読書の記録

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人は原子、世界は物理法則で動く

2009年09月09日 | 社会学・現代文化

人は原子、世界は物理法則で動く-社会物理学で読み解く人間行動…著:マーク・ブキャナン 訳:阪本 芳久

 「物理学」というよりは「生態学」といったほうがよいかもしれない。「生態」の力学は競争と協調のメカニズムがあり、その振る舞いを規定するプログラムやパラメータは、あらかじめきっちりと与えられているよりは、自分の経験と学習で規定されているという「自己組織化」で仕込まれている。
 自己組織化というのは、数式で表すと「 f(z)=z^2+c 」というやつで、要するに、ひとつ手前の環境条件に対してどのような振る舞いをするか、という規定をしておく、ということだ。こうしておくと、それによって引き起こされた結果に対し、今度はそのときの環境条件で次の振る舞いも規定されていき、その結果が、さらにその次のふるまいを規定していく、という風に無目的に事態が進んでいく。
 つまり、15年くらい前に流行ったライフゲームや複雑系やフラクタルやカオスあたりの話なのであるが、この世界観が、「予測不能」とされたリーマンショック以降のブラックスワン状態において、再び装いも新たに出てきたという感じだ。そういった自己組織化の観点を組み入れることによって、この「100年の1度の危機」も十分に想定の範囲内であったことを指摘している。

 そこでのキーワードは「べき分布」というやつだ。相対する言葉は「正規分布」である。
 「正規分布」というのは、これまで長く信じられた確率分布(釣鐘型分布)で、コインをN回投げたとき、表がM回出る確率というやつで、Nの回数を10000回、20000回と増やしていくと、ほぼ誰がいつどこでやってもズルしない限り同じような分布になる、というやつ。説明するとかえってややこしいが、直感的な世の中の確率分布はそんなもんだろう。
 で、世の中の確率予想のものさしとして非常に重宝されたわけだが、1つだけ重要な見落としがあった。それは、コインそのものにまったく意思がない、ということだ。コインが、さっきは「表」だったから今度は「裏」を出してやろう、とか、さっきも「表」だったから、今度も「表」でいこう、なんて意思を働かせない。
 だが、ここで「生存(勝ち残る)」という概念をいれたらどうなるか。1枚のコインを10000回投げるのではなく、10000枚用意して、その中でコイン達の生存競争が働いているとする。時と場合によって異なるが、「さっきもAだったから今回もA」、あるいは「アイツはAだったから、オレはB」という意思が働くのである。つまり、1つ手前の状況が次に何を繰り出すか、に影響を与える。「自己組織化」である。要するにフィードバックが働くのである。

 で、実は現実の世界で確率予測をたてるとき、予想の対象、それは金融でも自然でも、たいていにおいて「生存」の意思が働いていて、行動パターンに自己組織化が働き、素直に「正規分布」にならないのである。
 この「生存」の意思というのが非常に巧みで、「生存」するためには他者を出し抜かなくてはならない。他者を利用したり、場合によっては他者を蹴落とす。つまり、「自分と他者との相対的な位置関係」こそが重要といった、駆け引きの力学みたいなものが「正規分布」には反映されない。「べき分布」はそこを補正している。
 ではどういう風に分布になるかというと、それこそが「べき分布」で、「正規分布」に比べると、末広がり型になる。もう少しいうと、「正規分布」では滅多に起こらない、とされる事象が、「べき分布」では、それなりに起こり、頻繁に起こるとされる事象が、そこまで頻繁でもない、という具合になる。「100年に1度」が「30年に1度」くらいのものになる。
 
 本書では、この「べき分布」に代表される「自己組織化」が、たとえば「金持ちのところにお金はますます集まり、貧乏なところからお金はますます逃げていく」といったネットワーク理論的な指摘、あるいは同一グループ内での利他的行為と、他グループへの排他的行為の相互増幅が、ジェノサイド発生の力学の説明に耐えうるものとして引用される。

 むしろ定理とでもよんだほうがいい法則だから、本書の通りだとすれば、それに抗うことは100%不可能ということになる。せいぜい、社会はこういった生態学的な事態の変容の上に成り立っていることをまず前提としてとらえ、それに対処する方法として、直感以上に、高いと思われる確率は低く、低いと思われる確率は高く見積もり、事態は急転する(相転移)、というリスクを持つということだろうか。

 社会の捉え方のトレンドは、このような単純な法則性に帰結させることと、所詮すべては認識の世界なのだ、という脱構造に向かうものと両翼あるようだ。


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