山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

高江があぶない@県庁前から

2011年01月31日 | Phillipin
e:
>>=========
>>
>>転送・転載大歓迎!!
>>
>>高江がたいへん!24時間座り込み@沖縄県庁前から生中継第2弾
>>
>>「高江がたいへん!24時間座り込み@沖縄県庁前」昼間に一度生中継し
>>ました。
>>    ↓
>>http://bit.ly/g5p5fg
>>
>>その第2弾を、この後午後9時ころからこのサイトから生中継します!
>>現場はかなりの厳しい寒さですが、座り込みは明日まで続きます。
>>ぜひこの情報を拡散させてください。
>>   ↓
>>http://oam0.blog75.fc2.com/

命の値段

2011年01月31日 | Phillipin
「フィリピンでは命の値段が安いので甘く見ないで気をつけたほうがいいよ~~!」

バギオで会った日本人2人の言葉。。
「フィリピンでは「あの人殺したい」とヤクザに頼んだとして、その金額はたったの2万円ですからね・簡単ですよ」、らしい。
1人はフィリピンに住んで3年という日本人学校で働く方と、もうひとりは日本大使館の方。

この人たちが言うんだからかなり信憑性が高いアドバイス!フィリピンでは銃の保持が警察に届ければ住民も可能なのだそうで、銃による事件も多いんだそう。
日本人ヤクザもたくさんいるらしく、トラブって殺される日本人が結構いるんだと。

あとフィリピンに進出した日本企業に働くフィリピン人が、不服のリストラをされて、支店長が恨みを買い、誘拐されるということもあるんだと。それが有名企業の支店長だったらしく、有名無名の関係なく、恨みを買ったら大変ですよ~。とのこと。


街中、日本人観光客も歩くデパート、ホテル、駅、バスターミナル…
どこへ行っても入口でガードマンがお客のカバンに銃の保持をしてないかと、テロ対策チェックがある。
カバンの中をいちいち全員が見せて入場しなきゃならないので、駅なんかどうしたの!というくらい超込み合っている。

9・11直後、沖縄でも厳戒体制時には空港などでカバンチェックがあったりした覚えがあるが、フィリピンに着いて今現在、厳戒体制にあるのは何でだろ、と平和ボケの私だったが
滞在中のバス爆破事件で身が震える思いをした。
前日の同時間に、爆破のあった繁華街にいたので余計にリアルな恐ろしさを感じた。

事件から3日後には沖縄に帰ってきたけど、ほとんど誰も知らない。「何で心配しないのー!」と言っても「毎日、働いてるからニュース見ないよ」。

そりゃそうだ。皆、自分が要るところの目の前の生活に追われてるからね、それだけで大変。こうして旅先に行ってブログで報告しても、リアルタイムに同じ恐怖は誰も感じない。

日本、沖縄は比較的安全な国の県だけどある場所へ行けば、そうでもない。今日、高江の現場は騒然としている。座り込みで抵抗する住民を欺いて政府側が強行姿勢で工事を進めようとしている。

県庁前広場で無関心な那覇の人々に高江の今を知らせるビラ配りを本日、やってる、少人数で協力者求む!と緊急呼びかけMLが届いた。
さぁ、呼びかけに目を向けて心動いて行動出来るか!

問い合せ先メモ

2011年01月30日 | Phillipin

フィリピンでの移動中は、知らない土地でネット環境を見つけるのも毎度うまくいくとは限らず、

難しく、見つけてもパソコン設定が日本語が読めても日本語で返信が書けなかった。

なので、日本から持って行った『携帯電話』を利用することが多かった。

 

道に迷った時も、約束の場所を変更になって住所を確認するときも、近くにネットカフェを探しても見つからない時、

携帯電話ネット通信で情報を得られることができました。

 

知らない国で、しかもフィリピンの雑踏すごいことになってる中、タクシー運ちゃんが高値で乗ってけ!

