4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

モロッコ(1)VS(0)日本

2005年06月22日 05時44分58秒 | ニュース
ワールドユース 2005
決勝トーナメント1回戦
2005年6月22日
モロッコ(1)VS(0)日本
エンスヘデ

勝てば99年以来2度目のベスト8そしてベスト4へ向けイタリアとの決戦が待っている。
4-3-3のモロッコに対し11番MFカレンを右サイドに下げ9番FW平山をトップにおき、DF3TOPに備えた4-5(2-3)-1の布陣で挑んだ日本。
モロッコサポーターで埋められたスタジアム、オープニングの日本国歌が流れる中もブーイングが続いた。
開始早々モロッコがスピードのある突破と絶妙な横のパスワークで日本を追い込むが15分を過ぎ徐々に日本も流れを掴む。スピード、パスの精度はほぼ互角、日本は35分8番MF中村、38分に7番MF梶山が共に11番ベンダムへのファウルでイエローを受けるが総ファウル数、ミスの数では僅かに日本が優勢。11番FWベンダムによる左突破から横パスを出されピンチの場面もDFが適確に対応し脱する。1トップの平山へのボールはほぼ断絶されたが、11番MFカレンの19分27分と2度に渡るバーに拒まれる惜しいシュートはモロッコゴールを脅かし、低い位置でのモロッコのパスミスに得意のスピードを活かしたプレスは何度も日本の攻撃の起点となった。
ロスタイム1分も両チーム責め倦ね得点を刻む事はできなかった。
後半先に動いたのはモロッコ。5分に20番FWシイに代えアヤックス所属の14番MFリベルカを投入。
日本は13分17番MF家長に代えトーナメント進出を決めた19番FW前田を投入し攻撃の数を増やす。26分には12番MF水野に代えこれまでキャプテンを任されていた10番MF兵藤を投入。20分を過ぎモロッコDF陣の足が止まりはじめる。ここがパスの通らない平山に代え森本を投入するタイミングだったかもしれない。5番DF増嶋21番GK西川を中心としたDF陣がクレバーなコンビネーションで再三のピンチを防いだ。
ロスタイム残り1分パスミスからモロッコスローインとなる。日本DFの1瞬の集中力の途切れにタイミングを逃さなかった9番FWラジュルがDFの間を抜け西川の股を通し試合を決めるゴール。ここで監督は増嶋に代え森本を投入。49分カレンのラストシュートは枠をはずれ、日本ベスト16敗退が決まる。

最後まで諦めず全員で攻め続けた今日の試合は2006年北京オリンピック、2010年アフリカ大陸ワールドカップに大きな期待がもてる内容となったと思う。今後の彼等の躍進に期待したい。
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2005年06月21日 03時19分24秒 | ニュース
研ぎすまされた身体能力を使い切った守備への貢献。先のギリシャ戦では見方選手に合わせたタイミングの適確なパス。そして素早い前線への上がり。低いポジションの為、最近はシュートを見る機会こそ少なくなってしまったが、過去最高の切れ味を見せている。彼が100%納得の行くプレーができるチームに1日も早く仕上がる事を願う。
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MVP

2005年06月21日 03時18分50秒 | ニュース
苦しいコンディションの中、中盤でボールをまとめる重要な役目を担っていた。早期の回復で100%の実力を発揮して欲しい。また来季は新しい環境でさらなる飛躍も期待する。
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コンフェデレーションズカップ ギリシャ戦

2005年06月20日 03時04分16秒 | ニュース
コンフェデレーションズカップ

B組
2005年6月19日
日本1VS0ギリシャ戦 キックオフ18:00
フランクフルトスタジアム

前半30分中盤のイニシアチブを日本に握られたギリシャがはやくも動く
4番タブラリディスに代えボール保持力の高い10番ツァルタスを投入
ギリシャは縦に繋ぎサイドに流してからクロスをあげ中央からアタックを基本に、高いボールからの攻撃を繰り返すが、田中、宮本が身体を入れタイミングを合わせない。
日本は素早いパスとスピードある走力を武器にギリシャ陣営を翻弄する。
玉田、柳沢が枠に収まるシュートを放てば、サントス、加地が横パスよりもシュートを優先して相手ゴールを脅かす。
メキシコ戦とは一転スピード感溢れる。シューティングゲームとなった。
98ワールドカップのクロアチア戦の中山を彷佛とさせた柳沢のゴールへの執念と絶妙な飛び出しのセンスに本戦までの活躍を来したい。
前節1点が遠かった日本に対し、3点完封で終息したギリシャはすでにハートブレイクに陥っているようだ。
後半ギリシャは運動量をあげ前線でのプレスを強化。13分までに交代枠を使い切り攻勢にでるも田中、宮本を中心としたクレバーなディフェンス、中田の秀でた運動神経による絶妙なパスカットで尽く攻撃の足場を削る。徐々にギリシャの足は泥濘に落ちて行き集中力まで遅れ出す。
31分福西からのパスを中村が左足のインサイドでゴールに進んだ大黒へ送る。大黒がDFを背負い込み体勢を崩しながらのシュートがゴールに突き刺さり先制。
ロスタイム2分もギリシャは球際へのスピードが足りずチャンスを作れず、ロングボールを放り込むだけとなった。
ラスト1戦に向け走り続けて欲しい。
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アウフヴィダーゼーエン

