読書備忘録

私が読んだ本等の日々の
忘れない為の備忘録です

鈴木明子講演会に行って来た。

2024-01-21 | Weblog
プロフィギュアスケター鈴木明子
演題「ひとつひとつ少しずつ。諦めない晩成力~」
地元の信金の新春講演会に先週お出かけ。
6歳で豊橋でのスケートリンクで滑る選手のフリルのついたスカートの回転をみて憧れて自分もスケート教室に通いを始める。何度転んでも楽しくて仕方がなかった。可能性を信じ出来なかったことが出来るとこんなにうれしいんだ。出来ることを可能にして喜びがあったから続けられた。目標が次から次に目標が大きくなる。普段練習してやっていたことが大会でどれだけ出せるか。出来ないと自分の甘さが悔しかった。諦めたくなかった。最初小5年生の時21位次の年は7位次が3位に。全日本の大会から海外の大会へと出場が進化していった。しかし15から16歳で体重増大人の身体つきになりスランプに。特に大学進学後仙台で独り住まいで今まで親がやってくれていた厳しい体重等の管理が自己管理になり完璧主義の自分が陥った摂食障害。筋力も落ち48kあった体重が32k迄減って1年間病院のベットで泣き暮らしが、演技後に貰う拍手を忘れられず好きなスケートを諦めたくないと一念発起自分の身体は人生を諦めていないと。食べ ることは生きることリハビリからアスリートの身体へと未来の自分に期待して復帰を誓う。20歳で迎えたトリノ五輪を見ながら悔しさ情けなさ過去の栄光を思い出し復活のため頑張った。「遠回りしたね」あの時の道を通らなければ今はなかったと思われるように「過去は変えられないけれど未来は変えれる未来は変えられる。過去を羨むより未来を変えよう。時計を頑張って戻すより時計を進めよう」大学卒業で選手引退するライバルたちの中で応援援助してくれる地元企業を得てバンクーバー行を公言。代表決定一年前全日本の位置は5位、3位以内に入らなければオリンピックには行けなかったが一年頑張り代表に。浅田・安藤と共に行ったバンクーバーでは8位入賞。4年後ソチ大会では、浅田村上と共に再び代表に。8位入賞の成績を収めた。チャレンジ目標をリアルに描いてビジョンを持ち周りの人達の喜びを糧にやってきて良かったと思えるスケート人生だった。14年10年前のオリンピック出場後選手引退後も今もプロスケターとして滑っている。子供たちや後進の指導をしている。
1時間半よどみなく一気に語った遅咲きのスケート人生。フィギュアスケーターばりの膝を折り曲げた優雅な一礼で話を終えた。その後の10年間の話や離婚の話も聞きたかったのだが・・・。 

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