と追いかけてくる。そんなとき携帯電話のネットで地図見て「助かったー、良かったー電話持ってて~」

と今や、ネットは情報を得るための、安心材料として絶対必須だと実感したりしました。

たった一週間で通信費、スゴいことになってるけど、。

やっぱりiphonが、便利そうですねー。試してみたいけど。。

と、いうことで緊急連絡先も、自分の為にブログアップしておこう。

 

 

在フィリピン日本大使館・在マニラ日本国総領事館

 

(問い合わせ先)

  ○外務省領事局邦人テロ対策室(テロ・誘拐に関する問い合わせ)
住所:東京都千代田区霞が関2-2-1
電話:(代表)03-3580-3311(内線)3678
○外務省領事局海外邦人安全課(テロ・誘拐に関する問い合わせを除く)
住所:東京都千代田区霞が関2-2-1
電話:(代表)03-3580-3311(内線)5139
○外務省領事サービスセンター(海外安全担当)
住所:東京都千代田区霞が関2-2-1
電話:(代表)03-3580-3311(内線)2902
○外務省 海外安全ホームページ: http://www.anzen.mofa.go.jp/ 
http://www.anzen.mofa.go.jp/i/ (携帯版)
○在フィリピン日本国大使館(在マニラ日本国総領事館兼任)
住所:2627 Roxas Boulevard, Pasay City, Metro Manila, 1300,
Philippines
電話: (63-2) 551-5710
FAX : (63-2) 551-5780
ホームページ:
http://www.ph.emb-japan.go.jp/index_japanese_version.htm 
○在セブ出張駐在官事務所
住所:7F, Keppel Center, Samar Loop cor. Cardinal Rosales Avenue,
Cebu Business Park, Cebu City, Philippines
電話: (63-32) 231-7321
FAX : (63-32) 231-6843
○在ダバオ出張駐在官事務所
住所:Suite B305 3F, Plaza de Luisa Complex, 140 R. Magsaysay Ave.,
Davao City 8000, Philippines
電話: (63-82) 221-3100
FAX : (63-82) 221-2176


フィリピンのアーティストなど

2011年01月30日 | Phillipin

●アーティスト:アルマ・キントさん

フィリピンの上流階級アート・アワード

ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン。略して、ジャピーノ。

・・沖縄ではアメラジアンと呼ばれる混血児の問題がある。

フィリピンでは2月22~25日は「エドサ革命記念日」といって、マルコス政権を倒した“ピープルズ・パワー”を讃える日。

 



情報

2011年01月30日 | Phillipin

外務省のサイト 海外安全ホームページ フィリピン

【まにら新聞】

路線バス爆破

国家警察、重要参考人2人の似顔絵を公表。犯人特定につながる情報に懸賞金も

国家警察が公表した重要参考人2人の似顔絵CG

首都圏マカティ市エドサ通りで起きた路線バス爆破事件で、国家警察は28日、目撃情報を基に作成した重要参考人2人の似顔絵を公表した。また、犯人特定につながる情報に懸賞金100万ペソを出すことを決めた。

参考人は、爆発物が仕掛けられた客席に座っていた男性2人。ともに30代半ばで、爆発直前にバスを降りた。また、①パサイ市内のエドサ通りとロハス大通りの交差点付近で乗車②マカティ市内のエドサ、アヤラ両通りの交差点を通ることを運転手に確認③同交差点付近までの運賃を払いながら、かなり手前で降車︱︱なども分かっている。

2人の降車後、バスはエドサ通りをそのまま直進し、アヤラ通りとの交差点を通過してブエンディア通り付近に差し掛かったところで爆発した。

国家警察は、生存者や運転手らの証言を基に似顔絵を作成し、それをコンピューターグラフィック化した画像を公表した。

[ 396字|2011.1.29||社会 ]

 


一時帰国。振り返ります。

2011年01月29日 | Phillipin




第1渡航

1日目
朝10時出発。台北経由フィリピンマニラ。
到着後、車移動。マニラ市内交通渋滞。マニラ市内デパートフィリピンレストランで夕食後、スービックへ。約3時間。到着1時。スービックのカジノ。就寝3時。

