ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

「古墳と埴輪」 和田晴吾

2024-07-31 | 読書日記

「古墳と埴輪」(和田晴吾著 2024年6月 岩波新書 281p)を読みました。

「日本列島の長い歴史の中で
人びとが憑かれたように
古墳づくりに熱中した時代があった」
熱中
現在残っているものだけでも159953基!

日本の人びとの特性の中に
量で表現する
というのがあるのかもしれない。
形に凝ったり
埴輪に凝ったり
副葬品に凝ったりしないで
これだけのものをつくる人材を持っている
ということを量で表現する。
(大きな古墳になれば15年かかるというから)

著者の視線は中国にも向かう。
人が生きているのは
「魂」(こん・精神
             天から与えられた陽性のもの)
「魄」(ぱく・肉体
             地から与えられた陰性のもの)
が体内に宿っているからだという。
死ぬと魂魄は分離し
一方は天に帰り、もう一方は地に帰る。
だから肉体を
古墳の表面の土を深く掘って埋めるのだ。
さらに
古墳の表面に他界を模した世界をつくって
他界へと誘う
のだという。

埴輪は他界を表現するミニチュアなのだ
そうです。

中国や半島にも言及しているところが
新鮮でした。

 

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「時を刻む湖」 中川毅

2024-07-28 | 読書日記

岩波科学ライブラリー「時を刻む湖  7万枚の地層に挑んだ科学者たち」(中川毅著 2015年9月 岩波書店 122p)を読みました。

薄い本ですが
熱い本です(駄洒落)

放射性炭素年代測定法
というものが一番だと思っていた。
ところが
数百年から数千年のズレがあるという。
(時代によって大気中に含まれる放射性炭素(炭素14)の量にバラツキがあるため
全く同じ生物でも時代によって体に含まれる放射性炭素の量が異なるから)

そこで
年代ごとの正確なものさしが必要になる。
そのものさしになるのが「年縞」(ねんこう)なのだ。

この本では
福井県の水月湖で掘られた湖底の土が
世界標準になるまでが(熱く)語られている。

水月湖は条件が揃っている。
流れ込む川がないため湖底が乱されることがない
生物がいないため湖底が乱されることがない
近くに断層があるため7万年の間、徐々に湖底が下がって水深があまり変わらない
ということが長い間続いた。
(世界にも例がない)

著者と
ドイツ、イギリスの学者たちが
協力し合って年縞を「時間のものさし」にした
経緯が語られる。

細かい正確なものさしは
例えば
「人類がアフリカら拡散していく長い旅の途中で何を見たのか
何に突き動かされて新しい土地に入って行ったのか
を理解するためにも
正確な年代に裏打ちされた環境復元は欠かすことができない」
と著者は言う。

さらに著者は言う。
「これから水月湖と矛盾するデータや
水月湖より細密なデータが提出されれば
(現在も
木の年輪
サンゴ
鍾乳石
氷河などが年代測定に使われている)
水月湖の地位が相対的に低下することもあるだろう。
その意味では
水月湖は大きな一歩ではあるが
究極の到達点ではないのだ」

現地には
「年縞博物館」があるそうです。
(行ってみたい)








 

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「マティス 装飾が芸術をひらく」 天野知香

2024-07-26 | 読書日記

「マティス 装飾が芸術をひらく」(天野知香著 2024年5月 平凡社 377p)を読みました。

マティスの絵が好きです。
特にアトリエなどを描いた「室内画」が。
(できれば人物などの描かれていないもの↑)

ヨーロッパでは古来
宗教や歴史、物語を描いて
精神性を高めるものが
価値のある絵とされてきた。
つまり「深さ」のある絵だ。

印象派の時代からは
美的な価値以上のものを求めない
とされてきた。

その流れにあるマティスは
「良き肘掛け椅子」(本人の言葉)のような絵を追求して来た。

一見ゆるゆると描かれているようなマティスの絵。
ところが
それはゆるゆると描かれたものではないのだ。
マティスはデッサンをして
一枚の絵を描くのではない。
数日に一枚
彩色した絵を仕上げる(試みる)
また次を描く
また次を描く
というふうに10枚ほども描いて→仕上げる。
自分を追い込む人なのだ。

