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「戦国最恐妻の夫操縦法 ~豊臣秀吉を天下人にした女・おね~」@歴史秘話ヒストリア

2014-04-13 14:40:45 | テレビ・動画配信
予録してた番組をちょこちょこと見てみた。
また、大河ドラマ「軍師 官兵衛」つながりで、戦国時代もの。


「戦国最恐妻の夫操縦法 ~豊臣秀吉を天下人にした女・おね~」@歴史秘話ヒストリア

当時、武将の結婚は政治的意味合いが強く、恋愛結婚などご法度な時代。
足軽だった藤吉郎(25歳)はおねと結婚の約束を交わすが、おねの母・朝日殿に猛反対される

おねの父・長勝は秀吉の将来性を見出し、おねを浅野家に養女に出すことで、身分の差婚の対面を保つことになった。
媒酌人は信長のいとこが務めたが、その後、母とは絶縁状態となる。

 

おねは、得意な裁縫で、派手好きな信長好みの小袖を贈るなどして秀吉の出世をバックアップした。
その甲斐あってか、足軽から異例の出世を果した秀吉は、近江国・長浜城主となる。37歳。

 

自分の地位はおねのおかげと思いつつ、浮気グセのあった秀吉。子ども・石松丸も生まれて大喜びする。

 

おねは信長に浮気の一部始終を訴えたところ、「妻は夫を手の上で操縦していればいい」と助言された。
ドラマでは、信長に秀吉を注意させる書状を書かせたようになっていたけど、実際はこうだったのかw
この騒動後、おねは側室を設けるのを許し、すべてを自分の管理下に置いた。これは後の「大奥」に通じるものとなった。

「本能寺の変」後、秀吉は山崎の戦いで明智軍を打ち破る。
秀吉は「関白」、おねは「北の政所」として、時の権力者となる。



おねは、忙しい秀吉に代わって、朝廷公認という大義名分を得るため朝廷対策を担った。
秀吉の政治拠点として「聚楽第」が造られた。

 

 

おねは、女性として初めて「従一位」という最高の位をもらい、諸大名の統率にも力を発揮する。

秀吉は、制圧した大名が裏切らないよう妻子を人質にとっていた。
おねは、預かった子どもたちの髪を結ったり、着物を着付けるなど、愛情深く接していた。
伊達政宗も同じく差し出していたが、おねから「大切にお世話させていただきます」と書状をもらい、
その思いやりに感動し、以降、豊臣軍として活躍した。

 

「秀吉とおねの役割分担が、天下統一、豊臣政権の樹立につながっている」と専門家は分析する。

秀吉54歳、おね43歳で、天下統一。秀吉は、おねに1万石の所領を与えた。
 

秀吉死去。享年62歳。おねは出家し、京都東山に居を移す。

 

高台寺は、母・朝日殿の菩提寺を移築して開かれた。
おねは、すべての権力を手放し、秀吉と母の菩提を静かに弔った。



「大坂の陣」で豊臣軍は惨敗。


おね死去。享年76歳。

 


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2 コメント

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天下壺(つくもがみ)  (もののはじめのiina)
2018-12-19 17:14:52
秀吉が天下人になったのは、天下壺がそうさせたという説があります。

「九十九髪(つくもがみ)茄子」という茶器を持つ者が天下人になっていきます。それゆえ、天下壺は欲しがられました、
ただし、持ち続けると「付喪神(つくもがみ)」になって滑り落ちる厄介な壺です。

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>もののはじめのiinaさま (monty)
2018-12-20 07:39:00
コメントありがとうございます
モノにも魂が宿ると思います
陰陽師のような話にも出てきました
戦禍を逃れてまで、行きたい場所があるのかもしれないですね
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