ほほえみあう。ほほえみあうということが、難しい。
可愛い女の子を、いじめたくなる男の子みたいに、稚拙な感情しか持ち合わせていない、わたしたち。
それが子供の話ではなく、大の大人や、老人たちの話なのだから、
この救いようのない愛の病いは、どれほど深く、ひろく、蔓延していることだろう。
大切なひとが、目の前にいて、じぶんのこころが花のように開いていく。
しあわせであるはずの、その瞬間に、嫌悪感や怒りが顔をだす。
こころが開けば開くほど、揺さぶられ、混乱させられ、きたないものが顔をだす。
それが相手を汚してしまう。
いちばん好きな男性の前で、愛らしく振る舞えない。
微笑む相手の、大好きな横顔が、汚らしく見える。
言ってはいけない言葉を相手にぶつける。
してはいけないことをする。
それが本物の憎悪に育つ場合だってある。
殺しあい、傷つけあい、台無しにしあう、わたしたち。
愛憎なんていうほど、高級なものではなく。
こわばり、ひび割れた感情にふりまわされる病い。
愛情に出会う前から、愛に倦んでいるみたいに。
まだ官能に裏切られるほうが、ずっとましだと思えるほどに。
まるで敵をあつかうように、愛すべきひとを、あつかう。
それは愛が冷めたのではなく、はじめから、育てそこなったのだ。
おろかな依存が、それをどれだけ辱めたことだろう。
おろかな言葉と甘えが、それをどれだけ損ねただろう。
手渡されそこなった、無駄に浪費された愛が、どれほど多いことだろう。
届かなかったメッセージが、どれほど多く捨てられたことだろう。
この病いに罹ったものには、愛される資格がない。
そして愛する能力もない。
この病いを治すために、
いったいどれだけの正気と、祈りと、涙と、絶望が必要だろう。
じぶんは愛にあたいしないのだと悟り、治療のためのカルテが作成されるまでに、
どれほどの間違いが繰り返されるのだろう。