愛をアダで返す

2009-07-02 18:28:53 | Notebook
     
ほほえみあう。ほほえみあうということが、難しい。

可愛い女の子を、いじめたくなる男の子みたいに、稚拙な感情しか持ち合わせていない、わたしたち。
それが子供の話ではなく、大の大人や、老人たちの話なのだから、
この救いようのない愛の病いは、どれほど深く、ひろく、蔓延していることだろう。

大切なひとが、目の前にいて、じぶんのこころが花のように開いていく。
しあわせであるはずの、その瞬間に、嫌悪感や怒りが顔をだす。
こころが開けば開くほど、揺さぶられ、混乱させられ、きたないものが顔をだす。
それが相手を汚してしまう。

いちばん好きな男性の前で、愛らしく振る舞えない。
微笑む相手の、大好きな横顔が、汚らしく見える。
言ってはいけない言葉を相手にぶつける。
してはいけないことをする。
それが本物の憎悪に育つ場合だってある。

殺しあい、傷つけあい、台無しにしあう、わたしたち。
愛憎なんていうほど、高級なものではなく。
こわばり、ひび割れた感情にふりまわされる病い。
愛情に出会う前から、愛に倦んでいるみたいに。
まだ官能に裏切られるほうが、ずっとましだと思えるほどに。

まるで敵をあつかうように、愛すべきひとを、あつかう。
それは愛が冷めたのではなく、はじめから、育てそこなったのだ。
おろかな依存が、それをどれだけ辱めたことだろう。
おろかな言葉と甘えが、それをどれだけ損ねただろう。

手渡されそこなった、無駄に浪費された愛が、どれほど多いことだろう。
届かなかったメッセージが、どれほど多く捨てられたことだろう。
この病いに罹ったものには、愛される資格がない。
そして愛する能力もない。

この病いを治すために、
いったいどれだけの正気と、祈りと、涙と、絶望が必要だろう。
じぶんは愛にあたいしないのだと悟り、治療のためのカルテが作成されるまでに、
どれほどの間違いが繰り返されるのだろう。

先生と呼ばれるほどの……

2009-06-23 22:36:46 | Notebook
     
医者や弁護士、教師といった職業は、タテマエのうえでは尊敬されてはいるが、胸のなかでは軽蔑されている。だから世間には「先生と呼ばれるほどの……」という言葉がある。
もちろんこれは一般にそうだというだけのことで、わたしたちは、たとえば相手が医者だというだけで軽蔑なんかしない。ちゃんと個人をみている。そうして、この先生は医者のわりには普通だなどと感心したりする。

弁護士や教師はそれほどでもないが、ときにお医者さんの特権意識を目の当たりにすると、その救いようのなさに暗然として、これは死んでも治らないのではないかと絶望することがある。なにも他人のために絶望までする必要もないのだが、それくらい酷いのが、めずらしくないのだから、ほんとうに酷いものだと思う。

ある総合病院の待合室にすわっていたら、診察を待つ患者さんが大勢いるところに、目の前の診察室から先生がたが出てきて、のんびり談笑しながらどこかへ歩いていく。そんな光景を見たことがあった。かわいそうに小さな子供が青ざめて長椅子に横になっているのに目もくれない。楽しそうな顔をして、どこへ行くのかと思ったら昼食を食べに出かけて行ったのだった。先生方がのんびりお食事をなさっておられるあいだは、患者さんは放っておかれているのだが、みな辛抱づよく待っていた。
よっぽど胸ぐらをつかんで叱り飛ばしてやりたいと思ったが、わたしはそんなことができるタイプじゃないし、それに、そんなことをしてみたところで、きっと何も通じないだろう。なにしろプライドが高すぎて、エゴが強すぎて、どうにもならないひとたちなのだ。
こういう光景が、めずらしくないのだから、わたしたちはどうしても医者という人種を軽蔑してしまう。しかしくちに出しては言わない。めんどうだからだ。

わたしの知人が、自己破産をして借金をまぬかれたことがある。おかげで彼は立ち直り、なんとか人間らしさを取り戻し、生活を立て直すことができた。だから自己破産の申し立てをしてくれた弁護士は恩人ということになる。
しかし自己破産といえばもっともらしく聞こえはするが、ようするにヘリクツを並べ立てて借金を踏み倒しただけのことであり、けっして褒められたものではない。口先のヘリクツで借金を踏み倒したり、支払い義務を背負わせたり免除させたり、利益を上げたり損をさせたりするのが弁護士だとしたら、これほど最低の人間はいないと誰もが思っている。しかし誰もくちに出しては言わない。これまた医者の場合とおなじように、いつか自分がお世話になるかもしれないのだから、あまり悪口を言いたくないのである。

ちなみにわたし自身は、じつは医者も弁護士も教師も、まったくバカにしてはいない。というより、どちらかというと好きなひとたちである。なぜかというと、第一に、どれほど彼らがバカだとしても、わたしほどバカではない。第二に、彼らの多くは、あまり世間ずれしていなくて、子供っぽい純粋さを失っていない魅力的なひとが多いからだ。

誰彼かまわず正しいことを言えば通じると信じている教師は可愛いものだし、高い知力ばかりを与えられた子供みたいなお医者さんの極端な言動はじつに見ていておもしろい。また弁護士の単純すぎる世界観はときどき冗談かと思うくらいだが、これまた興味ぶかいところがある。なかなか愛すべきひとたちなのだ。なにかを純粋に追求するためには、じつに都合のいい心と頭を持っている。周りが特別扱いして世間から隔離してしまうからいけないのだ。