2005年06月19日 23時11分59秒 | その他
○6月18日(土)
・起床、朝食08:30

・集合・出発10:30~11:00
専用バスでハノーファー・ランゲンハーゲン国際空港へ

・空港着11:30
係員にフランクフルト(ギリシャ戦)には行かないのか?と声をかけられる。
みれるものなら観たいもんだが、そうは問屋が下ろしてくれないのが現実。
今回ドイツを案内して頂いた方はブラジルーメキシコの南北米対決を観戦するということだった。

・ハノーバー発12:50
空路LH-1027〔所要時間1時間05分〕

・ミュンヘン着13:55
だった数十分の空港滞在だった。数時間だけでも市内を観たかったと悔やまれるが仕方ない。いつの日かまた・・来ないかな~

・ミュンヘン発15:30
LH-1027

6月19日(日)
東京(成田)着09:50
通関後、解散
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アウトバーン

2005年06月19日 23時10分55秒 | その他
○6月17日(金)
・起床、朝食08:30
受付のコンセルジュに今朝のスポーツ新聞を譲ってほしいと訪ねると笑顔でサッカー欄だけ譲ってくれた。これが勝利の記事だったらさらに幸せだったろう。
昨日の日本戦、ドイツ国内放送では「日本は眠っている」「日本はなぜ走らない?」「この後本当のサッカーを観ましょう(ブラジルーギリシャ戦)」と散々な評価を受けていたらしい。また一部関連記事では日本を代表する中田英がnakataではなくnataka?と表記されていた。市内で購入したスポーツマガジンでも日本の摩訶不思議な陣系が掲載されており、ドイツの日本代表に対する認識の低さが強く見れた。昨年12月の試合の評価も強くイメージされているのだろうか。

・集合・出発10:00
専用バスで“北ドイツの真珠”ツェレへ
ホテル前ではスカパースタッフと元代表選手の高木さんが移動の準備をしていた。ギリシャ戦の地フランクフルトへ向かうのだろうか。また昨夜はアーセンベンゲル監督がいたのに、会う事ができなかったので残念だった。
街までの道のりは農家が並び、牛や馬が放牧されている。都会とは違う落ちついた気分にさせてくれた。

・ツェレ観光10:40~12:50
ツェレ城を中心に旧市街、気組み家屋など古きドイツの町並みが現在に残る可愛らしい街。来年ハノーバーへ訪れるサポーターには弾丸でなければ是非ともお勧めしたい。観光地らしくさまざまなお店が立ち並んでいるため土産探しにも都合がいい。来年はさらに混雑するんだろう。
遊戯王グッズが至る所で販売されていた。ドイツでも人気らしい。
昼食12:50~14:10
市庁舎地下のレストランで原産のホワイトアスパラを頂く。毎年23日までしか食べられず、南ドイツでは値段が倍になり日本ではここまで新鮮なものをたべることさえ難しいとのことだった。

・コンチネンタルタイヤ「コンチドローム」14:45~16:30
このツアー2度目の目玉。きっとここへ訪れることが出来た事もまた大変貴重だっただろう。数多くのマシンテスト
から大学の研究、狩りにまで使用される巨大なテストコース。
ここで急傾斜を持つ約2キロのテストコースを試乗用ベンツにて220キロで試走。人生の中でジッとコースター以外でこのGを体験する事はもうないだろう。

・ホテル着17:40

・レストランにて夕食(イタリア料理)20:00~23:30
徒歩
前日に引き続き、大量の料理。(同オーナーによる店鋪とのこと)すでに胃は吸収しきれないほどだったが、その洗練された味の為、ふたたびハラに流し込む。昨夜同様ラストには消化に良いという高アルコール(ウォッカ?テキーラ?)を頂く。
・ホテル着23:30
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コンフェデレーションズカップ