2日目
9時起床。スービックの山奥2時間コーストレッキング。
同世代独身アイタ族の女性インストラクターが森の中で薬になる樹からナイフで皮を剥いて、食べさせたりなど。ワイドマンゴー(野生マンゴー)の巨木。
伝統的な衣装をまとったアイタ族おじいちゃんインストラクターが竹でご飯炊き、ランチ。昔ながらの狩り方法をデモンストレーション。
午後あとはマニラへ戻る。夕食はデパートでフィリピン料理。

3日目
9時発。ジェームソンさん友人宅見学。フィリピン一と言われる人気建築家デザインの豪華なお宅拝見。インテリアは全てイタリア製、フィリピン上流階級垣間見る。
その後、イントラムロス(オールドマニラ)でスペイン統治下時代の史跡へ。日本語話せるガイド、馬車案内。
遅い午後、チャイナタウン問屋街歩き。街角スラム。ホームステイ先のモーリー宅へ。
ステンが迎えてくれる。
4日目
午前中報告メール、午後2時クバオシティのマニラ沖縄県人会。一世インタビュー。一世6人、2世の旦那フィリピン人会長。3世、新メンバー。寄付の報告。日本領事館に務める沖縄出身の親川さん。終了後、モーリー宅へ。

5日目
午前中、モーリー宅周辺散歩あと、ケッソンマーケットへ。午後3時、マカティ市アイヤで反町さん合流。一緒にマニラ国際交流寄金へ挨拶後、フィリピン取材を終えたドキュメンタリージャパンのディレクターさんと夕食。取材雑感を聞き、フィリピン情報も聞ける。
10時ビクトリー駅からナイトバス、バギオへ出発。

6日目
朝4時到着、『ターフ』売りじいちゃん。バギオタクシー安全。チャヤへ。仮眠、9時起床。一世の方のお宅へインタビュー。清子さん。その後、キドラッド・タヒミックさん宅へ打合せ。作品スペース見学。アートセンター「ブォーカス」へ。

7日目
アボンへ。沖縄1世を探す、住所見つかりお宅へ訪問。学生さんとアーティストエドガーとアーティストビレッジへ。夜チャヤで夕飯。
8日目
バギオからマニラへ六時間。サン・ファンへ移動、ホームステイ先の家族と落ちあった。
9日目
朝7時半出発、空港へ。台北2時に到着。5時前出発、沖縄へ。
6時那覇空港に到着。

マニラでテロ

2011年01月28日 | Phillipin
おととい私がマニラを離れてる間、マカティあたりのバスが爆破されたと聞きましたッ…!。
昨日マニラに帰ってきてホームステイの人に聞いてもジェーさんに聞いても「あ、そう。」で話終わったんですけど、何で?
そういうことで情報が入らずTwitterの牧さんに聞かなかったら知らないままだったんですが、庶民と同じ乗り物に乗ると急に危険度が高まりますね…。

っていうか昨日、トレインに乗ったんですけど…。こわい~…。

金持ちは車を二台乗り換えて悠々自適に狙われないかもですがバスも列車も庶民には大事な足。

昨日も今日も皆、変わらず乗るしかない…です。
ちなみに列車は12ペソでした。日本円で約24円。

私は列車に乗らずタクシーを利用しても良かった。タクシーだと同じ距離でも多分300円。
バスはいくらだったんだろうか。

次回からはタクシーでいいな。
こうやってお金があると少し危険も回避出来るようになってるんですね…。
平和ボケの自分を感じます。

マニラ着。初!高架鉄道

2011年01月27日 | Phillipin
ハァアッ!
帰ってきましたマニラ。
Taft Aveで初めて鉄道に乗り、Ortigas駅まで行く。

すーごーいー鉄道駅が混んでるー!

おばちゃんに「この駅オルティガス駅に行く?凄い混んでるけど」
と話しかけたら、すごい親切・一緒に乗って隣の席まで開けてくれた。
物凄い満員の上、ジプニーに体を半分はみ出して乗る国民性で押し入ってくるから、段々どうやって降りるのか心配になってきた!
マニラで毎日、働いてるおばちゃんも「ワタシどうやっておりたらいいの!」と言ってる…。

えー…。どうしようっ!乗ったはいいが、スリに気をつけ、でかいカバンを抱えて降りれるんだろかっ!

