ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

「古代の都 なぜ都は動いたのか」

2024-05-27 | 読書日記

シリーズ古代史をひらく「古代の都 なぜ都は動いたのか」(吉村武彦他著 2021年8月 岩波書店 314p)を読みました。

 

飛鳥から難波、平城京、平安京と
古代の都は動いた。
なぜ、動いたのか?
そして
平安京はなぜそれ以降、動かなかったのか?

もちろん結論は出ていない。
(このシリーズの面白いところは
最終章の座談会で
結構忌憚のない意見を言い合っているところ)

「動く」というのは大変なことだ
と思いがちだけれど
案外そうでもないのかもしれない
古い都の建物を分解して使うことが出来るからだ。
(この時代、釘はどのくらい使われていたのだろうか?
もしもホゾによる組み立てだったら
分解→組み立て
は案外容易だったのかもしれない。
柱は、地面に穴を掘って立てる掘立柱だそうだし)

新しい都の土地を探して動き回ったのは
聖武天皇と桓武天皇
聖武天皇は都の適地を探す巡行に出たし
桓武天皇は
平城京→長岡京→平安京
と都を移している。

都とは
「その時の支配者集団が
「やろうとしたこと」
「できたこと」
「できなかったこと」が集中して現れている場所だ(馬場基)
のだそうだ。

面白いのは
なぜ平城京のような条坊制(碁盤の目)の都を作ったのか
ということだ。
遣唐使が長安に行って
条坊制の、北側に宮のある
巨大な都(長安)をその目で見て
圧倒されて
これで行こう!
となったという説もある。
(?)


聖武天皇が巡行を重ねた末に
ここだ
と決めてつくった平城京。

その平城京にアウェイ感を抱いていた桓武天皇は
(聖武天皇の血筋ではなかったので)
自分の都を作ろうとして
こっそりと計画を進め
素早く長岡京に移った。
でも、長岡京は失敗だった
というところ
が面白い。

文献資料に加えて
この頃は発掘調査が進んでいるので
「古代の京」の研究は
ますます面白くなりそうだ
そうです。

 

 

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