Rubber Soul

2008-07-29 20:32:13 | Notebook
    
昨日はようやく仕事が終わり、久しぶりにビートルズの『Rubber Soul』を聴いていた。これはわたしが中学1年生のころ好きなアルバムの一枚だった。そして、これを聴くといつも、わたしにビートルズを教えてくれた友人のことを思いだす。めちゃくちゃな友人だったが、どこか憎めないユニークな魅力があった。

かれの問題だらけの素行を、ひとことで言うと不良ということになるのだろうか。しかし不良と言ってしまうと違和感をおぼえる。やっていることは不良でも、当人はどこか夢の世界に生きているようなところがあった。ファンタスティックな不良。それにずいぶん純真だった。卑怯なところがまったくなく、きれいな心をしていた。そしていつも一人で、まったく独立していたのだ。

かわいらしい色白の童顔に、ビートルズを真似たマッシュルームカットで、茶色がかった髪には念入りにブラシがかけられていた。あつい唇がいつも赤い。背が高く、すらりと伸びた手足に、板のように直角の肩をしていた。詰襟の学生服のズボンをかってに細く仕立て直して、脚にぴったりと張り付かせたようにして着こなしている。これはいまから30年以上前のことであり、そんなふうなスタイルをもった中学生はほかに見あたらなかった。けっさくなことに、彼の服装は学校の規則では禁じられていなかった。当時の教師たちの予想外の形だったのだ。先生たちはうさんくさいもののように彼の脚をじろじろと見ては、なにか言いたそうな顔をするだけだった。

話し方も独特で、女の子みたいに甘い声をしていたが、ねじがゆるんで間があいたような遅いペースで、だらだらと話す。ぼんやりと夢うつつな話し方だった。
うっとりと囁くような声で、
「おお~~い、シン~~、おまえ~~、あそびに~~、こい~~よ~~」というふうにいつも話しかけてきた。クラスメートは彼のかったるい話し方をよく真似て、からかっていた。
わたしはよく彼の部屋へ遊びに行き、ビートルズや、レッド・ゼッペリンやキング・クリムゾンのアルバムを聴かせてもらっていた。かれの兄のコレクションだった。しかし彼のお気に入りはビートルズだったので、ビートルズを聴かされることが多かった。
彼はポールをあまくみていて、いつも夢中になって話すのはジョージとジョンの話題ばかりだった。おもなアルバムのほとんど全部をくりかえし聴いているうちに、わたしはすっかりビートルズが好きになった。そして『Rubber Soul』のジャケットの4人は、とくに友人に似ているとおもった。

『Rubber Soul』の一曲目が「Drive My Car」だ。
「なあ~~、シン~~、ドライブ・マイ・カーっていうのはなあ~~、これはウラの意味があってなあ~~、女とセックスするっていう~~意味なんだぞ~~、へへへ~~、分かるかあ~~、オレのクルマに乗れよっていうのは~~、オレに乗れよ~~って、ことなんだぜ~~」
中学に入ったばかりのくせに、女の子みたいな声でそんなことを言う。しかしやはり浮世離れしていて、いつも彼の言うことは実感をともなわないのだった。

彼の説では、『Rubber Soul』はとくに性的な意味をおびた作品が多いということになっていた。
たとえば「Norwegian Wood」のなかにある「火をおこす」という言葉が、マスターベーションを意味するという解釈は有名だが、彼にかかると、それ以外の歌もことごとくセックスと結びつけられていた。
彼の突拍子もない話を真に受けたわけではなかったが、「ゴムの心」という奇妙なタイトルと相俟って、どことなく不健康で、淫靡なアルバムという印象がわたしのなかに根付いてしまった。

彼は学校にはまじめに登校してきていたと思うのだが、勉強が好きというわけでもないようだった。焦げ茶色のマッシュルームカットで異様な学生服を着た男の子が、教室で教科書をおとなしく開いている姿は、なにかの冗談のように見えた。授業で先生に質問されることがあっても、堂々と棒立ちになったまま、どうして自分はここにいるんだろうという顔をしていた。そして「まったく、こまったものだ」という顔をした先生にむかって、「ええ、ほんとうにこまったものですねえ」という表情をして見せていた。
ごくまれに、彼が朝から青白い顔でぐったりしていることがあった。そばによると酒くさい。しかしどこか芝居めいているから、それほど飲んだくれているようにもみえなかった。ただ、一度だけだったと思うが、それがシンナーの匂いに変わったことがあった。

