山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

怒濤の一週間がやっと終わり。。

2009年07月27日 | Weblog
先週は怒濤の一週間。展覧会も無事終わり、5日間で470名近くの来場があったとお知らせ頂きました。
仕事もあるので毎日居られませんでしたが、出来る限りは会場にいました。
芸大の企画展示室でしたので学生さんがたくさん来られてました。また、県外からわざわざこの展覧会にお越し下さった
ダンス批評家の武藤さん、社会学の研究者の方、映画祭コーディネーターの友人がおりました!ありがとうございました~。

今回は主催者側にまかせっきりでもあったので、案内が遅れた、もしくはできなかった方もいてすいません、。
いっぱいいっぱいになると、大きくどさっと抜けてしまって反省しました。


作品「あなたの声は私の喉を通った」に翻訳が付きました!
翻訳監督の海さん、本当にどうもありがとうございます。急なお願いでしたが、作品のテーマなどに
深く読み込んでいった上での翻訳に取り組んでもらい、とても丁寧な説明もあって本当に助かった。

この翻訳付き作品をヒロシマアートドキュメント09(8月開催)で上映します!
海外の方へ伝えることができるのでとても嬉しいです。





映画『惑星ソラリス』『スモーク・シグナル』

2009年07月22日 | 映画
いま桜坂劇場でやっている『惑星ソラリス』を見た。
冒頭と最後の水草とさざ波が美しいこと。
始まりあたりにたっぷりと時間を使って表現しているところが今の映画にはちょっとない時間感覚と
タルコフスキー感覚に浸りました。前日から展覧会準備等で寝不足ともあり、ほんとに寝てしまいそうに
なりましたが、中盤から最後まで目が離せない展開。
思考をもった宇宙空間が夢の中で見たイメージを現実物質に変えていく。恐ろしいイ。


ジェームス中川さん・トモ子さんお薦めの『スモーク・シグナル』もいい映画でした。
ポストコロニアズムとジェンダー差別
父性の喪失から生まれる内側に向けられる暴力
アル中、DV、パワーによって虚勢された男の誇りの喪失感、孤独が家族に暴力になって向けられていく
その被害は女と子どもに向けられる
暴力をうけた女は、子どもは、失われた父性、民族の誇りを抱くその勝手なふるまいの男を許せるか、否か。
映画のタッチは消して重くなりすぎない形で描かれていますが、そこがリアルな気がした。
と、いうか
オキナワそのものと言えるテーマ。
インディアンが土地を奪われた時代を今の時代に語っているシーン、インディアンの子孫達、
彼らの言葉は始終英語ですすむ。

沖縄映画もこれくらいきちんと描くべきだよな、本当に。



昨日はアーティストトークでした。
思う事多し。
他者の言葉は愛もあれば、刃もある。刃言葉に愛があるとは言い難い。
刃言葉にはたいがいは言いたいから言っているだけでまともに受けてると身がもたない。作品を深く読んでくれる人もいれば、
見ないままに切りたくなる人もいる。イメージが先行して作品に辿り着かない場合も多い。
でも私はつくっているし、会っている。
表に出すということは、表現だ。黙々と密やかに創るのもよし、ぶつかって表道を歩いて転がってころんで創るのもよしと
しようじゃないですか、時間はなくなる一方だ、静かな時間を守り続ける事も大事だし、声をかけ合ってつくっていくのもいいと思う。
 ともかくまだまだ始まったばっかりであって、つくったものを懐古するつもりはない。
まだ見ぬ人に会いたいということと、まだ見ぬ作品を想い呼び出すことに躊躇するつもりはない。
そのための忠実さは失わないように、するだけは守る。
外から固められるイメージなんて壊してしまえばいいだけだ、しょう。


あいかわらず作り続けていくスタンスで行きます。
・・・・・・
(お兄ちゃんありがとう)


「残傷の音」岩波書店

2009年07月13日 | アート活動速報
『残傷の音』アジア・政治・アートの未来へ
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0230260/top.html


 金曜から東京へ。岩波書店から出版された本「残傷の音」を記念して、また
アジア政治アートの最後の集まりとして、成蹊大学へ行き素敵な方々との再会。

いつも芯から光っているように見える李静和さんが笑顔で迎えてくださった。
abeさんshinnjyouさんがすでに沖縄から到着しててabeさん久しぶりでしたーいつも
高江での活動の情報が聴こえて来ていて、なかなかお会いできなかったので良かった。

DVDを編集したソニさんと今回は一番に会いたかった、大変な編集だったと思うのですが、
素晴らしい批評の言葉をもった映像だとたくさんの方の感想をもらっていたソニさんでした。


 3年間のプロジェクト、「アジア・政治・アート」。ここに来て私は実感したことがある。
沖縄で制作してきた私の作品はアジアという広がりとうねりの中で思索されるべき何モノかを抱え込んでいるのだと
知らしめてくれたのはこのプロジェクトで出会い言葉を尽くして書いて頂いたたくさんの方々だった。
 小さな島の中に閉じこもり、下手すると島特有の共同体に牙を抜かれ死んでいたかもしれない私に
声をかけてくれた。それはまた無意識にも意識的にも私の体が捉えた、土の中から水の中から穴の中から
死者が作品を通り過ぎていったからなんだろう。そうか、私は目に見えない数知れない死者達に抱かれて
生かされてきたんだと、いま素直に思う。
 アジアの空気を吸おうと思った。まだこの身体の隅々に沈殿するもの、この身体が吸い込むべきもの
が広がっていてへたってはいけないんだ。
「残傷の音」が聞こえるように。雑音を消して耳を澄まして。

◇籠を編む 最後まで編まない籠 いつからか編み込まれいつのまにか解けていく籠 形が出来て来てそして最後の欠片を残して魂の入り口 終わらないで続くし形も定まらず流れていく 呼吸ができる籠流れる籠  
(高橋悠治さんが泡盛を飲みながらお話していた) 
 魂の入り口