山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

脳裏に映る記憶の部屋

2009年09月06日 | フォト&エッセー
◎【フォトエッセー】
山城知佳子
「記憶の部屋」



 「目を閉じてあなたが部屋に入るのを思い描き、左肩越しに見渡して下さい。家具が一点、窓が一つ、絵が一つ、あるいはその部屋の角にいつも置かれているものを見てください。この場所はあなたの最初の記憶の部屋です。あなたの記憶を蓄えるための部屋を構成する壁面と部屋の角を入れた10個所を思い描いて下さい。さらに場所が必要なら、隣の壁をつたって部屋を幾つ足しても構いませんが、必ず同じ方法で思い描いて下さい」
 ……部屋に入る。真正面の窓の脇に母の鏡台が置かれている。窓の外から差込む光が鏡面に反射してまぶしい。幼児期に過ごした見慣れた部屋を左肩越しにぐるりと半円描いて見渡す。左側の木目のある壁に近づくと鉛筆書きの落書きを見つける。覚えたてのひらがなで、私の名前と2人の兄の名前が鏡に映ったようにひっくり返って書かれている。
 と、突然時間が高速で進み、あたりは昼間の明るさから急激に暗くなり夜になった。壁に沿って視線を下方に向けるとレコードプレーヤーを囲んでゲームに興じる小さな兄達が現れた。兄のそばには幼い私もいる。自分が分裂したようだ。大人の私が幼い私を見つめる。兄達は好きな音楽を持ち寄り、どの曲が最高に面白いかを互いに説明し合い批評している。勝ち負けを決める基準はわからないが、どうやらお気に入りの曲を聞き比べて競い合っているようだ。
 幼い私は年の離れた兄達の遊びを理解できずうらやましい思いで傍らに引っ付いている。ひとしきり彼らの遊びを見た後、ぐるりと部屋の残りの隅を左肩越しに見渡し一周すると、部屋の中央に年老いた祖母が横たわっている。時間が進んだのか戻ったのか、窓の外は闇夜から昼下がりへと瞬時にして変わり、まぶしい陽光をたたえた木々がさわさわと揺れている。
 電気を消した真昼の部屋の中は暗く、祖母は逆光で黒い影をかたどっている。3歳の私には祖母は威厳があり巨大に感じる。祖母は畳にひじを付いて横たわり、その近くを小さな私はちょこちょこと動き回るうち祖母の顔を足でまたいでしまった。遠くから母の声が聞こえる。祖母を足でまたぐのは失礼な行為だから止めなさいと母に注意を受ける。私は母の、祖母に対する尊敬の気持ちを初めて知り、自分の行為がいけない事だと知って驚いた。ふと、我に返る…。
 『記憶の部屋』を試みた。脳の中で構成されていない情報を思い起こすために効果的な手法なのだそうだ。物のある部屋をイメージし、物体とイメージを関連させてみる。忘れてしまった情報を思い出すために、心の中にある部屋をざっと見て回り、知っている物と関連するイメージを視覚化させてみると、脳裏に映像が映り動き始める。
 当時の感触や感情が徐々によみがえってくる。遠くから自分を呼ぶ声が初めは小さく、次第にはっきりと聞こえてくる。ある映画のワンシーンが私の体験した記憶と絡まる。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』で詩人が自分自身の記憶の中の人物に問いを投げかけ、答えを求める。「明日の時の長さは?」「永遠と一日」。記憶の中で生きる人々は、心の中に定着し永遠にたたずんでいるようだ。そして詩人は彼の最期の仕事を「言葉で君を、ここへ連れ戻す」とつぶやく。と、この映画のワンシーンも私の記憶に刻まれた。


慰霊の島の風景

2009年02月15日 | フォト&エッセー
沖縄タイムス「慰霊の島の風景」
山城知佳子 

 「回想法」という、個人の人生の歴史、思い出を話してもらうという場で高齢者の方々の話を聞いた。公なものでなく、証言してもらう場でもなく、高齢者のデイサービスセンターで、思い思いに語っていくグループ回想法だった。
 
 18名の方々が円形になって席を並べ、お互いの顔を見合わせながら語っていく。「今日は沖縄の戦前・戦後」と言って、若い介護士が大きく引き延ばした当時の写真を見せる。「この写真は戦前ですか?戦後ですか?」司会進行する介護士も私も知らない、昔の沖縄の情景。「これはね、戦後だよ」鐘のタライで洗濯をしている女性の写真。「あの頃は、そうそう!こんな風に洗濯したよ。洗濯するのも一日がかり。子どもをおんぶしてね、終戦直後はね…」。
 那覇の農連市場の写真に女性が泣き出す。「思い出すよぉ!那覇だよ、那覇!」。コザ暴動の写真に男性が口々に語り出す。日の丸を揚げて子ども達が群がる写真に一人の男性が語り出す。「僕はサイパンで生まれた。移民でね、20年働かされた。戦争に使うサトウキビを作らされて…」。
 
