
本日より「島根・山口・福岡・広島の旅2013」二日目の工程をお届けします
先を考えると...完結するまで長くなるので憂鬱ですが、区切りよくノンビリ更新したいと思います

さて、二日目の朝は生憎の雲行き
肌寒く、雪が“舞って”いました。

▲宿泊ホテルの朝食バイキングにて
休日なので、ゆっくりしたいところですが...
オプションツアーに申し込んだので7時半過ぎにはバスに搭乗して出発!というタイトなスケジュール。
(逆に申し込まないと“11時まで”ホテルで呆けてなければいけないのです...数人は置いていかれました)
で、バス
は一時間ほど走り、島根県にまた戻ってきました。

▲津和野川の奥に郷土館
こちらは“山陰の小京都”と言われる津和野町。
島根県西南に位置し、古くから地方政経文化の中心として現在に至る地域。
その昔、つわぶきが生い茂っていたことから“つわ蕗の野”-そして「津和野」と
呼ばれるようになったと伝えられています。

そして津和野と言えば、
国の重要無形民俗文化に指定された津和野弥栄神社の鷺舞(さぎまい)が有名ですね。

▲辺りに高い建物がないので、横殴りの風が冷たかったです
当時の古式をそのまま残している数少ない優雅な神事で、津和野の風物詩として
毎年7月20日・27日に弥栄神社から舞い始め、町内数か所で舞うそうです。
(1983年からは観光振興の一環として間の24日にも舞いが奉納されるようになり、弥栄神社境内とJR津和野駅前でも行われているとか)
実際の行事を見ることはできませんでしたが、その様が伝わってきそうな迫力ある像でした。
(ここは絶好の記念写真スポットです
)

▲武家屋敷のなまこ塀が並ぶ石畳の通り:殿町通り
そして津和野観光の中心地区「殿町(通り)」を散策。
この界隈はかつての家老屋敷が隣接し、多くの史跡が今尚残っています。

▲城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物が一際目立つカトリック教会

▲教会内と言えば長椅子が並んだ光景が当たり前かと思いきや、こちらは珍しく畳敷き

▲多胡家:亀井氏11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄

▲瓦葺きの立派な武家屋敷門が今尚残り、その奥は町役場として使われています

▲藩校養老館:かつて旧藩時代藩士の子弟を教育した場所

▲儒学・国学・医学・数学・礼学・兵学・武道等多彩な教科があり、文豪[森鴎外]をはじめ多くの俊才を生んでいます

▲現在は建物の一部を民俗資料館として活用されています

▲太鼓谷稲成神社へ向かう鳥居。稲荷ではなく、「成」の字を使うのここだけ

▲5月下旬~6月はハナショウブが咲き競うそうです
もっとも印象的だったのは白壁と格子窓の屋敷が立ち並ぶ割堀に放たれた町のシンボルである鯉たち。

▲想像以上に大きいです!
この鯉たち...
互いに引っ付いたまま全く動きませんでした(笑)
春~秋にかけてもらう餌を無尽蔵に食べ続け、狭い堀内を動けないせいか...
丸々と太っているのです。

江戸時代に飢餓をしのぐために非常食として飼われていた名残もあって、
今尚大事にされているようですね。
さて、約一時間のオプションツアーを駆け足で回ったワケですが、
飽きることなく過ごせたのは現地のガイドさんのおかげ
“毒付いた漫談”のようなガイドが楽しくて終始笑い放しでした(笑)

▲文芸茶房「沙羅の木」にて
そして雪舞う肌寒いオプションツアーの最後に待ち受けていたのは“お土産処”...
このガイドさん、本当の仕事は何と販売員だったのです

▲和紙と竹細工の器は食洗機も可能な逸品!
で、そのままの流れで気持ちよく御当地モノも紹介されると...
この地の紙漉き場で作られた和紙を竹細工に特殊な製法で張り付けた器を買ってしまいました。
(後悔してませんが)

▲源氏巻 抹茶味
そして極め付けは津和野の地にて元禄時代より伝わる銘菓「源氏巻」。
餡を芯にしてカステラ状の皮で巻いたお菓子は、出来立てのアツアツを食べると格別でした
------------------------------
■津和野名物 源氏巻
頃は元禄11年、赤穂の浅町内匠守の刃傷が起きる前のことです。
当時の津和野藩主、亀井滋親公が勅使接待役を命じられ、吉良上野介に典儀故例の指導を受けていましたが、浅野同様、数々の辱めをうけて大いに憤り、吉良を斬って自らも自害する決意をしました。
それを知り、国家老多胡外記が、御家の一大事と早速吉良家に進物を贈りつけたところ、吉良の態度は一変、殿様は無事大役を果たす事ができました。
その時の進物、「小判を包んだ形のお菓子」が源氏巻の原型になったということです。
津和野を救った縁起の良いお菓子として、広く親しまれています。
------------------------------

▲津和野焼きアイス
更に名物なのか詳細不明ですが...
ブリオッシュ(卵とバターをたっぷり使ったイタリアのパン)でジェラートアイスを挟んで
15秒ほど焼いた「焼きアイス」まで食べてしまいました。
焼き立てパンは熱々ですが、やはり中は冷たいアイス...
雪舞う中で“凍えながら食べた”思い出深い御当地スィーツでした(笑)
(つづく)
【過去の記事より →ここのガイドさんもお土産屋の主人でした[一泊二日旅行(長野編2 善光寺にて厄落とし)]】

