読書の記録

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国家経営の本質 大転換期の知略とリーダーシップ

2020年04月12日 | 経営・組織・企業

国家経営の本質 大転換期の知略とリーダーシップ

野中郁次郎 戸高良一 寺本義也
日本経済新聞社


 「失敗の本質」シリーズのなかのひとつである。文庫化されていないからか、シリーズの中では存在感が薄い。僕もつい最近までこの本の存在を知らなかったのである。

 しかし、コロナウィルス禍によって時代は今まさに「国家経営」の本質が問われている。第2次世界大戦以来最悪の状況とまで言われる経済危機と国境封鎖のなかで、各国のリーダーがいかに舵をとるかで、それぞれの自国も国際社会の行方も大きく左右する。トランプ大統領、ジョンソン首相、メルメル首相、マクロン大統領、プーチン大統領、習近平国家主席、安倍首相は、いまこの国家の危機に際して舵をどう切るか。

 実際にそれぞれのリーダーの決断が成功だったか失敗だったかは、もっと先にならないとわからないだろう。いまの日本政府の対応ぶり、稚拙にみえる施策の数々はもはやトンデモではないかとさえ感じられるが、30年先になって振り返ると意外にもあれがいちばん最適な決断だった、なんてこともないとは言えない。というか、せめてそうであってほしい。

 

 本書で挙げられた人物は、みな80年代のリーダーたちだ。サッチャー首相、レーガン大統領、ゴルバチョフ総書記、コール首相、鄧小平国家主席、そして中曽根首相。すなわち冷戦終結前後の国際情勢を担った連中である。彼らの歴史的評価は今なお定まっているとはいいがたい。本書では基本的に肯定的な評価となっているが、光も影もあると言えるだろう。中曽根康弘なんかは、ぼくが小学生のときの首相だが、そんな名首相だったかなあなんて思う。レーガンとの蜜月関係、流行語となった「不沈空母」、防衛費の1%超えあたりをぼんやりと覚えているが、それよりも地価の上昇とか国鉄民営化とかリクルート事件とかそっちのほうの印象が強い。本書によると、安保のただ乗りに甘えるのではなく、西側陣営の一員として米欧と目線のそろった国としてのポジションをとりにいったとのことである。内政の印象と外交上の成果はだいぶ違う。ふうん。

 国内の評価と国外の評価がまったく異なるといえばゴルバチョフだが、いま思うに、この時代にゴルバチョフがいたことは僥倖だったとは「西側陣営」の人としては思う。ゴルバチョフという才覚と大局観を持つ人間の出現は、ソ連にとって致死遺伝子となる突然変異の誕生とさえ言える。僕はこの人をみると徳川慶喜を思い出す。どちらも旧体制の抜本的改革に乗り出し、最後は体制の幕引きを英断したトップである。太平洋戦争で大日本帝国が破綻したのは、ゴルバチョフや徳川慶喜にあたるような人が出てこなかったからではないか。
 最高権力が持つ麻薬性に溺れず、抑制された良識と大局観を大事にした。良識的すぎてソ連内の生き馬の目を抜く修羅場をくぐれず、保守派のクーデターを許してソ連崩壊を免れなかった、というのが本書によるゴルバチョフ評だが、ぼくが思うには、冷戦を終結させたあの才覚と、ロシアの内ゲバを統治する能力はオルタナティブではなかったのかと感じる。

 鄧小平も見事すぎるとしか言いようがない。天安門事件という歴史上の大汚点があることは未来永劫否定できないが、文化大革命で30年は後退したあの国を、まさかの世界2位、アフターデジタル最先端の超強国へと渡りをつけたのは奇蹟であろう。共産主義体制を残したままの経済開放政策という荒療治をやってのけたつけとして、今回の武漢発のウィルスもあるというストーリーもつくれそうな気もするが、鄧小平という人物が現れなかったら中国という国はとっくに崩壊していたのではないかと思う(香港インフルエンザやSARSの段階でダメだっただろう)。鄧小平の人生は3回失脚しながらもいずれ世界の強国になるためにじっくり体制を整えて歩む壮絶なもので、こんな人間に勝てるわけがない。本当の強さとはそういうことなのだと思うと同時に不気味でさえある。改革開放路線を掲げたのは1978年。南巡講和が1992年とぶれていない。
 鄧小平もそうだし、毛沢東も孫文もそうだし、習近平なんかにも思うのは、やつらはものすごく長い時間軸で物事を考えるということだ。南京条約における「100年先に香港返還」なんてのもそうだ。西洋的価値観からすれば100年先というのは未来永劫のような茫洋さを感じるが、中国にあっては「100年」は計算の範囲内なのである。どうもこれは中国のお家芸とさえ感じる。そう考えると習近平の一対一路構想も30年くらい先には本当にそうなってるんじゃないかと。元を通貨軸とした大中華経済圏が完成しているんじゃないかと不気味である。

 本書では、80年代の冷戦終結前後における各国のリーダーのありかたに「理想主義的なプラグマティズム」と「歴史構想力」を持っていたことを挙げている。どちらも難しい言い方だが、前者は自分自身がこれまで歩んできた人生、経験でつちかった理想像を持っていたことであり、書物や理論で導きだされた理想像ではないということ。そして歴史構想力というのは、今おかれた状況を、むこう100年または数百年の歴史上のダイナミズムと未来への展望から逆算して定義する視野の広さだ。これは時間軸だけでなく地政学的な空間軸も含む。また、そういう構想力を持つことで、国をどうしたいかどうすべきかという説得力のあるストーリーが生まれる。

 たしかにそういう視点からいけば、他国のトップのことはわからないが、いまの安倍首相はやはり物足りない面がある。政治家家系のボンボンでこれといったプラグマティズムの背景があるとも思えないし、正直いって大局的な歴史構想力を築くだけの教養があるのかも不明である。後者については記者会見やインタビューの語りでみるボキャブラリーの貧しさや文化政策についてまるっきり語れないところに基礎的な教養不足を感じ取れるのである。(一方で、本当に国のかじ取りをしているのは不眠不休の官僚の人たちであり、したがって神輿は軽いほうが良いと言う意見もあるのだが)

 


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