読書の記録

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未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか

2018年09月01日 | テクノロジー

未来を読む AIと格差は世界を滅ぼすか

大野和基・編
PHP新書


 超豪華なシンポジウムというか、神々の共演というか

 ジャレッド・ダイアモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、リンダ・グラットン、ダニエル・コーエン・ニック・ボストロムほかのインタビュー集である。つまり「銃・病原菌・鉄」「サピエンス全史」「ライフ・シフト」といったベストセラーを出した識者たちだ。

 彼らは未来をどう見ているか、ということだが、共通するにあまり明るい未来像を描いていない。副題にある「AI」と「格差」はやはりそうとうに人間を試すことになるが、そこの覚悟と対処がまだまだ見えていないということになりそうである。

 

 未来のリスクとして何があるか。何人かの識者があげているが、「感染症」「テロリズム」「移民(人口移動)」「核戦争」「気候変動」「過度に発達するテクノロジー」いずれもグローバル規模におけるものだ。

 これらのリスクで特徴的、つまり近代までの人類史と異なるのは、人類自身の活動から生まれた、人類の存在を脅かすリスクということである。もちろんニック・ボストロムが指摘するように隕石の衝突や火山の噴火といった自然由来のリスクもあるが、想定される頻度から考えると人類由来のリスクがやはり高そうである。

 これら人類由来のリスクの根底にあるのは、21世紀にあたっての社会制度の正解を誰も見つけられていないということだ。近代以降さまざまな国における実験と淘汰の結果、20世紀も後半あたりに「自由民主主義」で「資本主義」で「正教分離(世俗ナショナリズム)」であることがまあ正解なのではないか、という感じになった。欧米や日本がそれでGDPを伸ばし、世界のレギュレーションを形づくれるようになったからだ。

 

 しかし、その疲弊と暴走が顕著になってきたのが今世紀であり、それが加速されつつある。

 つまり、結果としての資本の偏りによる格差の出現と、止まらないテクノロジー開発を招いた。人類はリンダ・グラットンが言うように100年の寿命を手に入れるだけの医療技術を獲得したにもかかわらず、その100年を有効に使う手段をまだ見つけられないでいる。それどころか、格差はむしろ苦しい100年人生を送る人をたくさんつくることになり、AIは仕事さえ奪っていく。ノア・ハラリは「役立たず階級」が大量発生すると予言する。

 すでに、従来の社会学や近代人類史では「生活に余裕が生まれる」方向にベクトルが進むはずの中産階級が、収入が伸びず、むしろ貧困へと転落するリスクが肌感としても高い日々を送るようになった。コーエンは「テクノロジーは中産階級を豊かにしない」と指摘した。そして、C・ウィリアムズやアーヴィン・ペインターが指摘するように、彼らの不満がトランプ政権の誕生を促したわけである。

 賢明な判断をする限りは核戦争はおきないとされているが(核抑止力)、偶発的に起こってしまうリスクは依然としてある。ぎりぎりまで緊張感が募ると、ちょっとしたきっかけーそれは誤報だったりもするーで戦争に突入するのは過去の歴史でも証明している。 

 

 というわけで、本書が読む未来はなかなか暗いのである。

 だが光明もある。

 ジャレッド・ダイアモンドはニューギニアにおける伝統社会の「知恵」に着目する。どこまでもソーシャル・キャピタルを確保するということ、そして「戦争で死ぬリスクよりも、風呂場で死ぬリスク」に慎重になるということだ。一見、唐突に感じたダイアモンドのニューギニアの話だが、これは、ナシム・ニコラス・タレブ言うところの「反脆弱性」というやつ(この人は本書には出てこない)なのではないかと思うと合点がいった。「反脆弱性」というのは、事態がヤバくなればなるほど、そのものの強みはより増していくとあう概念である。

 つまり、モノゴトの、あるいは人生におけるリスクとチャンスの基準をどう持つかということなのだが、目の前のシステム(たとえば民主主義・資本主義・現行の行政制度など)が正常に生きていることを前提にリスクとチャンスを考えてチップを張るのが現代的人生観としてこれまで信じられてきたのだが、なにがあってもおかしくないことを前提としたときのリスクとチャンスのチップのはり方という発想である。ニューギニアの知恵とはまさしくそういうことなのだった。



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