先を考えると...完結するまで長くなるので憂鬱ですが、区切りよくノンビリ更新したいと思います


さて、二日目の朝は生憎の雲行き

肌寒く、雪が“舞って”いました。

▲宿泊ホテルの朝食バイキングにて
休日なので、ゆっくりしたいところですが...
オプションツアーに申し込んだので7時半過ぎにはバスに搭乗して出発!というタイトなスケジュール。
(逆に申し込まないと“11時まで”ホテルで呆けてなければいけないのです...数人は置いていかれました)
で、バス


▲津和野川の奥に郷土館
こちらは“山陰の小京都”と言われる津和野町。
島根県西南に位置し、古くから地方政経文化の中心として現在に至る地域。
その昔、つわぶきが生い茂っていたことから“つわ蕗の野”-そして「津和野」と
呼ばれるようになったと伝えられています。

そして津和野と言えば、
国の重要無形民俗文化に指定された津和野弥栄神社の鷺舞(さぎまい)が有名ですね。

▲辺りに高い建物がないので、横殴りの風が冷たかったです
当時の古式をそのまま残している数少ない優雅な神事で、津和野の風物詩として
毎年7月20日・27日に弥栄神社から舞い始め、町内数か所で舞うそうです。
(1983年からは観光振興の一環として間の24日にも舞いが奉納されるようになり、弥栄神社境内とJR津和野駅前でも行われているとか)
実際の行事を見ることはできませんでしたが、その様が伝わってきそうな迫力ある像でした。
(ここは絶好の記念写真スポットです


▲武家屋敷のなまこ塀が並ぶ石畳の通り:殿町通り
そして津和野観光の中心地区「殿町(通り)」を散策。
この界隈はかつての家老屋敷が隣接し、多くの史跡が今尚残っています。

▲城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物が一際目立つカトリック教会

▲教会内と言えば長椅子が並んだ光景が当たり前かと思いきや、こちらは珍しく畳敷き

▲多胡家:亀井氏11代にわたって家老職を務め、藩財政に大きく貢献した家柄

▲瓦葺きの立派な武家屋敷門が今尚残り、その奥は町役場として使われています

▲藩校養老館:かつて旧藩時代藩士の子弟を教育した場所

▲儒学・国学・医学・数学・礼学・兵学・武道等多彩な教科があり、文豪[森鴎外]をはじめ多くの俊才を生んでいます

▲現在は建物の一部を民俗資料館として活用されています

▲太鼓谷稲成神社へ向かう鳥居。稲荷ではなく、「成」の字を使うのここだけ

▲5月下旬~6月はハナショウブが咲き競うそうです
もっとも印象的だったのは白壁と格子窓の屋敷が立ち並ぶ割堀に放たれた町のシンボルである鯉たち。

▲想像以上に大きいです!
この鯉たち...
互いに引っ付いたまま全く動きませんでした(笑)
春~秋にかけてもらう餌を無尽蔵に食べ続け、狭い堀内を動けないせいか...
丸々と太っているのです。

江戸時代に飢餓をしのぐために非常食として飼われていた名残もあって、
今尚大事にされているようですね。
さて、約一時間のオプションツアーを駆け足で回ったワケですが、
飽きることなく過ごせたのは現地のガイドさんのおかげ

“毒付いた漫談”のようなガイドが楽しくて終始笑い放しでした(笑)

▲文芸茶房「沙羅の木」にて
そして雪舞う肌寒いオプションツアーの最後に待ち受けていたのは“お土産処”...
このガイドさん、本当の仕事は何と販売員だったのです


▲和紙と竹細工の器は食洗機も可能な逸品!
で、そのままの流れで気持ちよく御当地モノも紹介されると...
この地の紙漉き場で作られた和紙を竹細工に特殊な製法で張り付けた器を買ってしまいました。
(後悔してませんが)

▲源氏巻 抹茶味
そして極め付けは津和野の地にて元禄時代より伝わる銘菓「源氏巻」。
餡を芯にしてカステラ状の皮で巻いたお菓子は、出来立てのアツアツを食べると格別でした

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■津和野名物 源氏巻
頃は元禄11年、赤穂の浅町内匠守の刃傷が起きる前のことです。
当時の津和野藩主、亀井滋親公が勅使接待役を命じられ、吉良上野介に典儀故例の指導を受けていましたが、浅野同様、数々の辱めをうけて大いに憤り、吉良を斬って自らも自害する決意をしました。
それを知り、国家老多胡外記が、御家の一大事と早速吉良家に進物を贈りつけたところ、吉良の態度は一変、殿様は無事大役を果たす事ができました。
その時の進物、「小判を包んだ形のお菓子」が源氏巻の原型になったということです。
津和野を救った縁起の良いお菓子として、広く親しまれています。
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▲津和野焼きアイス
更に名物なのか詳細不明ですが...
ブリオッシュ(卵とバターをたっぷり使ったイタリアのパン)でジェラートアイスを挟んで
15秒ほど焼いた「焼きアイス」まで食べてしまいました。
焼き立てパンは熱々ですが、やはり中は冷たいアイス...
雪舞う中で“凍えながら食べた”思い出深い御当地スィーツでした(笑)
(つづく)
【過去の記事より →ここのガイドさんもお土産屋の主人でした[一泊二日旅行(長野編2 善光寺にて厄落とし)]】