きっと彼らに足りないのは自己反省なんだろう。いっそ鬱病にでもなって、くよくよと自分を省みる生活をしておれば、すぐれた能力が良い方向へはたらいて、じつに味わいぶかく立派な人間になるだろうと思う。いい気になって偉そうにしているから軽蔑されるし救いようがないのだ。

先生と呼ばれるひとたちは、自分たちが、いかにバカにされているかを、よく見てみるといいと思う。どんなふうに、どういうふうに軽蔑されているかを、一生かけてよく見ることができれば、きっとそのバカが治る日が来るだろうと思う。信頼できる友人に繰り返し訊ねてみるのもいいかもしれない。身分を隠して二、三年ほど労働者のなかに身をおいてみるのもいいだろう。むかし三島由紀夫さんがしたように、身分を隠して大衆酒場で貧乏人に交わって、ひどい扱いを受けてみるのもいいかもしれない。

これはべつにイヤミのつもりではなく、見かねて言っているだけのことだ。わたしには尊敬するお医者さんもいるし、尊敬する教師もいる。なかには素晴らしいひとがいることも知っている。それに彼らは、なかなかチャーミングで面白いひとたちなのだから、なにも一生軽蔑されて終わることもないだろう、もったいないではないか、と思うのだ。

「ヒマワリを探してるの」

2009-06-13 03:27:17 | Notebook
     
このあいだ大阪で虐待死した幼女が、亡くなる直前に、うわごとを言っていたらしい。
その内容が、
「ヒマワリを探してるの」
というようなものだった。そうして間もなく、ベランダに放置されたまま息を引き取ってしまった。
報道でこれを知って絶句し、おもわず涙が出た。

夢や意識のシンボルについて、ヒマワリのもつ重要な「意味」について、ここではながながと書かない。わたしは彼女のことを知らないし、一回かぎりの独自の生について、教科書どおりの概念から光りを当ててみたところで、どうせ間違いだらけの話しかできないだろう。だからここでは、この言葉から誰もが普通に感じ得ることだけを書こうと思う。

彼女はその瞬間、ヒマワリを喪失していたらしい。
すぐそばにお母さんがいるのに? お母さんのところには、ヒマワリはなかったのだろうか。
彼女は闇のなかで手探りにするように、探していたのかもしれない。
子供の心のなかに、いつも宿っているはずのヒマワリを。
最後の最後に、言葉によってお母さんに告げなくてはいけなかったということに、深い悲しみをおぼえる。
とても子供らしくて、とても悲しい遺言。

サイキの海へ……鬼束ちひろ「X/ラストメロディー」

2009-05-22 15:06:27 | Notebook
    
鬼束さんの声がはらむ、昇天する傷と血液の呼吸法。坂本さんが切りひらく夢数学と魔法の音。
二つのサイキが海面のきらめきのように、たゆたいながら交じり合っていく。
瞬きよりも熱く、意味よりも速く、声と音が疾走する。
こういうひとたちがいるから、この世界はおもしろい。

人類はいつも、ポップミュージックを夢みてきた。
エロスの指先が、その濡れた足首に触れる。


*「サイキの海へ」という言葉は、宮内勝典さんの著作名からお借りしました。

鈴木いづみ『いつだってティータイム』

2009-05-09 02:03:49 | Notebook
     
「鈴木いづみコレクション」が刊行されたのはもう十年以上も前のことで、当時わたしは毎晩のようにアサガヤの街を飲み歩いていた。
ある晩、居酒屋のカウンターで、顔見知りの五十歳代の男性がこの「鈴木いづみコレクション」ばかりを、一度に四、五冊も買い込んだ包みをひろげて、一冊を手に取ってページをめくっていた。どれもきれいな本だと思ったが、著者の全裸の写真をカバーにつかっているものがあり、それが気に入らなかった。そう批判すると、彼はすこし笑って、鈴木いづみの裸は彼女の思想のシンボルみたいなものなので、死後のいまになってまでヌード写真をカバーに使用されるのは仕方がないのだろうと言った。

そしてこんな話をしてくれた。
その男性がむかし編集者だったころ、鈴木いづみさんのところへ原稿をもらいに行ったことがあるそうだ。ところが、すでに書き上がっているはずのその原稿を、どうしても渡してくれない。どうしたらいいのかと訊くと、「抱いてくれたら渡してあげる」と言われたらしい。いまは太鼓腹のその男性も、若いころはさぞ魅力があったのだろう。
すでに鈴木さんは亡くなって、その男性も五十歳をすぎて、そうしてカウンターで彼女の写真に手を触れながら、なつかしいよ、とつぶやいていた。

先日はじめて、鈴木いづみさんのエッセイ集『いつだってティータイム』を読んでみて、そのまっすぐな文章に感心した。
全体の印象として、ひらがなの使い方が、独特で清潔で気持ちいい。それに音とリズムがいい。音とリズムがよくて清潔だということは、もちろん耳がいいということでもあるが、なにかが高潔だということでもある。それが指先のテクニックじゃないのだから、気持ちのどこかが清潔で、そして腹が決まっているということでもある。きっとそこに彼女の理想があったのだろう。

