小さな悪評

2007-03-16 05:20:15 | Notebook
     
若いかたはご存じかどうか分からないが、むかしの赤塚不二夫のマンガに、やたらとピストルを撃って相手を威嚇するお巡りさんが出てくる。
ちょっと気に入らないことがあったり、意に添わないことがあると空へむけてピストルを撃つ。だからみんな怖がって言うことをきく。しかし意気地がないし、根性がひねているので、どちらかというと甘くみられ、軽蔑されることもある。

わたしの父は満州で育ったが、子どものころ母親から、「警官にだけはならないでおくれ」と言われていたそうだ。
なぜそんなことを言われたかというと、それは、現地での警官の振るまいが、かなり酷いものだったからだ。まじめで善良な警官だってたくさんいたのだろうけれども、そうでない警官の言動が目に余るものだったので、庶民のなかには軽蔑するひともいたらしい。

実際にわたしの父は、子どものころ、万引きを疑われた朝鮮人の男が、警官から拷問を受けているところを見たことがあるという。その男は白昼の交番のまえで口に水道ホースを突っ込まれ、胃の中に水を大量に放水され、気絶してしまったのだそうだ。
赤塚不二夫はわたしの父とおなじ満州で育った。彼も警官について、思うところがあったのかもしれない。

こうしたことは満州にかぎらず、戦前、戦中の証言のなかで、いわゆる被差別者や、ホームレス、社会のはみ出し者などの無力な相手に対して、ニホンの警官たちがどれほどひどい乱暴をはたらいていたかが、あきらかにされることがある。ふつう一般に知られることはなかったが、無実の者への拷問殺人さえ行われていたことが、分かってきている。

わたしが何を言いたいのかというと、こうした一部の警官の悪評は、もとは小さなものだったということだ。ほんの一部のひとしか知らない、いつでも握りつぶせるような、取るに足りないほどの、小さな小さな悪評。しかしそれが、驚くほど強い力をもつことがある。これは警官の話にとどまらない。とても身近な、身の周りでいつも起きていることだ。

ろくでもない個人の、許し難い言動。ろくでもない企業の、非道な行い。
たったひとりの心に根付いた、そうしたものたちへの不信感。ちいさな悪評。

たったひとりの個人のなかに、そうして根付いた軽蔑、恨み。それは一生消えない。クニとクニの間で起きる、大きな大きな諍いでさえ、そのいちばん手に負えない根っこの部分は、そういう小さな悪評からできあがっているのだから、よくかんがえてみると、これはすごいちからをもっている。