2005年06月19日 23時09分55秒 | 観戦記
・スタジアム着17:10
★コンフェデレーションズカップ
B組
日本1 VS 2メキシコ戦 キックオフ18:00
ハノーバースタジアム 24096人
1時間前に到着。会場には人が入り始めていたが空席が目立だった。
ほぼ8割がメキシコサポーターで埋まっていた。多さにも驚いたが、日本人サポーターの少なさにもまた目を疑いたくなった。あれだけ最終予選でお祭り騒ぎしていた方々はやはり国内ブラウン管専門なのだろうか。いや、それよりもウルトラスの応援が聞こえなかった事だ。メキシコのそれが日本のものに酷似していたためあまり違和感はなかったが、まちがいなく日本の歓声は耳に入らなかった。これがコンフェデというものなのだろうか。隣国のワールドユースの方が注目が高かったのだろうか。
先日の発表でさらにランキングに差がついた両国。18戦無敗の相手とは言えリベルタドーレス杯出場組を4人も欠いているチームに、最終予選と同様の緊張感をもって望めば勝利への道筋も明るいと期待した1戦だった。

試合開始から数分サントスのパスミス、シュミレーション判定ぎりぎりの転倒など、メキシコによる左サイドからのアタックに早くも押されはじめる。
11分宮本のパスを中央で受けた小笠原が右サイドに駆け上がった加地の前方へ絶妙なパスを送る。追い付いた加地が素早い横パスをゴールに放り込むと、長いハイボールへの対応が得意な柳沢が中央に駆け込む左のアウトに軽く当てゴールに送り込み先制。
その後も
13分中田の中央の駆け上がりからのパスがサントスに通るもDFのスライディグによりタッチを割りチャンスを失うが
14分中村のパスに併せた柳沢のシュート等少しずつ連係に熱が入る。

しかし日本の流れが訪れる事はなかった。
サントスが17番にフォンセカに気を取られるばかりにスペースをつくりすぎてしまい。いつまでも左サイドの危険度が下がる事はなかった。
24分左サイドに持ち込んだ中村が逆サイドのゴールエリア駆け込んだ中田にボールを送るがDFにガードされボレーシュートは空振りに終わる。
28分サントスによる後ろからのスライディングによりFKをあたえてしまい。フリーの9番FWボルヘッティに頭で合わされピンチに。しかし川口のパンチング、田中のクリアにより脱する。

エキシビジョンはリアルタイムの画像を流し続けるため、時間やスタメンを確認する事ができなかった。
(メンバー交代、得点の際のみ表示された。)

メキシコはサイドから中央に送り長身なFWによるセットプレーを繰り返し、日本に攻撃の手をあたえない。

39分フリーの7番MFシーニャが絶妙なクロスボールを受け、落ち着いて放ったドライブシュートがゴールに落ち同点とされる。(1-1)

メキシコサポーターの陽気な歓声が全体を流れるウェーブに乗り会場中に響きわたる。

中田がボランチの位置から再三TOPまであがり攻守に貢献するが縦への連係が噛み合わず好機をつくれないままロスタイムの1分も終了。


後半開始早々からDFラインの隙を突かれボールを持ち込まれる。
福西の左手にまかれたテーピングが目につく。
7分6番MFトラード(攻撃的)、21番ロサーノに代え22番ペレス(6/8の地区予選で得点)、24番ピレラを投入。
13分腰痛の為プレーの精度が不安視された中村に代え稲本を投入。稲本が得意のワンツーでの上がりを見せるもメキシコDFに連係を切断される。
19分田中が9番FWボルヘッティへのファウルからFKをあたえてしまう。FKを左に短く出しそのまま左サイドを抜け出され、中にいる9番FWボルヘッティへ通り1度外のペレスへ戻し再び中へ送ったボールに17番FWフォンセカがヘッドで併せ勝ち越し。(1-2)
22分8番MF小笠原に変わり16番(地区予選まで31番)大黒を投入。4-4-2の布陣で稲本、中田とのホットラインで縦への突破を期待したい。
しかし日本はここの選手の踏み出しの遅れからか、スピードが弱まりつつあるメキシコの裏をかくことができない。
37分3番DF茶野に代え9番FW玉田を投入しさらに攻撃に力をそそぐ。
41分決勝点を決めたFW17番フォンセカに代え守備的MFJ.P.ロドリゲスを投入
44分45分と玉田が果敢に相手ゴールエリアに突破を仕掛けるがすでにスタミナが消耗している選手達には辛い時間帯となっていた。
ロスタイム2分ここのタイミングで蹴るには得点の確率が低いサントスの放った左CKはDFに弾かれ中に浮く。
試合終了後足早にピッチを去った代表とは裏腹にメキシコイレブンがピッチの上で会場を囲むサポーターと勝利の喜びを分かち合った。