「……死はこどもに似あいすぎている。あんまりぴったりしすぎている。だからこどもが死ぬと、吐き気に似たものを感じるのだ。セックス・ギャンブル・アルコールも、こどもがやってこそ似つかわしい、というところがある。
 たがいに抱きあってうめき声をあげたり、ある種の液体をのんでさわいだり、自分の賭けた数字にあれこれと意味や理由をくっつけてみたり。決しておとなっぽいとはおもわない。だからかっこうの息抜きとなるのだが、ある人びとには(そのひとたちが、充分におとなであるかどうかは別として)まだ痛ましすぎるのだ。」

彼女の思考は感覚をともない、ゆっくりと色あいを変えながら、じわじわ進むようなところがあって、抜き書きでは正確に伝えられないところがある。流行歌が、テーマを繰り返しながらバランスをとりながら進んでいくやり方に似ている。
この思考方法を端正にまとめるのは骨が折れたはずなので、たぶん推敲に時間がかかることもあっただろう。いきあたりばったりの散文のようでいて、そういう流儀では書かれていない。

誰もがかんがえているようなことを述べていると言うこともできるし、それをよく突っ込んで引き出していると言うこともできる。若いひとがこれを読んでおくのは、いいことかもしれない。この健全さの薫陶を受けておくのは、そのひとのたましいにとって役立つだろう。

ただし若いころのわたし自身は、このエッセイにあたいしなかった。救いがたいほど頭が悪いうえに、世界観がドグマに冒され、狭く小さくスクエアな青年だったわたしは、きっとこういうものを読んでも理解できなかったろうし、小さな自我はこれを持て余していただろう。そしてきっと、男が女の化粧ばかりに気を取られるみたいな、見当はずれな理解をして、つまらない影響を受けていただろうと思う。

いまのわたしは、彼女の言葉にふつうに共感できる、そして彼女の言葉づかいが、きれいだと思う。なるほど、見当はずれの文化やら流行やら風俗やらが、ごっそり滅びて跡形もなくなったあとに、鈴木いづみさんの正直な言葉が屹立しているんだから、これはいまこそ見ものかもしれない。かといって世評がいうほどあたらしいのでもなく、進んでいたわけでもない、ただの一人のおんなが、まっすぐに書いたものこそが力づよく残っているのだから、おもしろいではないか。

そして死後だいぶたってから、のこされた男たちが、そこに印刷された写真にふれながら、いまなお彼女をいつくしんでいる。彼女の文章のうつくしさは、そのまま、おんなのうつくしさなのだと思う。

つくづくおもしろいことだと思う。おんなが、じぶんの言葉をみがくことは、そのまま女をみがくことなんだから。

2009-04-14 07:21:47 | Notebook
    
あなたがいなくなっても、こうして今年も桜が満開だ。

とうに見るひとがいないのに、春になると桜が咲く。夢のように不思議な感じがする。

わたしは独りここにいて、桜の樹を見上げる。

きっとわたしがここにいなくとも、桜の花弁は舞うのだろう。

わたしは眼をひらく。

この眼をひらくのが、わたしでなかったとしても、きっと見るのだろう。

この身体の持ち主が、わたしでなかったとしても、この胸は熱く打ち続けるのだろう。

ここに誰もいなかったとしても、この腕は何かを求めるのだろう。

わたしがこの世にいなくとも、この眼は開き、見るのだろう。

夢のような、わたしよりも、風は確かに吹くのだろう。

古い公案に、こういうものがある。

「降りしきる雪が、山脈を白くつつむ。

しかし、ある山の頂にだけは雪が積もらず、山肌はむきだしになっている」

わたしの考えた答えは、こういうものだ。

「そこに『わたし』がいるから、雪は積もらない」

今年も桜は咲き、花弁は降りしきる。

転生

2009-02-10 23:10:29 | Notebook
     
先日、あるひとが輪廻転生について話していた。自分の前世は何だろう? そもそも前世などというものが、あるんだろうか?

そして、そのひとはわたしにこう訊ねた。あなたは転生を信じているの?
わたしは答えた。もちろん。
でも、あなたの言う意味とは、すこし違うかんがえをもっている。



いまから半年ほど前のこと、わたしはマーティン・ルーサー・キングの著作を読んでいて、とても懐かしい感情をおぼえた。彼の本を読むのははじめてのことだが、すでに彼の思想には出会っている。それも、ずいぶん昔に。そんな気がしたのだ。

キング氏の思想そのものは、わたしには素朴すぎて納得のいかないところがあった。しかし読み進めるうちに、彼の精神が、とても多くのひとに影響を与えたのだということが分かってきた。そして、その影響をわたしも受けている。そのことに気づいたのだった。

なにを通じて、わたしはキング氏の影響を受けたのだろうか?
たとえば、あの時代の空気や雰囲気のようなもの。それはとくに新聞や書籍、テレビの映像などを通じて、わたしのところへやって来ていたのかもしれない。
あるいは、子どものころに読んだ手塚治虫さんの作品のなかに宿っている、なにか人間性のようなもの。それは子ども向けの、安手のヒューマニズムのようなものであったのかもしれない。しかしその背景の時代意識のようなもののなかに、キング氏の精神が入り込んでいたのかもしれない。
または、あの時代のアメリカの大衆音楽。ボブ・ディランの声が受け継ごうとしていた、あのクニのひとびとの、幽霊たちの声のようなもの。



バッハの音楽を、現代のプレイヤーが演奏する。そのときに彼はバッハの精神に出逢うのかもしれない。彼は彼なりの感覚でバッハを感じ、それを彼なりの解釈でよみがえらせる。それはバッハそのものではないし、たいへんな間違いを犯している場合だってあるだろう。しかしバッハの精神の、何かがよみがえった瞬間でもある。それがまた、聴いているひとびとの胸のなかにもよみがえる。



