読書備忘録

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重松清著「十字架」

2010-06-30 | 重松清
いじめを苦に自殺した中学2年のクラスメート藤井俊介(フジシュン)の残した遺書に4人の同級生の名前があった。
遺書の中で「ごめんなさい」と謝られた中川小百合、親友と名指しをされた僕(真田裕)。それから20年、大学を卒業し、就職し、結婚、父親になっても、あいつの影は消えることはなかった。
あの日から僕たちの長い旅が始まったのだ。
背負った重荷をどう受け止めて生きればよいのだろうと悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ20年間の物語。
親友ということで、マスコミにつきまとわれ「いじめを、見て見ぬ振りをしたお前らが殺した」とののしられたり、フジシュンの家族に引き合わされて「親友なのに、なぜ、息子を守ってやれなかったのか」と、身に覚えのない理由で、フジシュンの父や弟から非難を浴びせられます。
『ナイフの言葉。十字架の言葉。・・・・「ナイフの言葉は、胸に突き刺さるよ」「痛いよね、すごく。
なかなか立ち直れなかったり、そのまま致命傷になることだってあるかもしれない」・・・「ナイフで刺されたときにいちばん痛いのは、刺された瞬間なの」十字架の言葉は違う。
「十字架の言葉は、背負わなくちゃいけないの。それを背負ったまま、ずうっと歩くの。どんどん重くなってきても、降ろすことなんてできないし、足を止めることもできない。
歩いてるかぎり、ってことは、生きてるかぎり、その言葉を背負いつづけなきゃいけないわけ」(63P)
「なにもしなかった罪っていうのは、法律にはないんだ」(237P)
「どんなふうに生きた、どんなふうに感じて、どんなふうに背負って、どんなふうにきみはおとなになったんだ。・・・教えてくれ」(309P)。
あいつの自殺から二十年、僕たちをけっしてゆるさず、ずっと遠いままだった、“あのひと”との約束を僕はもうすぐ果たす。
ただいじめの現場を黙って見ていた生徒を主人公にした話です。
暗くて哀しいお話しですがいろいろ示唆に富んだ考えさせられた物語でした。
2009年12月講談社刊

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