砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

ゆらゆら帝国「空洞です」

2017-12-21 12:33:51 | 日本の音楽


「あの、ご趣味は?」
「ブログ更新を少々…(ポッ)」
「奇遇ですね!僕もそうなんです!」
「あら、私たち気が合いますわね。…どんなタイトルなんですの?」
「砂漠の音楽」
「え?」
「砂漠の音楽」
カコーン(ししおどしの音)


年末なのでブログを書きます。ここ最近寒くて蒲団から出られずに滞っていましたが、今年はあと1回くらい更新したいと思います。蒲団から出られるかどうかはわかりません。家から出られるかはもっとわかりません。冬眠したい。

さて今年も終わりということで、最後にふさわしい1枚、ゆらゆら帝国の『空洞です』について。彼らの作品のなかではこのアルバムが一番好きです。個々の曲は地味ですが、アルバム全体が非常にうまくまとまっているのも大きいかな、曲数も少なめ。最後の作品に詰め込むよりも、自分たちの納得のいくものを厳選したのでしょう。曲自体は初期のような奇抜な勢いもないし、『めまい』『しびれ』以降のヘンテコな感じも薄く、どちらかと言えば淡々とした演奏でわりに聴きやすい作品だと思います。これを聴いてぐっと来た人が『めまい』や『しびれ』を聴くと、本当にめまいを起こしそう。

曲のタイトルが素晴らしいのは相変わらずで、「できない」「あえて抵抗しない」「やさしい動物」このへんの並びのセンスが素晴らしいと思います。タイトルのセンスが光っているのは「うそのアフリカ」「されたがっている」と初期の頃からですが、ちょっと聞いただけでもぐっとくるものが多い。どうやって思いつくんだろう、本当に不思議。

曲の紹介。M1「おはようまだやろう」では甘美なサックスのメロディが流れ、彼らにあるまじきお洒落さが漂っています、とはいえどこか昭和歌謡のような雰囲気もあります、それがまたいいんだけど。あと上に書いたM3「あえて抵抗しない」も好きです。「ホゥッ」という奇怪な掛け声とともに、トレモロのかかったギターのリフと単調なドラム。そして「さしずめ俺は一軒の空き家さ」「住もうが 焼こうが 好きにすればいい もししたいのなら」という歌詞。これはどういう意味なんだろう、どういうつもりなんだろう。歌詞だけ見ると諦めの気持ちが強そうですが、「諦観」「無気力」というより「お前の主体性はどうなんだ?お前はいったいどうしたいんだ?」と問いかけているような気もする。「空き家」「くぼみ」などの何もない空間について言及されていて、アルバムタイトルの『空洞です』と若干の関連性がある曲。リンクはライブ(?)のもの。マラカス楽しそう。

ゆらゆら帝国 - あえて抵抗しない


一番好きな曲はM10「ひとりぼっちの人工衛星」。静かなパーカッションのリズムとともに立ち上がり、淡々と繰り返されるギターのリフ、繰り返されるリズム。間奏で鳴るフルートが良いし、サビのメロディも好き。タイトルもそうだけど歌詞も切なくて、「役目を終えた さよならをした 軌道を逸れさあ行こう 果てまで」「好きな人 好きな場所 好きな星」と少しずつ遠ざかっていく感じ。死を連想させる曲。Youtubeに音源がないのが残念、気になる人は借りるか買ってくださいな。

そして最後のタイトルトラック「空洞です」。こんな曲、どうやって思いつくんだろう、どんな心境で作曲したんだろう。何度も「それは空洞!」と歌いながらも、歌詞の中では「面白い」と言ったり、トゥットゥルーと楽しげなコーラスが入ったり、悲壮な感じはしません。M10で死んだあとに、「空洞」つまり「無」になるってことだけど、それはそれで悪いことじゃない、むしろ面白いんだ、そんな風にも解釈できるのでは。もちろん彼らの音楽に、理屈をこねたような解釈など野暮なのでしょうが。

ゆらゆら帝国 『空洞です』


「できない」「あえて抵抗しない」「ひとりぼっち」「空洞」と、字面だけ見るとなんとも物悲しいのですが、聴き終ると何かよくわかんないけど元気が出るアルバム。麻薬でも入ってんのかな。
今年ももうすぐ終わりますし、人生もあっという間に過ぎていきます。過ぎ去った日々を「美しい思い出に満ち溢れた素晴らしいもの」と否認、美化するのではなく、「空洞のようなもの」「無為な時間」であったことを直視しつつ「それでもいいじゃん」と思う強さ。そんな強さがこのアルバムには秘められているようにも思うのです。あー今年もあっという間に終わりそう!悲しい!空洞!!

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