わたしたちのなかには、つねに無数の死者たちが目を覚ましている。転生とは、生きた体験であり、すぐそこにある。ちいさなわたしたちの生のなかで、いつも起きていることなのだ。

しかし、いにしえのひとびとは、それを深遠な神秘の言葉で語った。なぜなら彼らにとって「精神」とは「霊魂」や「神」にほかならなかったためだ。
だから仏教では、仏典のなかに仏が宿るという。そして仏典に目をさらす者のなかにも仏が顕れるという。それは妙法なんかではなく神秘でもなく、彼らの生きた実感であり、生まの体験だったのだ。



ダライラマは、命が転生したのではない。彼は精神の転生を受けたのだ。幾世代にわたる、ダライラマと呼ばれるひとびとの精神と、それを支えてきた精神たちの流れが、つぎのひとをダライラマにする。だから尊いのだ。だからこそ、その役目を負ったひとは尊敬にあたいするのである。たんに命あるいは肉体が転生するのだとしたら、つまらない話ではないか。

ひとびとは、「生まれ変わり」というアイデアを通じて、ダライラマに神秘を投影する。しかしその神秘のなかには、ほんとうの尊さはない。宗教のほんとうの尊さは、精神が引き継がれたときの輝きにある。神秘を拝んでいるかぎり、そのひとの前にダライラマはいない。



転生は、わたしたちの一回かぎりの生のなかで、現実に起きていることだ。書物や、芸術や、音楽や、思想にふれて、わたしたちは転生を体験する。そして、その精神が強靱で、まっすぐな矢のように普遍であるならば、そこには仏典の説くような、圧倒的な転生が起きるのだろう。仏典があのような神秘の言葉で強調しようとしているのは、神秘そのものではなく、妙法なんかではなく、転生の質なのである。それはわたしたち現代人の言葉で言えば、精神の、つまり思想の質そのものを問いただしている。

孤独と寂しさ

2009-01-28 23:24:49 | Notebook
     
「いつもいつも寂しかったのよ、どうしてかしら?
あたしはいつも寂しかったの、幼いころからずっと……」

そう言って、そのひとは話すのをやめた。
自分のなかの声に耳をかたむけるように。

こころが何かに届いていないとき、それは寂しさになる。
こころが届いているとき、それは充実した孤独になる。

寂しさは、生をむしばむ。
しかし孤独は、生のよろこびの、すぐそばにある。

引き裂かれたこころは、いつも寂しい。
ほころびたこころは、いつも寂しい。

あいたいひとの笑顔と幸福がみえ始めると、寂しさは過ぎ去り、ただ孤独だけがある。
失ったひとの生の輝きがみえ始めると、やはり寂しさは孤独となり花ひらく。

寂しければ、みつめることだ。
それでもまだ寂しければ、まだまだみえていないということだ。

孤独の花の蜜は、そのひとを目覚めさせる。
そして誰かを、きっと祝福する。

冬の朝をつらぬきとおす、ひとすじの光のようであれ。
すみきった鏡のようであれ。

「いま」

2008-11-28 02:44:19 | Notebook
     
人間は脳のなかに住んでいる。人間存在とは脳がつくりだしたものであって、それは時間と密接なかかわりをもっている。人間にとって存在とは時間であり、それは最初からリアルではない。わたしが見るあの月は、ほんとうの姿をしていない。

しかしいったん脳を離れて、リアルを見ることができたとしたら、そこには時間がないことに気づくはずだ。この世には、時間などというものはどこにもないのである。

ここにあるのは、つねに「いま」であり、それは世界と通じ合っている。あの木の葉は、世界の断片であり、同時に全体でもある。
わたしの筋肉のなかには時間などない。肺のなかにも時間などない。心臓の鼓動は時を刻む秒針ではなく、それはすべて「いま」を示している。

それは生と死をくりかえしながら、光と熱によって揺さ振りをかけられ、風によって運ばれる。
偉大なる樹々は、時間を知らない。年輪は時間をもたない。ゆたかに広げられた枝葉のなかにも、落ちてゆく木の葉のなかにも、どこにも時間は存在しない。

わたしは、あなたのことを思いだす。あなたのきれいな横顔を。それを過去の瞬間として胸にえがく。
しかしその面影は、「いま、ここ」にある。思い出は過去ではなく、わたしのなかに、いま、ここに生きている。それはわたしを変えつづけ、同時にそれは、わたしそのものでもある。

わたしは、産まれた瞬間のわたしであり、死ぬ瞬間のわたしでもある。とうに過ぎ去り風になったわたしでもある。
わたしは、父であり母でもある。すでに鬼籍にはいった先祖たちであり、霊魂と呼ばれるものの正体でもある。草木でもあり川の流れでもある。あの青空に浮かぶ白い月でもある。

ひとがそれらを「見る」ということ。胸にえがくこと。それは世界の本性であり、あらかじめ時間を超えている。脳はリアルではなく、意識はリアルではないが、世界は人間の意識を生みだし、選んだのだ。

わたしは世界の本性として、あなたの姿を胸にえがく。そしてあの11月の空を見あげる。

オヤジという病い

2008-10-14 04:32:22 | Notebook
     
われわれオヤジという生き物は、いろいろ知ってしまっているせいで、すぐになんでも分かってしまうという欠点をもっている。
ある種のジャーナリストやインテリみたいに、なんでも知っている、すぐになんでも分かってしまうということは、とても酷いことだ。

