ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

「超人ナイチンゲール」 栗原康

2024-03-17 | 読書日記

「超人ナイチンゲール」(栗原康著 2023年11月 医学書院 241p)を読みました。

講談のような文体
(高校時代、よくラジオで講談を聴いていたものです)
が面白い。
「おめでとう。
フローレンス・ナイチンゲールの誕生だ。
ときは1820年5月12日。
場所はイタリアのフィレンツェ……」
(ナイチンゲールは両親の3年に及ぶ大新婚旅行中に生まれた)
といった調子だ。

子ども向けの伝記全集には欠かせないナイチンゲール
灯を持って病室を回る場面が印象に残っている
(というより、そこしか残っていない)

ナイチンゲールは大金持ちのお嬢様だったので
(父親の年収は億単位)
看護師として働きたいと言っても
とんでもないと家族から反対された。
(子ども向けの伝記では、そのあたりはぼかしてある)
社交会にデビューして
条件のいい人と結婚することを期待されていたのだ。

学ぶことは反対されなかったので
ナイチンゲールはひたすら学び
医学や生理学も学んだ。
(父親は3つの大学を出た人で
家庭教師の知識では飽き足らなくなったナイチンゲールに
自分が大学で学んだことを教えた
この時代、良家の子女は学校には行かないものだったから)

ナイチンゲールにだってロマンスはあったのだけれど
結婚の申し込みは断った。
結婚=社交
なんてまっぴらだと思ったのだ。

30才過ぎて
ようやくナイチンゲールの願いが叶えられることになった。

クリミア戦争がはじまって
イギリス軍の傷病兵たちの置かれた状況が
フランス軍と比べてあまりにもひどい
ことが報道され
戦時大臣のハーバートは窮地に陥る。
ハーバートは知人のナイチンゲールに
クリミアに派遣する看護団の団長になってくれるように頼んだ。
(ここで退屈だった社交生活が生きて来る)
団長ならと家族も認める。
以後は病院の課題を次々に解決して……

ナイチンゲールの顔の広さと(寄付などによる)資金力は
生涯彼女を助ける。
社交生活も無駄ではなかったのだ。

後に
ナイチンゲールは
クリミアの状況を統計の手法でまとめたりもしている。
(ナイチンゲールは数学好き)

確かに、天使というより超人です。

 

 

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