本も書く
彫刻も作る
舞台美術も
衣装デザインも
病気をした後は切り紙絵に取り組み
教会まで建ててしまう…

新書を一冊書こう
と思って取り組み始めた著者
ところが出来た本は377p

マティスもすごいけど著者もすごい。

 

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「芸術新潮 追悼特集 舟越桂」

2024-07-26 | 読書日記

3月に亡くなった彫刻家・舟越桂さんの追悼号が出ました。
「芸術新潮 追悼特集 舟越桂」(2024年8月 新潮社)

「森へ行く日」は
額が小さくなりすぎた
とずっと気にされていました。
が、かといってすぐ作品として完成させるのではなく
不安や希望も創作の過程としてとらえていた。
引っかかりを持ち続けて
次の創作に繋げていくようなところが
桂さんにはありました。
(三沢厚彦)

舟越さんの作品から
物語性や寓話性、童話性が見出せるとすれば
それは絵本編集者でもある姉・末盛千枝子さんの
影響もあるのかもしれません。
また
形態には変遷があっても
舟越さんの彫刻がまとう品の良さや
詩的で静謐なたたずまいはずっと一貫してありました。
この静謐な美しさは
彫刻家である父・保武さんの仕事にも
通ずる部分があると思います。
(酒井忠康)

 

 

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「死んだ山田と教室」 金子玲介

2024-07-22 | 読書日記

「死んだ山田と教室」(金子玲介著 2024年5月 講談社 300p)を読みました。

高校2年生の山田は
交通事故で死んでしまう。
猫を庇って。
明るい人気者だった山田の死によって
沈み込む級友たち。
と、突然教室に山田の声が響く。
山田は教室のスピーカーになっていた。

第1章は「席替え」
山田の提案する座席が教室に展開する。
視力の弱い者は前の方に
共通の話題のある者は隣同士に
部活の朝練のある野球部員は入口あたりに
新聞部員はみんなを観察できる後ろの席に
……
日頃から周囲をよく観察していた山田でなくてはできない配置だ。
(人物紹介になっている)

学園もの?
高校生の友情もの?
と思って読み始めたら
物語は思いがけない展開を見せる。

クラスの人気者だった山田の別の面が見え始めるのだ。
別の面……

一年たって
クラス替えがあっても
山田は消えない。
卒業式が来ても
山田は消えない。
同級生が大学を卒業する年になっても
山田は消えない。
なぜ?

たったひとり
スピーカーとして教室に取り残された山田
の孤独
がひしひしと迫って来る。

いったいいつまで孤独は続くのか?
そして
いつ始まったのか?

まさか
こう展開するとは
思いませんでした。

 

 

 

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「ビブリオフォリア・ラプソディ」 高野史緒

2024-07-20 | 読書日記

「ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅」(高野史緒著 2024年5月 講談社 219p)を読みました。

ビブリオフォリアは愛書のこと。

ハンノキのある島で
バベルより遠く離れて
木曜日のルリユール
詩人になれますように
本の泉 泉の本
の五編が収められている。

どれも本が出て来る話。

「バベルより遠く離れて」がいい。
両親の経営するコンビニで働く傍ら
泰(あきら)は翻訳をしている。
時代は
感染症後で戦後。
コンビニは四角くてピカピカしたものではなくて
雨戸のある雑貨屋になっている。
24時間営業でもない。

泰は南チナ語の翻訳家だ。
日本には泰1人しかいない。
寒冷の地であるのに
なぜ南が付いているのか分からない南チナ。
泰は、今
南チナ文学の最高峰と言われるチャツネ・キムチ・メシウマの長編の
翻訳に取り組んでいる。
タイトルは「古い大きな木の足元で微風に吹かれて眠る人々の手に握られた葉」だ。
これを、どう訳せばいいのか……

