先日母校島根県立大田高校のOBが運営する瓶陵会関東支部の総会に初めて出席しました。諸先輩中心に70名くらいの参加がありました。当日現大田高校の校長先生と野球部の監督も出席され、懐かしい母校の様子を面白おかしく聞くことができました。
我が母校の自慢の一つに校歌があります。ここでHPより校歌の紹介をします。
校歌の由来この校歌は昭和3年(1928年)に誕生した。溌刺とした校歌の制定を望む当時の旧制大田中学校第三代校長長岡虎次郎は、生徒より募集した歌詞の得心いかず、わが国文学史上に輝く詩人土井晩翠に作詞を依頼。晩翠のもとめに、当地の人情、風土などを記した多くの資料を送った。こうして詩魂豊かな歌詞が生まれたものである。
このとき、この歌詞に相応しい曲は、つとに知られる作曲家山田耕筰を措いて他になしとの声があり、この願いに快諾を得、やがて曲譜は届いた。だが、作曲料三百円の請求に金策がつかず、辞退を申し出たところ、作曲料を寄付する文面と領収書が届き、ここに誇るべき校歌をみるに至ったのである。(校歌由来記念碑より)
大田高校のHPを開けると校歌が聴けます。私は詞も曲もとても気に入っています。興味のある方はどうぞ。
作詞土井晩翠、作曲山田耕筰で作られた校歌は全国で4校くらいあるそうです。あの勇者ナリナリの母校秋田県立大館高校もそうだと聞いてより親近感を感じたのを覚えています。