ゆえにオヤジは、時間をかけてじっくり味わい観察するという美徳を失いがちだ。ほんらい長くあるべき思考も短くなってくる。この点において、なにも知らない若いビギナーよりはるかに人間的に劣る場合がある。オヤジは物事をよく見ないし、ひとの話をよく聞かない。せめてその自信と貫禄を、ふだんは棚上げにして忘れ去ることができればいいのに。できれば青年のように不安定で、空疎で、まるで風にさらされたような心を取り戻しておればいいのにと思うことがある。どうせオヤジなんだから、ほんものの青年よりずっと上手に立ち向かえるはずなのだから。

受難に遭ったオヤジは、そのことに気づいている。リストラされたり、むずかしい病気に罹って空を仰ぐとき、じつはオヤジたちはこっそり気づいているものだ。あの青年のころに吹いていた風は、いまも変わらず吹いているのだということを。自分は青年時代からすこしも成長していないのだということを。

そしてさらに気づくのだ。ひとをほんとうに成長させるのは経験値でも引き出しを増やすことでもなく、この風の味わいなのだということに。

目を瞑る。風のなかでそっと目を瞑る。そうしてオヤジは、やっとオトナになる。

空を、つかもうとする手

2008-10-02 11:08:18 | Notebook
     
赤ちゃんが、生まれたての目で、なにか光をみる。
みえない赤ちゃんも、ぼんやりとなにかに反応する。
空を、つかもうとする手のように。
しかし触れようとした光は、手のなかにはない。

手のなかに返ってくるのは、はてしない虚空。音。風。温度。あるいはお母さんの手。ひとのぬくもり。気配。毛布の感触。抱き上げられて空に浮かぶような感覚。

光のようなものをみて、反応する。なにかが返ってくる。
空を、つかもうとする手が求める。なにかが返ってくる。
求める。そして返ってくる。
求める。そして返ってくる。
くりかえし、くりかえし。

しかし、つかもうとした空は手のなかにはない。

こころの水平線は、ここに引かれる。
ひとは、あらかじめ手と空のあいだで、引き裂かれている。
ひとは、ここから始まる。



引き裂かれたこころの記憶が、無数に蓄積される。
その記憶の倉庫は、のちに意識となる。
やがて意識には集約点がつくられ、「私」が生まれる。
わたしは私をつうじて、地面のうえに素足で立ち、世界へと目をひらく。
これは名前や観念によって力をあたえられ、より強固にかたちづくられる。
だから自我は、この観念の複合体(コンプレックス)といわれる。

水平線。
あらかじめ引き裂かれた意識。
ここに光と影が生まれる。
陰と陽。天と地。彼岸と此岸。
恩寵の母体であり、受難の母体でもある。
赤ちゃんの目は、はじめからこれらを、みつめている。

この世界が、苦い丸薬のような味をもつ理由がここにある。
青年の不安といらだち。かれらが存在に素手で立ち向かう愚かさと神聖さ。
その火傷の痛み。凍った傷跡の充実。
みえない額の傷、そして声による祝福。



今日わたしは、2006年6月19日にみた夢について瞑想していた。

夜明け前の空に、きれいな星が無数に流れている。おおきく、またたきながら、深く澄んだ水鏡のような空を自由に泳いでいる。
その星のひとつが手のひらのうえに、ぽたりと落ちてきた。

よくみると、それは銀色に光る30~40ミリほどの小魚のような、あるいは昆虫のような、見知らぬ美しい生き物だった。柳の葉のようなかたちをした透明の羽根をばたつかせ、手のひらのうえで跳ね上がっている。

空にまたたいていた星たち。
わたしがこの世ではじめてみた光。
時間も私もいない世界。

その美は、つねにそこにある。そのひとの生涯を照らしつづける。
その美は、人間の世界の言葉では「死」と呼ばれている。

強烈な寂しさの力

2008-09-16 00:33:28 | Notebook
     
今年の4月26日に、はじめて鬼束ちひろさんのライヴを観た。「Nine Dirts and Snow White Flickers」と呼ばれる一日かぎりのコンサート。二階のちょうど正面、前から数列のところに席をとることができた。

わたしは彼女のCDは全部聴いている。しかしどの歌も違って聞こえた。予想していたよりずっと繊細で美しかった。こんなに美しいことをやっているひとだったのか。わたしはいままで、なにも聴いていなかったのだな。そんな感慨があった。

彼女の言葉は、まるでカンバスに描かれた色彩のような力をもっている。コバルトブルー、バーミリオン、カドミウムグリーンなどのように、それぞれの重量と強度をもっている。存在の深みから汲みあげられた感覚が、字義以前の、闇と光のパラドックスを孕んだままの言葉を手がかりに、旋律と楽曲をともないながら声によって描かれていく。

その逆説は、引き裂かれると同時に、声によって結びあう。ひび割れ、震え、漏れ、零れ落ち、また結合する。この境界線上にこそ、ひとの意識が立ち現れる源泉があるのだということを、どうやら彼女は本能的に探り当てているらしい。彼女の癖のある個性と灰汁の強さは、存在の深みを掘り下げ掬いあげるために、どうしても必要なものなのだろう。耳には特異に聴こえても、たぶんここに彼女の普遍性がある。

鬼束ちひろさんの比較的あたらしい作品のうち、わたしがとくに好きな歌のひとつ「僕等 バラ色の日々」のなかにも、素敵な言葉がたくさんある。ここにも存在と意識のパラドックスが見え隠れする。冒頭はこんなふうに始まる。