コンビニにトゥーッカという「日本語を話す外国人」の男が現れる。
妙に高い位置にズボンのベルトをした男だ。
男は言う。
「不老不死の呪いを掛けられている」と。
不老不死……
ロマンチックな響きがあるが
実際になってみると大変だ。
70歳の体で不老不死になっているのだ。
身体もきかなければ、膝も痛い。
(じゃあ、50歳ならばいいのか?
30歳ならば、20歳ならば?
何歳でも、その年齢年齢に苦労はある)

トゥーッカは
ある方組を(処方箋)見てくれという。
いわゆる古文書だ。
それを読み解けば不老不死の呪いは解けるのか……

そこに台風が来る。
トゥーッカは河川敷に住んでいるのだ……


普段なら組み合わせない材料で作った料理を食べる
という感じです。


 

 

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「われは熊楠」 岩井圭也

2024-07-18 | 読書日記

「われは熊楠」(岩井圭也著 2024年5月 文藝春秋 328p)を読みました。

「作家になる前から
いつか熊楠を書かなきゃいけないと思っていました」
という著者。

その通り熊楠への距離がとても近い。

弟から資金援助を得て
自由に研究をしていた前半よりも
弟と不仲になり
経済的にも思うように行かなくなり
その上
息子の熊弥が精神の病になって
日中は熊弥を看病し(見張り)
夜に研究をするという追い詰められた暮らし
の方が熊楠の距離が近くなる。
(読者の共感をかき立てる)

熊楠を
脳内の声(ときの声)が聞こえる人
(ADHDの人の特性?)
という設定にしているのが効果的だ。
ー熊やん、もう限界じゃ。
ー何を。論文はようけ書いてる。
ー諦めぇ。日本でも学問はできら。
と、いくつもの、方向の違う声が聞こえる。

ときの声ばかりではない。
中学時代に親しかった(亡き)羽山繁太郎、蕃次郎兄弟が
たびたび現れ
語りかけて来る。
「熊楠さんは、熊弥が病んでもうたんが怖いんとちゃう
己が病んでまうんが、怖いんでしょう」

著者は言う。
「熊楠はあらゆる分野を横断的に研究していましたが
なかでも菌類・粘菌・淡水藻の研究に熱心でした
私も大学時代、カビやバクテリアといった微生物の研究をしていたんです
だから、もし熊楠を書くなら絶対に自分の手でやり遂げたいと思っていました
彼と重なる部分の多い自分になら、深く書けるのではないかと」

深いです。
そして近い。

 

 

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「熊楠さん、世界を歩く。」  松居竜五

2024-07-18 | 読書日記

「熊楠さん、世界を歩く。冒険と学問のマンダラへ」(松居竜五著 2024年3月 岩波書店 210p)を読みました。

ちょっと荒々しいひと
というイメージがある熊楠
にしては
表紙の絵が可愛らしい

著者は「南方熊楠顕彰館」の館長

今までのイメージをくつがえすようなものを書きたい

熊楠の書いたものを現代語になおし
(「宇宙ノ幾分ヲ化シテ己レノ心ノ楽シミトス
コレヲ智ト称スルコトカト思フ」

「宇宙のほんの少しの部分を自分のものとして
心の中の楽しさに変えていく。
これが智と呼ばれているものの正体だと
ボクは思うんだ」)
さらに
主語を「ボク」にして
文中では「熊楠さん」と呼び
「「楽しさ」のみを追い求めた
とても理解しやすい人だった」
というイメージで一冊を貫いている。

和歌山から東京に行き
アメリカに行ってイギリスに渡り
「楽しい」学問を続けた熊楠
(学校というところにはなじまなかったので
ほとんどが独学)

さらに
ピーターラビットのビクトリアス・ポターとほぼ同年で
ロンドンでの住まいも近く
どちらも菌類の研究をしていたけれど
ポターは女性だということで学会に受け入れられず
(熊楠は東洋人だということで差別を受けていたらしい)
失望して研究をやめ
ピーターラビットを書くようになり
印税を自然保護活動に注ぎ込んだ
(熊楠は神社の周辺の自然を保全するようにと神社合祀反対運動を起こした)
などなど
たくさんの共通点があるのだということで
ピーターラビットのイメージが付加されて
著者のねらい通り
すっかりイメージが変わりました。

 

 