おばちゃんが隣の若いマニラ美人に話してくれ「彼女あんたと同じオルティガスで降りるって言うから着いていきなさい!」と。
か、感動。
フィリピン、基本的にみんな超優しい~~!
先に降りてったオバチャン、死闘の末、無事に自分の駅に降り立って、行ってしまうかと思いきや、わざわざ窓越しに手をふってくれる。「Take Care~」

マニラの鉄道、実は乗ってわかった。誰も乗るのを勧めないので何でだろ、と思ってチャレンジしたけど、乗れても降りれない。

だって次の駅で乗り込もうとする人たちは、日本みたいに下車する人が全員降りてから乗ろうっていう気がなく、ドアが開いたら乗って来るんだもんー。

それじゃ,降りれないじゃんよー!

マニラ美人のにっこり合図でエイヤッと凄いギュウギュウの車内を力づくで降りようとする反対方向に物凄い押し戻されるのでなかなか降りれないっ。

「降りまーすッ!!」と日本語で叫んでやっと降りれた。
ラッシュアワーだし、す、凄かった…。

で、グリーンティーラテで休んでます。
まだマニラのホームステイの家族に会えてない

フィリピン近年のニュース

2011年01月26日 | Phillipin
『厚生労働省が行う戦没者の遺骨収集事業で重大な疑惑が持ち上がっている。近年、激増する「英霊の遺骨」の中にフィリピン人の骨が含まれている可能性が高いというのだ。現地では先祖の骨が盗まれるケースも頻発、「骨を売った」という複数の証言も得た。』

「フィリピンでいわくつきの人物が立ち上げたNPO法人「空援隊」に厚生労働省が遺骨収集事業を委託してから、それまで減少状態にあった遺骨収集の数が一気に7700柱に激増。
「空援隊」が遺骨収集を始めてからフィリピンの戦闘のなかった所から日本兵の遺骨が大量に見つかったことになってるらしい。

空援隊の意を受けて厚生労働省は2009年度から収集と鑑定方法を変え、「空援隊」に遺骨収集を丸投げしてからというもの、
フィリピン現地の住民の墓荒らしが増えてるらしい。また、先祖の骨を売ったという現地の証言もあるらしい」
委託事業の予算は、一体全体いくらかかってるんだろうか?
これって私たち税金ですよね。

名前からして怪しい団体に丸投げしちゃって大丈夫なんだろかー!
こんな事が起こってるなんて知らなかった!

濃厚☆バギオ★

2011年01月26日 | Phillipin




すごいっす!やっと昨日からマニラセレブの過保護なコーディネートから離れ、自分の体を使って歩いてフィリピンを体験シタカッタ旅に近づいて来ましたっ!

昨日の夜10時発のナイトバスに乗ってバギオに早朝4時に到着。
反町さん友人園子さんが経営するCHAYAに宿泊、9時まで仮眠取って素晴らしくフレッシュなモーニングを頂き、11時にアポ無しでしたがバギオに住む沖縄移民1世の清子さん宅へ。インタビュー。
(報告展で報告します)

息つく間なく、初ジプニーに乗ってキドラッド・タヒミックさん宅へお邪魔し、息子の竹ちゃん(カワヤン=竹の意)が企画してる来月開催のアートフェスティヴァルの状況を聞き、私の参加は歓迎されてることを知り、映像作品サンプルを渡し、後はワタシの頭からどんなアイディアが降りて来るのか次第でという打合せをし、
その後多忙な反町さんと別れ(アリガト~)、アサンプションSt. のキドラッドの新しいアート建築中の場所を案内して頂き、『宇宙』から降りて来る言葉で工事を指示する彼の仕事を見て、更に二人で揚げバナナをかじりながらバギオのアートセンター『Vocas』まで移動、
そこでキドラッドと別れて、アートセンターを運営するアーティストのジェリーに珈琲をおごってもらいながらアートフェス中のVocasはフィルム上映企画があることを知り、その後フラワーフェスティヴァル会場を散策しながら歩いて宿へ帰って、汗を流してビールを飲もうと上の階のレストランへ向かうと、反町さんと日本大使館の西川さんが飲んでて合流。気がつくとレストランは大使館の人々の席、マニラ新聞記者の澤田さんの友人集り席、北ルソン日本人会の席、と、何だかいっぱい日本人が。