 この闇は光だと
 言い聞かせた
 君が泣くように笑うから
 求めるような事は出来ないのを
 覚えた

わたしはまず「君が泣くように笑うから」という言葉が大好きで、そのあとに流れるようによりそう「求めるような事は出来ないのを」を、さらに「覚えた」と受ける流れがとても好きだ。
例によって、言葉から一義的な意味を読み取ることはできないし、読み取ろうとしないほうがいいのだろう。しかしここには不思議な均衡があって、それぞれの言葉がそれぞれの場で、独特のつりあいをたもち、引き裂かれたり近づいたりしながら、銀のように響きあう。そのバランスのゆらぎと、それぞれが震える美しさは、彼女の声をとおしてはじめて起ち上がってくる。どの単語が欠けても、それはたぶん違うものになってしまう。
だからこれを書き写すとき、わたしは発表されているものをそのまま、ちゅういぶかく写した。漢字とひらがな。改行。それぞれの言葉の配置じたいにも、たいせつな要素があるような気がしたからだ。

 繰り返す まるで 過ちのように
 ああ僕等バラ色の日々

なんてきれいな言葉なんだろう。そして、これらが声によって美しく昇華するさまをみることができるのが、彼女を聴く醍醐味なのだろう。

わたしはここで告白するが、「月光」の「I am God's child」という言葉が嫌いだった。とても大仰で、いやな表現だとおもっていた。「こんなもののために生まれたんじゃない」という叫びも、未熟な娘さんの生きる不安から生まれたものを、未熟で空疎なまま大仰に仕立て上げたように聞こえていた。
しかしこのコンサートであらためて聴いたとき、これらの言葉も、じつは上にあげた作品の場合とおなじように独特の美意識から生まれたものであって、たぶんそれ以上でも以下でもないということに気づいた。おそらく、これらの言葉以外に選びようがないほど胸にかなっていたのだろう。これはすこしも大仰なものではなく、あるがままのものを誠実に描いたのだろう。はじめてそう思った。わたしは意味にとらわれすぎていたのだ。

もっとも、これはわたしの感覚がそれほど粗雑で鈍いせいで、いまごろになってやっと気づいたというだけのことであって、ファンの方々はみんなとっくの昔に分かっていることなのだろう。だからこの歌が、あれほど多くのひとを惹きつけたのだろう。
しかしそれでもなお、このコンサートのほうの「月光」を聴いたあとで以前のものを聴き返すと、なぜか子どもっぽく、やはり大仰に聞こえてしまう。

現在の鬼束さんは、その声の表現があきらかに深化していて、以前より豊かになっているのではないか。わたしはこのコンサートではじめて「月光」を、彼女そのものの等身大の歌であると感じ、また、自分にも関係のあるものとして聴くことができた。
これは復帰などというものではなくて、かつての彼女とは格が違うのではないかと思った。

それから、鬼束さんの声が深みへと降りていくにしたがい、とくに感じたことがあって、それは彼女がとても孤独に見えたことだ。はじめはステージや楽曲の雰囲気のせいだろうと思っていた。
すぐれた歌手が歌う姿は、とても孤独にみえることがある。これは不思議なことだ。こういう印象は歌手の場合にかぎっていて、演奏家の場合にはないような気がする。これは美との一体化の、そのありようの違いからきているのだろうか。あるいはわたしの視力が弱いせいで、演奏家の孤独がまだみえていないのかもしれない。

声と楽曲の力で、一つひとつの言葉と感覚が美しく、そして永遠性へとひらいていく。その永遠性が、澄んだ夜空のように深く美しく磨きあげられれば磨きあげられるほど、その場には、まるで「強烈な寂しさ」のようなものが大きく存在しているようにみえる。存在の深みからなにかを掬いあげようとするような歌の場合に、とくにこういうことが起きるような気がする。

強烈な寂しさの力。これは画家が自分を客体化するための強烈なナルシシズムとは違うが、しかし、そんなに遠いものではないのかもしれない。

さいわいなことに、このコンサートは映像に記録されてDVDで売られている。美によって「それ」が掬いあげられるということが、どういうことなのか。からだを張ってそれに挑むということが、どういうものなのか。それから、あたらしい歌手がひとり生まれた瞬間なのだろう。それをこれで観ることができる。

「でも、やさしいところのあるひとだったのですよ」

2008-09-11 17:21:52 | Notebook
     
ある九十歳をこえる老婦人が、すでに先立たれた夫について、こんなふうに話したことがある。

「でも、やさしいところのあるひとだったのですよ。
いっしょに海外にいたとき、わたしが体調をくずして横になっていたことがあるんです。そうしたらね、あのひとはお粥をつくってくれたんですよ」

この老婦人の夫は、すでに偉人といってもいいような人物で、ひろく尊敬されており、熱狂的な信奉者もおられる。しかし、たぶんわたしはへそ曲がりなのだろう。わたしにはその男がそれほど偉いとは思えなかった。かれが残した著作にはどうやら意図的な嘘や誇張が散見されるし、人間性も見た目よりは小さいようで、自分を大きく見せようとしているようなところがある。それに偏執的で狂信的だった。思想のかんじんなところに神秘が顔をだすことも気に入らなかった。また、どの弟子ともふかく心を通わせたようすがなく、ひとを恫喝することも多かったらしい。わたしは老いた弟子たちが気の毒だと思っていた。