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「A・ウェイリー版 源氏物語 2」

2024-07-17 | 読書日記

「A・ウェイリー版 源氏物語 2」(毬谷まりえ 森山恵姉妹 訳 左右社 701p)を読みました。

澪標から真木柱まで。

この巻の中心は、夕顔の娘・玉鬘
明石の君が上京し、六条院に入る
とか
源氏と葵上の子・夕霧の恋
とか
読者の反応を見て
最も反応の良い玉鬘物語に舵を切った。
(勝手な想像です)

夕顔の死後
乳母に連れられて筑紫に行っていた玉鬘は
(実は頭中将の娘)
地元の有力者に求婚され、舟で逃げ出す。
京に着いて心細い思いをしている時に
偶然、夕顔の侍女で、今は源氏に仕えている右近に出会い
源氏に引き取られることになる。

源氏の娘ということで求婚者が引きも切らず
でも、なかなか実の父・頭中将には会わせてもらえない。
源氏はしじゅう来ては
あやしいほのめかしをする。
いつの間にか好きでもない髭黒大将の妻にされ
(髭黒の正妻は心を病んでいる)
……

読者は玉鬘から目が離せなくなる
という仕掛け。

何か言われてむっとしたのか(著者が)
蛍の巻では
源氏は物語論を展開したりする。

「バランス良く広い教育を施しておけば
あとあと性格にも振る舞いにも必ず個性は生まれるからね」
という女子教育論も源氏に語らせる。

「遠くではレディが何人か
テンペストを生き延びた花はないか、と
バスケットを手に花園を歩き回っています
その姿は、庭に不思議に美しく立ち籠める霧のなかに
隠れては現れるのでした」
というような情景描写もたっぷり。

 

 

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「レディ・ムラサキのティーパーティ」 毱矢まりえ 森山恵

2024-07-17 | 読書日記

「レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳源氏物語」(毱矢まりえ 森山恵著 2024年2月 講談社 300p)を読みました。

レディ・ムラサキは紫式部のことです。

1925年にアーサー・ウェイリーが訳した源氏物語「The Tale of Genji」を
さらに日本語に訳し戻した「源氏物語 A・ウェイリー版」(左右社)の訳者
毱矢まりえ・森山恵姉妹の翻訳話です。

毱矢姉妹の訳では、冒頭は
「いつの時代のことでしたか。
あるエンペラーの宮廷での物語でございます」
(!)
となっている。

エンペラーは恋に落ちる
え?
寵愛は恋だったの
(光源氏の母・桐壺更衣は
宮中での嫌がらせにあって死んでしまうけれど)
桐壺更衣は帝をどう思っていたのだろう?
はたして帝に恋をしていたのだろうか?
(ご寵愛は、ちょっと迷惑だった?)
などと言葉が違えば考えることも違ってくる。

中でも末摘花について書いている章が面白い。
末摘花の容姿
背が高く、肩のラインがくっきりして、鼻は高く、色が白い
を外国人の血が入っていたから?
と推理している。
紫式部は(ちょうど今ドラマでもやっているけど)
越前に行って、宋の人とも交流があった。
ひょっとして、そういう容貌の人を見たことがあるのでは?
と姉妹は推理する。

末摘花は「待つ」人でもある。
源氏が須磨に行ってしまった後も
ひたすらに待ち続ける。
屋敷は草に埋もれてしまうほどで
そこに通りかかった帰還した源氏に発見されるくだりは
「眠り姫」の物語のようだと姉妹は言う。

末摘花の純粋な「待ち」に心を動かされた源氏は
末摘花の屋敷に手を入れてくれ
最後には自分の屋敷に迎え入れる。
源氏が流謫の苦労によって精神的に成長したことが
読み取れるそうだ。
(なるほど)

2人は言う。
「百年前のイギリス
ひとり孤独に紫式部と対話しながら
千年前の未知の物語に向かい合ったウェイリー。
わたしたちも翻訳に向かったのである。
紫式部の声に耳を澄ませながら
ウェイリーの声に耳を澄ませながら」

らせん訳「源氏物語」を
読んでみたくなりました。

 

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