会ったことのないジャンルの方々の話を聞いてほろ酔いで今に至ります。

ふっしぎ~~っな濃い1日でした。

それにしても、沖縄でフィリピンのアート情報はいっさい得られなかったのに(まったく無い事ないのに…)、
人と人とを繋げるキーパーソンが今回は3人もいてその力が働くと、そしてまた私もタイミングに関しては強運な方で、これまたハマって『来た!』

何かある筈!
牧さんに眞理子さんにハルカ~にありがとーだな~~。
眠いね、

明日は朝に『アボン』へ行きます!
午後は作品参加の場所リサーチも含め、ゆーっくりバギオ濃厚滞在を遂行いたします!

朝散歩

2011年01月24日 | Phillipin




今日まで滞在しているパッセィシティのパークウッドレーン(住宅街)内を朝散歩。

塀の外と違い中はのどかに歩ける。住宅街に住む人か新しい家を建てる土建屋しか会わない。

昨日県人会で会った日本領事館に勤める親川さんが慣れてないうちは車で案内してもらった方が安心と言ってた。とりあえず今はアドバイス通りにして感覚に慣れよう。

Youchengco Museum, Asian Institute of Management Conference Center Manira

2011年01月24日 | Phillipin

ここ数日、知人の妹夫婦宅でホームステイしていろいろと

案内していただいて感じたこと。

少なくともマニラは中流階級(日本と同じような安全な地帯で一軒家に住んでる)と、

貧困層の庶民(バラックの家に住んで)が住む街がパキッと分かれてて、その線引きがはっきり視覚的にわかりやすい。

中流階級の住宅街は厚い壁で囲われた中に建ち並び、

入り口は基地のゲートみたいに警備隊が立って帰ってくる住民をチェックしている。

壁の内側は安全だという事らしい。

 

彼らは毎週日曜にはカトリック教会のミサに出席して、ジムに通って汗を流し、

午後にはショッピングを楽しむ。

彼らが住む住宅街からショッピングモールの間には道端に座り込んだ人を多く見るスラム街から

小さいけれど辛うじて一軒家を持つ一般的な多くの人々の住む街、古いレンタル貸家、庶民的な村々が続く。

言葉で言うと伝わりにくいけど、この中流階級と庶民の差が0と100くらいの差があるんで、

ちょっと絶句に近い印象を持ってしまう。

『どうしてこうなってしまってるんだろう?』

毎日、そんな印象を持ってみていますが、その事を、ホームステイの家族と話していると

なぜか彼らは、街の貧しい人々の事を『フィリピンのビッグ;プロブレム!』と言いながら、

少しほくそ笑んでいる。

なんだ?この笑いは…??

あまりにこの貧困状況が普通で、きっともう状況が麻痺して見えてないのだろうか?

彼らの目は、NYとか東京とかっていう大都会のセレブをいつでも追い求めている気がして、

その意味不明な笑みは、なんらかの優越感の現れのようにも感じた。

っていうか、世界中がきっとセレブーな生活をせっせっと追い求めている人が多いんだけど、

フィリピンはすぐ隣に、困った人々がほんっとに目に見えて溢れるように路上にいるのに

一生懸命セレブ思考で自国の問題を見ていない気がする。

まだ数日しかいないので、その見方も今の段階で言うのはわからないですけど、、。

 

まあそんなこんなと、まとまりなく、思うがままに数日暮らしてみて、

そういやーアートがなかなか見れないことに気づいた。

沖縄と一緒で、博物館と美術館の違いがあんまり意識されずにいるのか、

地図上で探しても現代アートが見れる状況はなかなかない。

まだ探せてないだけかもだけど。

 

というわけで、

明日の予定。

Youchengco Museum

ようやっと、アートが見れそうです。

明日午後早めに美術館に行ってみます。

地図↓

RCBC Plaza corner Ayala and Sen.