だから、こういうひとの奥さんはたいへんだったろうな。そんなふうに思っていた。そもそも家族と、あたたかく心を通わせるということが、あったのだろうか。よそ者にはうかがい知れぬことではあるけれども、寂しい思いをさせることのほうが多かったのではないか。そんなふうに想像していた。むろん間違っているかもしれない。
その婦人をとりまくひとびとは、故人の弟子にあたる人物たちで、彼女をたいせつに扱っているように見えはしたが、そのじつ誰も尊敬していないし愛してもいないのはあきらかだった。背筋をのばして毅然とした老婦人の姿が、とても孤独に見えた。このひと、独りぼっちなんだな。わたしはそんなふうに思った。しかしそれは、故人が弟子たちをそんなふうに扱ったことの見返りだったのだろう。弟子たち同士の間でも、尊敬や敬意という美徳が欠けているようだった。

そうして、その老婦人の言葉は、わたしにとって二つの印象をもってきこえた。
まず、お粥をつくってくれたという話題くらいしか、話すことがないような夫だったのだろうか。やはり家族にとっては、そういう寂しい人物だったのだろうかという印象。
そして、もうひとつは、老いた女性が夫について話すとき、その話題が「やさしさ」であったということだった。

その孤独な姿が目に灼きついて、わたしは彼女の言葉が耳から離れなくなり、その後くりかえし思いだすようになった。
するとそれからは、おなじような言葉に気づくようになった。老いた女性たちが、先立たれた夫のことを話すとき、よくこういう言葉が出てくる。そのことに気づいたのだった。
「でも、やさしくしてくれたことが、あるのよ」
「でも、けっこうやさしいところも、あったのよ」
「あんなふうだったけど、やさしかったのよ」

すでに亡くなった夫の、肉体はとうに滅びた、そののちになって、彼らの老いた妻たちが胸に抱きしめているのが「やさしさ」であるということに気づいて、わたしはふかい驚きと畏敬を感じるようになった。

そしてこのことが、その後のわたしの恋愛や愛情や結婚にたいするかんがえかたを、ふかく変えた。できるだけ浅はかではない、ふかい目で相手を見て、できるかぎり祝福してあげよう。きつい言葉や態度を放り投げるのではなく、できるかぎりやさしくしてあげよう。とりわけそう思うようになった。

put me here

2008-09-09 19:46:19 | Notebook
     
 So I remember ev'ry face
 Of ev'ry man who put me here.

 一人ひとりの顔を、おもいかえす
 わたしを、ここへ、導いてくれたひとたちの顔


こまかく、こまかく記憶をたどる作業を長年やってきていると、手にとるように祝福の道筋が見えてくることがある。あのとき、あのひとと出逢わなかったら、いまわたしはどうなっていたか分からない。あのひとが近づいてきてくれたこと、そして、べつのあのひとが手を差しのべてくれたこと。さまざまなひとびとの、それぞれの宿命からの行い。なかにはほんとうの善意からの行為もあるし、たった一言の励ましだけの場合もある。それらすべてを引っくるめると、わたしには恩人がたくさんいる。そのひとたちが、わたしを「put me here」してくれたのだ。

一人ひとりの顔を思いかえすと、むろん素晴らしいひとが何人もいる。いままで出逢ったひとびとは、みんな素晴らしいひとばかりだったと言っておけば、話は綺麗にまとまるのだが、残念ながら現実はそういうものでもない。よく思いかえしてみれば、むしろ素晴らしいひとは少ないほうで、そうでもないというか、なんだかよく分からないというか、ちょっといかがなものか、とおもう相手のほうが多い。なかには、感謝してますなどと言おうものなら、かえって何をされるか分かったものではないような、とんでもないのもいる。

だから、出逢った恩人たちの大半はろくでもない人間ばかりだったと言うこともできるし、いやいや、みんなそれぞれ美徳をもっていたと言うこともできるし、やっぱり人間なんて取るに足りない、いいかげんなもの、ということもできるだろう。やっかいなことに、すべて正解だ。しかし、きっと間違いなのは、ひとつの見方しかできなくなったときなのだろう。刻々と姿を変えつづける海をみるように、一人の人間を見続けることができればいいのだが。

わたしはいつのまにか、誰かを素晴らしいと賞賛することもないかわりに、ろくでもないやつだと思うこともなくなってしまった。もっとも思考の便宜上、そういう判断をすることはよくあるし、感情の言葉として賞賛することだってあるが、心底そうおもうことはなくなってしまった。
どんなに素敵なひとと出逢っても、その宿命がどういう光をたたえ、それがどういう影にささえられているのだろうかとか、そういうことばかりかんがえるようになってしまった。そのかわり、たとえ殺人を犯したひとであっても、そういうことをするような人物だとは思わない。「そういうことをするような」という見方をすることが、そもそもなくなってしまった。ひとりの人間というものは、とてつもない存在であり、その事実に圧倒されるばかりだ。



わたしはこのごろ、20年前の自分をおもいだす。わたしはよく訓練してきたから、ありありと思い浮かべることがある。そしておもう、なんと悲しい、気の毒な青年だったのだろう。わたしのたどった道は、なんと間違いだらけで、不当な重荷を背負わされ、うつろで呪われていたのだろう。
その呪いを、よくよく覗き込んでみると、それはわたしの両親と無縁ではあり得ない。