 自然と戦時中に時が移行する。
 語る顔を見つめていると、彼らが私の目の前から消え、当時の記憶の中へ戻って行くのがみえる。どんな状景を思い出しているのだろうか、私にはわからない。言葉にされない隠された言葉が漂っている。言葉にできない情景が身体を震わせ、喉を詰まらせ、水の粒が瞳から落ちる。そして、記憶の中から現在に還って来る。人がこの場から消え記憶の淵に立つ瞬間を目の前に、不安と衝撃を受ける。
 
 私にはわからないことはわからないという事実は変わらない、ということがわかった。回想を聞く事で私は伝えること、聞く事について考える暇もなく、写真撮影に入った。
 聞いていた私に触れてくださいとお願いをし、こちらから手を握りしめると、身体に親密感が伝わってくる。みんな、笑顔だ。次々と手をとり、顔を包んでもらい、抱きしめられる。肌の暖かみと皮膚の皺ののびる感触はお互いに一体感の空気を生み出した。そのうち話を聞くことしかできない世代と世代の壁が消滅し、解け合う皮膚の感触の現実だけがお互いに伝わり合った。その時確かにはっきりとわかった。体験者の現実はわからないが、ただ、私の知らない厳しい歴史をかいくぐった方々と私は同時代に生きているのだ。皮膚と皮膚が触れ合った瞬間は、今という瞬間でしか生まれないのだと。
             


「たゆたう視線と世界観」フォトエッセーまなざしの行方

2009年02月09日 | フォト&エッセー
フォトエッセーまなざしの行方(沖縄タイムス文化面2009.2.2)
「たゆたう視線と世界観」

 昨年東京近代美術館で開催された「沖縄・プリズム」展に「アーサ女」という
写真と映像作品を発表した。海藻のアーサを身体にまとい、浮きつ沈みつ沖縄の近
海を漂っている「アーサ女」の視点で沖縄を見つめ、新たな沖縄像を発見すると
いうテーマの作品だ。
 「沖縄プリズム」展でも過去から現在まで沖縄に注がれてきたまなざし、「内なる
視線」「外なる視線」を乱反射させ、今まで闇だった箇所に光を当てることで立
ち上がる新しい表現というものを求めていた。 
 私はそれを受けて「戦争」「基地」「観光」「自然・文化・芸能・癒し」など、
これまで語られて身体化し、無意識に定着させてしまった沖縄像を自分なりに解体して
新しい目で見た表現を試みた。  
 「アーサ女」にはひげがついている。身体にまとわりついたアーサがいつの間に
か口元をひげのようにかたどっているのだ。自分の中で身体化してしまったあるイメー
ジを解体するため、新しい身体に変革しようと海に飛び込み、形を流動的に変え
ながら絶えず循環し息絶え絶えに不安定に死と生の間を、女から男に男から女に
性別をまたいで行ったり来たりする「アーサ女」は変身物語として読めなくもな
い。
 心理学など勉強しなければとても説明できることではないけれど、「世界」を
見る為に今までにない新しい目を持とうとする事はいかに大変なことか、死の危
険も孕むような精神・身体改革が必要なんだと改めて思った。
 制作途中、ある評論家とお互いの近況を話す機会があった。その人は子ども番
組で戦隊モノに出演する女性戦闘士の描き方を、ジェンダーの観点で分析している
と言った。私もある意味、戦隊モノの変身系アート作品に取り組んでいるところ
だと笑って返した。
 だが展覧会が始まり、ある思想家に「アーサ女はもうすでに人間じゃない、あなた
人間じゃないのよ」と言われた。その言葉は変身説より突拍子なく、驚いた。
 「アーサ女」は人間ではなく海藻そのものであり、島を「内」や「外」から「
見る」「見られる」という視点の構図を外したのかもしれない。
 もしそんな視点を持てたのだとしたら、それは新しい沖縄を見るための第3の目
として「アーサ女」が生まれて来たのだろう。
 「アーサ女」が生まれるまでの過程に起こった心的変化には「謎」がたくさん
ある。作った本人もすぐに解読できない「謎」があるのが芸術作品だろうと思う
し、制作後の「謎とき」が次の創作意欲をかき立て、作り続ける力になっている
気がする。(おわり)

◇写真説明:県内各地の海で撮影した映像作品「アーサ女」のワンシーン。
      沖には「海上保安庁」と書かれた船がある=(2008年9月、名護市辺野古沖)