・レストランにて夕食(ドイツ料理)20:45~22:30
レストランまでの道のり、通りすがりの現地の女性2人組に何やら笑いかけられた。同行の過多に通訳していただいたところ「まさか負けたの?」と言っていたらしい。すでに国中で日本の戦いぶりが笑いものなっていたのだろうか。
レストランのテレビではブラジルーギリシャ戦が放送されていた。ブラジルの個々の技術に今し方敗戦を終えたチームへの重い試練に映った。
料理はあふれるほどの肉肉肉・・・イメージはドカッ!前菜のアゲパンから高カロリーを体内に流し込むドイツ料理。年輩の方がみんな割腹がいいわけだ。

・オープンカフェ23:00

・ホテル着23:30
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ゼーエンスヴュルデッヒカイト

2005年06月19日 23時08分22秒 | その他
○6月16日(木)
・起床、朝食06:30

・集合・出発08:00
専用バスでヴォルフスブルクへ
フォルクスワーゲン/アウトシュタット訪問
・フォルクスワーゲン/アウトシュタット着09:00~14:15
フォルクスワーゲンの工場に隣接する施設。グループ企業車体や、博物館等車好きにはたまらない施設だった。
専用カードによる施設への入出場や、レストランの管理等営業面でも先端の趣が伺えた。
その後専用バスでハノーバーへ
・ホテル着15:15

・スタジアムへ17:00
徒歩
スポーツパークに向かう歩道は他の一般道と同様に自転車道、歩道に分かれている。
道はまるで雪が降り注いだかのようにポプラの綿が積もっており、この綿は試合中も風に乗り会場にも振り続けた。
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グーテンダーク

2005年06月19日 23時05分28秒 | その他
2005年
○6月15日(水)
・東京(成田)07:45
成田空港第2ターミナル集合
・東京(成田)発09:45
LH-711(ルフトハンザドイツ航空)
〔所要時間11時間40分〕
機内環境、料理等、弾丸ツアーでお世話になったJAL機の快適さが今さらながら身にしみた。
何よりも客室乗務員からピンセット?で渡されるビチャビチャのお手拭きは驚愕だった。最初はめちゃめちゃ熱く(軽い炎症を受けた)すぐに冷たくなってしまう。

・フランクフルト着14:25(以下現地時間(-7時間))
フランクフルト市内観光
国際空港より電車を使い中央駅へ
紫外線が強く目に刺激を感じる。サングラス無しでは視力低下の要因になるらしい。
駅前の通りにいた泣叫ぶ女性は酔っ払いではなく、麻薬によるものとのことだった。ガイドブックの通りこの当たりは危険地帯らしい。
徒歩でレーマー(レーマー広場)へ向かう。1562年代の赴きに迎えられる。
広場には21時からのドイツーギリシャ戦の観戦の為か、17時前にもかかわらず多くのサポーターがビールをあおり
応援歌を響かせていた。
再び電車で空港に向かう途中駅はサポーターで大混雑。空港手前の駅で多くのサポーターが降りていった。
サッカー大国を垣間見れた気分だった。

・フランクフルト発20:35
LH-1006
〔所要時間50分〕
偶然にも川淵キャプテン、JFA関係者、フジ内田アナらと同乗することになった。

・ハノーバー着21:25~22:10
専用バスにてマリティムグランドホテルへ
サマータイムの為午後10時を回っても日本の17時程の明るさに留まっていた。
日中も日本とは違いカラッとしていて過ごしやすい。冬場は逆に1日中暗く霙がふりつづけ、気持ちも暗くなるのが北ドイツの特徴らしい。
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7月のバルサ再来日?

2005年06月14日 19時03分48秒 | ニュース
払い戻しが出来ないから入らざるをえなかったんだろうが。

 15日の浦和戦を前に、バルセロナ幹部が7月の再来日の可能性に言及した。次はロナウジーニョ、エトゥを加えた最強メンバーで臨み、「90%の確率で、7月末か8月初旬に来日する」と、フェラン・ソリアーノ副社長(経済担当)が話した。
 チームと一緒に来日しているソリアーノ副社長によれば、来日の時期はデンマークでのプレシーズン合宿(7月20日から25日)終了後の7月末か8月第1週になるという。当初、バルサはこの時期に米国遠征を予定していたが、「それはとりやめ、中国で2試合、日本で1試合をすることにした」という。
 今回の来日にあたり、バルサの受け取るギャラは当初2試合で300万ユーロ(約3億9300万円)だった。
 しかし、コンフェデ杯に出場するロナウジーニョの来日中止により、「35万ユーロ(約4585万円)の減額に渋々応じた」(スポルト紙)。しかも、その後エトゥ、バルデス、主将プジョルといった大物が次々と来日しなくなったことで、「来日ツアーのインパクトが弱くなってしまった」(アス紙)と指摘されていた。
 しかし、フタを開ければ横浜戦の観客は6万5000人の大入りと、バルサ幹部の心配は杞憂に終わっている。
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