山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

最後の戦い

2010年08月31日 | 映画
最後の戦い

この映画にこの音楽が意表をついてさいこー!
このセンスって無意識?すごい面白いセンスだ。24歳の時の作品だと。今とはまったくの別人の感性なんだろか。

素晴らしい

2010年08月30日 | アート活動速報
昨日はすごく面倒見のいい、人生の生き方をおしえてくれる石川真生さんと一緒に
東松照明さんのお宅へ。

写真人生60年のお話は話す要点に無駄がない!素晴らしくスマートで感嘆の領域でした。
色々とありましたがもったいので話しませんっ
ありがとうございましたぁ。




東松照明 「時を削る」長崎県美術館
2010年9月16日(木)~11月7日(日) 

く、曇り

2010年08月12日 | アート活動速報
本日、中途半端なくもりっす。
撮影断念。
ぎんぎんに晴れてないと。
最近まいにち天気予報が変わるので、読めないっす

ハイニシムイS氏は映画の仕事で、琉大映研の部長かっちんも山本監督
と撮影で沖縄を歩いているようです。
私も勉強&経験したいー!

明日こそ晴れてくれッ!

「待つ」ということ/鷲田清一

2010年08月04日 | 絵コンテ・写真日記
『....〈待つ〉というのは、時間を駆ることはしないが、しかしただたんに流れるままにまかせる
というのでもないような身がまえということになる。そう、ひとは向こうからやってくるのを
期して〈待つ〉。〈待つ〉ことには、「期待」や「希い」や「祈り」が内包されている。
否、いなければならない。〈待つ〉とは、その意味で、抱くことなのだ。

〈待つ〉ことはしかし、待っても待っても「応え」はなかったという記憶をたえず消去しつづ
けることでしか維持できない。待ちおおした、待ちつくしたという想いをたえず放棄すること
なしに〈待つ〉ことはできない。

...待つことの甲斐のなさ、それを忘れたところでひとははじめて待つことができる。〈待つ〉
ことにはだから、「忘却」が内包されていなければならない。〈待つ〉とは、その意味では、
消すことでもあるのだ。

 抱きながら、消す。この振り幅が、じれったさということを〈待つ〉にもたらす。待ち遠し
い、待ちこがれる、待ちわびる、待ちかねる、待ちあぐねる、待ちくたびれる、待ち明かす、
待ちつくす・・・・と、このじれを表す言葉はくどくどしいほどある。

 意のままにならないもの、偶然に翻弄されるもの、じぶんを超えたもの、じぶんの力ではど
うにもならないもの、それに対してはただ受け身でいるしかないもの、いたずらに動くことな
くただそこにじっとしているしかないもの。そういうものにふれてしまい、それでも「期待」
や「希い」や「祈り」を込めなおし、幾度となくくりかえされるそれへの断念のなかでもそ
れを手放すことなくいること、おそらくはそこに、〈待つ〉ということがなりたつ。』