Gil J, Puyat Avenues,Makati City

 

そして、午後3時にJAICAの反町眞理子さんと落合います。

Asian Institute of Management Conference Center Maniraで研修をされてるとのこと。

待ち合わせ場所は、わかりやすい場所でマクドナルド。Greenbelt1の近く。

 


本日は予定通り

2011年01月23日 | Phillipin

今日はマニラ沖縄県人会へ。

月一回、県人会の集まりが開かれているということで伺いました。

沖縄でその情報を教えてくれた宮良カズコさんが

 

『あのねー、クバオのねー、アラネ~タコロシアムという

大っきいショッピングモールの裏道にねー、オフィスがあるよー。

チョップスティック.レストランの隣にあるねー、

ヤングトレードビルディングの中の2階だよー』

 

 

と言っていたのを聞いて、ちんぷんかんぷんで、

果たしてこの情報だけをたよりに無事に到着できるのかと

不安だったんですが、その通りにオフィスが見つかりました。

すごいっそのまんまにチョップスティックレストランがありましたよー!

次回もきっと来られるように、写真で記録。

 

チョップスティック ハウスの隣にあるヤングトレードビルディングの2階に

オフィスがあります。

 

 

どきどき。

約束の2時より1時間まえに電話して、今日の予定はちゃんとあるのか

確認したところ、担当者がフィリピーノで日本語は通じず、

私のつたない英語と担当者のタガログ訛り?の英語でやっとこさ会話したら、

今日は予定通り県人会メンバーが集まりますよ。と言っていた。

ぁぁっやっと会えるっ

 

 

2階のオフォス看板の下がった部屋をあけると、おおー、たくさんいらっしゃいました。

 

平均年齢70代後半、フィリピン移民1世のおばあちゃんたち。

 

にこやかに迎えていただき、

 

『まーんちゅかぁ?』

 

との質問に一瞬、タガログ語?

いやいや、うちなー口だった。とあせりました。

英語もなかなかすぐに返答できないですが、

うちなー口にも反応できませんっ…ワタシ。

 

 

沖縄で情報を集めていたとき、県庁の国際交流課は最近は

マニラの県人会と連絡がつかず、情報がないと言われ、逆に情報が入ったら教えてほしいと

言っていた。それもあって私はきっと辿り着けないんじゃないか、お会いできないんじゃないかと

思っていたのですが、全然!そんなことはない、たくさんメンバーがいますし、

月一回は必ず集まっているとのことです。

そして、今日は1世だけでなく、2世~3世も集まってなにやら報告会をしていました。

説明をしている男性は、現在の県人会のまとめ役。

フィリピン人。

顔だけ見てると、なるほど、うちなんちゅじらーと思ったら、

生粋のフィリピン人でした。

 

ん?   なんで?

よくよく聞くと

彼の妻が2世ということです。

説明はすべてタガログ語だったので、ちんぷんかんぷん。

おばあちゃん達に翻訳をお願いしたら、『私もここに50年住んでるけど、

タガログ語はちょっとわからんからね、途中途中は何言ってるかわからんよー』

とのこと。

ぇえっ? それでいいの? 大丈夫?

県人会って1世のおばあちゃんに話通じてなくっていいのー???

 

 

世代は変わりこの会を続けていくのに2世、3世が新しくメンバーに加わり始めて、

その後に続く皆さんは日本語は喋れないとのことです。

それでもこうして集まってくるのは、自分のおばぁ達をこのオフィスまで車で連れてきて、

いつものおしゃべり報告会が終わるのを同じ部屋で待ってる孫が沖縄を知り、意識することになったのかもしれない。

 

今日聞いたお話はまたまとめてご報告しまっす。