私はこう思う。
小説に書かれたストーリーは決して空想ではない。
そして、小説を読んで浮かんだ着想、光景も決して空想ではない。
なぜなら、私たちが慣れ親しんだ視覚、聴覚、嗅覚などの
五感で感じられたものが空想でないというならば、
外界からの何らかの触発によって生まれた着想や想念も
空想でないと言い切れない。
これが私の作家としての出発点なのだけども、
何も目新しい発見もない、学問的探究心も私にはない。
必要もなかったから。
簡単なことを難しく書こうとも思わないし、
難しいことは端から書けないと自覚している。
ただ、今私が考えるような思考形式では、
解決できない問題がこれから先に起こるような気がしてならない。
つまり、AはBでなる、BはCである、だからAはCだ。
のような基礎論理が通じない問題にこれから私は直面するような
気がするからだ。
それは果たしてどんな問題かというと、
私の感覚ですごく単純に書くと、
私の目の前にいるあなたは果たして本当に存在するのか。
なぜ、私とあなたは違う存在なのか。
哲学書に出てくるやたらめったら難しい用語を並べるつもりはない。
単純に疑問に思うから問うている。
ヘーゲルの解釈で出てくる、純粋無は純粋有と同一の規定である。
と書かれている箇所は、全くのところ字句的な意味は計り知れないが、
どうやら同じようなことを考えているような気がする、ということだけは分かる。
しかし、その根本的問題に取り掛かる前に、
解決しないと先に進めない問題がある。
それは、人間の倫理的問題と道徳的問題だと思う。
旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーも登場人物に同じような
セリフをしゃべらせていた。
自分を愛するのと同じように何故他人を愛せないのか。
また、何故人を殺してはいけないのか。
必要ないです。
日常生活を静かに送っていく上ではまったく。
たぶんこれが必要なのは、私が死んでその後。
思い込みといったらそうなのだけど、
人生で一番確信を持ってしまっているこの観念をどうしたらいいのか
最初迷っていた。小説という表現形式に出会うまでは。
私は高校を2年で自主退学して、大検資格をとるまでに、
丸1年、ずっと自分の内面をじっと観察する十分な時間があったからかもしれない。
たかだか日本の1億数千万人のうち、1人が人生棒に振っても、
何の問題もないでしょという気持ちで小説を書きたいと思った。
文章を書くのは好きだけど、上手といわれたこともないし、
ストーリーなんて考えるのは苦手だし。
ただ単に思い込みが激しいタイプだと自分でも思うから。
だけど、この確信が消えない限り、小説を書いていきたい。
小説に書かれたストーリーは決して空想ではない。
そして、小説を読んで浮かんだ着想、光景も決して空想ではない。
なぜなら、私たちが慣れ親しんだ視覚、聴覚、嗅覚などの
五感で感じられたものが空想でないというならば、
外界からの何らかの触発によって生まれた着想や想念も
空想でないと言い切れない。
これが私の作家としての出発点なのだけども、
何も目新しい発見もない、学問的探究心も私にはない。
必要もなかったから。
簡単なことを難しく書こうとも思わないし、
難しいことは端から書けないと自覚している。
ただ、今私が考えるような思考形式では、
解決できない問題がこれから先に起こるような気がしてならない。
つまり、AはBでなる、BはCである、だからAはCだ。
のような基礎論理が通じない問題にこれから私は直面するような
気がするからだ。
それは果たしてどんな問題かというと、
私の感覚ですごく単純に書くと、
私の目の前にいるあなたは果たして本当に存在するのか。
なぜ、私とあなたは違う存在なのか。
哲学書に出てくるやたらめったら難しい用語を並べるつもりはない。
単純に疑問に思うから問うている。
ヘーゲルの解釈で出てくる、純粋無は純粋有と同一の規定である。
と書かれている箇所は、全くのところ字句的な意味は計り知れないが、
どうやら同じようなことを考えているような気がする、ということだけは分かる。
しかし、その根本的問題に取り掛かる前に、
解決しないと先に進めない問題がある。
それは、人間の倫理的問題と道徳的問題だと思う。
旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーも登場人物に同じような
セリフをしゃべらせていた。
自分を愛するのと同じように何故他人を愛せないのか。
また、何故人を殺してはいけないのか。
必要ないです。
日常生活を静かに送っていく上ではまったく。
たぶんこれが必要なのは、私が死んでその後。
思い込みといったらそうなのだけど、
人生で一番確信を持ってしまっているこの観念をどうしたらいいのか
最初迷っていた。小説という表現形式に出会うまでは。
私は高校を2年で自主退学して、大検資格をとるまでに、
丸1年、ずっと自分の内面をじっと観察する十分な時間があったからかもしれない。
たかだか日本の1億数千万人のうち、1人が人生棒に振っても、
何の問題もないでしょという気持ちで小説を書きたいと思った。
文章を書くのは好きだけど、上手といわれたこともないし、
ストーリーなんて考えるのは苦手だし。
ただ単に思い込みが激しいタイプだと自分でも思うから。
だけど、この確信が消えない限り、小説を書いていきたい。