なぜわたしの父が、あんなに不安に満ちており、自信がなく、不安定だったのか。それをこのごろかんがえている。わたしは彼の不安と不安定な人格、ひねてしまった世界観におし潰されて、「意志」というものを根絶やしにされてしまった。
相互依存的で人格の不安定な友人とは普通につきあえるのに、まともな人物の前に出ると緊張していることの理由が、じつはわたしの劣等感などではなく、父にあることも分かってきた。
それからなぜわたしの母が、精神を病んでいたのか。それについてもかんがえてきた。うらみがましく、悲観的で、やはり不安定な人格がどこからやってきたのか。

二人の姿がはっきりと見えてくるにしたがい、それぞれの不徳が、けっして二人だけの責任とはいえないことが分かってくる。その時代や、さらにその両親の生き様や、愚かさや凡庸さなどが、彼らをああいう存在にあらしめていたわけだ。

しかしその一方で、彼らの胸のなかの声が、いかに彼ら自身を祝福へと導こうとしてきたのかが、わたしには見えてくる。彼らがどのように辛い思いをし、どのように努力をかさねてきたのか。どれほど懸命だったのか。わたしという息子を育てることで、なにを回復したいと願っていたのかが、分かってくる。わたしは二人の胸の声が求めるとおりの人物に成長し、求めるとおりのものを見つめてきた。自分たちですべきことを、子どもに求める以外にしようがなかった非才さを責めるわけにもいかないだろうが、彼らの代わりに学ぶことはできない。わたしは手に入れたものを二人に与えようと努めてきたが、そんなふうに手渡すことができるものは、ほんの少ししかない。

だがそれでも、わたしは老いた父の目を、老いた母の目をみるたびに感動する。払うべき代償をひととおり払い終えたひとの目。当人たちはそれぞれ、ずっと見当外れの生き方を希求してきたのに、そして、あんなに呪われているのに、なにか大きな手のようなものが正しく導いてきてくれたのだ。そして払うべきものを払わせ、与えるべきものを与えてくれた。こんなことがひとの人生に起きるなんて、しかも自然に起きるなんて、まったく奇跡のようではないか。人類がそれを「神の導き」と呼んできたのは、まったく正当なことのようにわたしにはおもえるのだ。たとえこの世に神がいないとしても。

わたしたちは長年のあいだ、多くの救いに導かれてきた。大勢のひとびとをつうじて、祝福の力が、わたしたちをここへ連れてきてくれたのだ。たった一言の祈りの言葉さえなく。ただ無条件に。頼んだわけでもないのに。



人生は悲しい。そして、うす汚く、腐敗しきっており、いかがわしい。早すぎる悲しい死が多すぎるのは、人生という大河そのものが腐っているからだ。祈願はときに呪いであり、願いはときに本人を堕とす。愛の執着や無理強いは、憎しみ以上に相手を損なう。利用価値へと換金された友情。そして狭い了見やケチな性格が、せっかくの良い男を台無しにする。そして恐怖や弱さが、せっかくの良い女の輝きをくもらせる。気づきは遅く、腐るのは早い。そうして男も女も、なんだかつまらない、いやな顔つきになってくる。

ひとがただ明朗に、あたたかく生きる、ただそれだけのことを実現するためには、とてつもない試練と、一生ではとても学びきれないような、複雑で高度な思想が必要だ。
それどころか、ちっぽけでケチな人間が、そのケチを治すという、そんな小さなことを成し遂げるだけでも、おおげさな覚悟や、ときには死をも恐れぬ勇気すら必要とするほどだ。
まったく、この世の試練とその報酬は、どうみても釣り合わない。

運命の悪趣味なやり方をみていると、わたしは胸がわるくなる。どうみても運命は、無駄な血を流すのがお好きらしい。子どもの首をはね、善人の手を血で染める。そして素晴らしい男たち女たちを根こそぎ腐らせ台無しにしておいて、腐ったまま無理やり歩かせる。耐えきれず立ち往生したら今度は鞭でたたく。そういうやり方をするのが、楽しくてしょうがないらしい。

しかしそれでもなお、人生は祝福に導かれている。そこには美があり、音楽は魂を讃歎する。そして森や街にはひとびとの胸の鼓動が静かに響いている。そこにはほんとうの祈りと偉大な精神があり、それは肉体と個人を超えている。無駄に流された血でさえ、このために流されたのではないかとおもうほどだ。
ほんの数ヶ月の命であっても、だらだらと長いだけの無為なわたしの人生であっても、それは光につつまれている。


*冒頭の言葉はボブ・ディラン「I Shall Be Released」の一節。

鎮魂

2008-08-23 17:14:32 | Notebook
     
孤独な画家が、隠された感覚を明るみに出す作業は救済に似ている。

松井冬子さんが描いた死体の絵をくりかえし見つめながら、わたしはそんなことをおもった。
美しい死体の絵。それは腐敗の途上にあり、その「途上」は描かれることで、永遠に「途上」にある。永遠にあるその「途上」は、つねに光に晒されることで清められ、救われ続ける。

そこで救われているのは描かれたとおりの、死体と腐敗でもあるのかもしれないが、むしろほんとうに明るみに出され客体化されているのは、その死体と腐敗によりそった、生者のうちにひそむなにかの感覚なのだろう。それらを掬いあげる力を、描く人自身がナルシシズムと呼ぶのは、なるほど的を射ているのだろう。つよく、つよく光のもとに晒すために、あますところなく成仏させるために、そのナルシシズムはつよくあらねばならないのだろう。

描かれた死体の、うつろな目がこちらを見つめている。その目に映っているものこそが、いま救われているのだ。

*画像は『松井冬子・一』(エディシオントレヴィル発行・河出書房新社発売)より