当時の僕は決して古い内容とは思わず、その言葉の使いまわしや何を面白がり何を美しいと思うかのセンスを違和感なく味わった。文章の書き方、エッセイとしてのまとめ方の読本にもなった。

 とはいえ、ここ10年ほどはすっかりご無沙汰していた本である。それをなぜ急に引っ張り出したかというと、恩田睦の「蜂蜜と遠雷」が本屋大賞をとって話題化したからだ。

 「蜜蜂と遠雷」は、国際ピアノコンクールをテーマにした小説である。ただ、国際ピアノコンクールを題材にした本というと、かねてから有名だったのは中村紘子が1988年に上梓した「チャイコフスキー・コンクール」だ。著者はもちろん、去年なくなったピアニストの中村紘子である。これは小説ではなくて、ピアニストでありコンクール審査員でもあった中村紘子がまだソ連だったころのチャイコフスキーコンクールをルポしたものであった。単なるコンクール進行記録ではなく、ロシアの芸術事情や、ピアニスト事情、日本のピアノ受容史まで話がおよぶなかなか骨太で読み応えのある内容で、何かのノンフィクション賞をとっていたはずである。

 で、その中村紘子こそが、「本来の飼い主」なのであった。(ファンには有名な話である)
 海外への演奏旅行で留守しがちだった当時20代の中村紘子が飼っていたシャム猫を、庄司薫は預かったのである。この「僕が猫語を話せるわけ」は随所に小さなイラストが載っているのだが、そのイラストは中村紘子が描いたものだ。

 つまり、ぼくは恩田睦「蜜蜂と遠雷」→中村紘子「チャイコフスキーコンクール」→庄司薫「僕が猫語を話せるわけ」と連想したのだ。だからどうしたと言われても困るけれど。

 

    本棚を眺めていると、連想が連想を呼び起こして普段なかなか手に取らない本を開いたりする。これはなんとも楽しい。ジャンルやカテゴリーだけでなく、こういう縁の繋がりで本を並べてみるのもまた楽しそうだ。

 




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