彼はときどき喧嘩をしていたが、その学年でとくに大きく強い相手としか喧嘩をしなかった。べつに気に入らないことがあるというわけでもなく、なにかプロレスでもしようぜといったふうに喧嘩をふっかけるので、やはりファンタスティックな喧嘩だった。子どもが母親にあまえているように見えないこともない。
たいてい相手はめんくらって、なんでこんなやつが喧嘩をしかけてくるのか分からんという顔で、しかたがないから応じる。しかしどうも浮世離れしているので、なんとなく本気になれない。あのかったるい話し方であれこれ言われているうちに、戦意も湧いてこなくなる。そんなふうだった。

彼は何度か、無修正のポルノ写真や、電動式の張り型を、学校に持ち込んできて自慢することがあった。それは傷口のように赤い色をして、ぐにゃりとしたゴム製品のように見えたが、スイッチを入れると頭で円をえがきながら動く。そんなものを振り回して遊んでいるのだった。
むろんいまのわたしならだいたい見当がつくが、どこから彼がそんなものを見つけてくるのか、当時はまったく想像もできなかった。

彼の退廃的で浮世離れした人格は、なにか倦怠のようなものが、12歳の子どものなかで変質したものだったのだろう。むろんその倦怠は彼自身のなかから生まれてきたものではなく、家族の誰かから感染したものだ。なぜなら、それが彼自身の倦怠であったとしたら、それをファンタスティックな姿に変質させる必要がないからだ。わざわざ学校で無邪気な顔をして、張り型を振り回して得意になる必要もなかっただろう。
問題なのは、そんな彼のあり方がつねに、せっぱつまったものであり、いつも崖の上でぎりぎりの綱渡りをしているように見えたことだ。張り型を振り回す彼をみて、バカ以外で笑うものはいなかった。



やがて2年生にあがるときクラス替えがあって、彼とはべつのクラスになったため、あまり会うことがなくなった。そして中学を卒業すると同時に、わたしはべつの街へ引っ越していった。
卒業したばかりのころ、引っ越し先から電車に乗って、故郷の街を再訪したことがある。ぶらぶらと歩いているうちに、わたしは久しぶりに彼に会いたいと思い立ち、なんとなく彼の家のほうへ向かって歩きだした。どこかの公衆電話から連絡をとろうと考えていた。

ところが、ある曲がり角にさしかかったとき、急に足がすくんで、前へ進めなくなった。嫌な感じがしたのだ。意味もなく恐怖を感じていた。
そのときにわたしの頭に閃いたのは、「もう彼はそこにいない」という実感だった。彼がその家にいないという意味ではない。きっと彼は変わってしまっていて、わたしの知っている彼がそこにいないということだった。

いま振り返ると、あのときに感じていたものが何だったのか、ようやく当時よりは見えてくる。彼のあのファンタジックな純粋さも、退廃的な美しさも、あの潔さも、すべては短い季節の、かぎられた時期にだけ咲く花のようなものであり、どれも無傷のまま残されるとはおもえない。それにあの放逸で未熟な人格が、あのまま高潔さへと転ずるとはかんがえにくい。
これは彼を知っている大人なら誰でも予想するようなことなのだが、まだ子どもだったわたしは訳も分からず、ただ予感としてそれに気づいたのだろう。わたしの感じていた恐怖は、彼の運命への恐怖だったのかもしれない。

それからさらに時がたってから、ときどき彼の噂が耳に入ってきた。あまり良い噂ではなかった。どこまでほんとうなのか分からないが、高校を中退したあと、なにかの事情で街にいられなくなり出奔し、誰も行方が分からないということだった。もっとひどい噂もあった。

しかしわたしは、いつのころからか、あまり彼のことを心配しなくなった。どういうわけか彼の笑顔が目の前に浮かび、そのそばにはいつも可愛い娘さんの姿がある。そんな幻想をみるようになったからだ。彼はきっと乗り越えたのだなと思うことにした。