『陽当たりまぁまぁ』

事実に惹かれ、事実に学ぶ

「判断」

2010年04月14日 | そこの細道
ホンマによ~降りまっせ~
この状態じゃ、梅雨に雨は降らんのか?って気にならん?

さて、近所のスーパーが名前を変えた。
長男が通う小学校の隣りにあるから、最初の情報源は彼だった。
「1Fに空いてたスペースあったじゃん。あそこにたこ焼き屋ができて靴下とかも売ってる」
「えぇっ?!たこ焼きと靴下一緒に売ってんの?!そんなのありえんじゃん」
ところが実際行って見ると、ホントに同じスペースでたこ焼きも靴下も衣類も本も売ってる
一体ど~ゆ~いきさつでこ~なったんでしょうね。衣類や本に匂いがつくがな

打ち合わせでも、又聞きでも、
(何でフンフン聞いてんの?そこはツッ込むとこでしょ!)ってよく思うんだ。

最近借りたDVDで、超つまらんものがあった。もう観るのやめよかって思ったくらい。
でも後半で(おっ!)と思う場面が出て来た。
それは、麻薬の売買でついに刑務所に入ることになった主人公が、その前に友達に会うところ。
「俺のこと、自業自得だと思ってるんだろ。」そう言って友達に自分を殴らせようとけしかける。
友達も、彼が刑務所に入るのは自業自得だと思いつつ、止めようとしなかった自分自身を責めて、
泣きながら彼を殴る。殴る殴る。でもその後、お互いスッキリしてるんだ。

結局、言わなかったり、いい人でいるのは、ある意味無責任なのかもしれん。

わしも無責任だった。ある人の話を聞いてきた。おかしな事言ってるって感じながらも、
この人にとっては、今は聞くことが大切なんだと思って時が過ぎた。
心のどこかで、きっと本人も、都合のいいおかしな事を言ってるって
気付いてるだろうと期待しつつ。

でもある時分かった。本人が気付くどころか、自分やまわりがよかれと思ってしてきた事が
相手のおかしな考え方を助長させてただけだったってね。

「アンタ、間違ってる」。言えばリスクを負うけど、確信と覚悟の上さ。
伝わらないなら、それはもう本人の問題だから
本人が自分自身と向き合わない限り、まわりはどうする事もできましぇん
コメント (2)
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