素振りブログ。

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ワイルドアームズセカンドイグニッションのあのシーンを思い出す

2019年11月24日 04時01分35秒 | 日記
慎重勇者第6話で、主人公の竜宮院聖哉が荷物持ちに使ってる竜族の少女エルルを、生贄の運命から救う話をしてましたが。
魔王を倒せるという最強の武器・聖剣イグザシオンを得るにはエルルの死が必要。しかし聖哉は「そんな怪しげなもののために大切な荷物持ちを犠牲に出来るか!」と拒否。
こういう話を見ると、どうにも私はワイルドアームズセカンドイグニッションのワンシーンを思い出す。

初代プレステのRPGなんですけどね。
今だとDL販売で買えるのかな?

作中で、FFで言うところの召喚獣みたいなものを操る少年が居るんですけど。
その少年、彼の故郷ではどうも特別な存在だったらしく。

生贄になることで、召喚獣たちが真の実力が振るえるように活性化することが出来る。

そう伝えられるんですね。
で「どうにか生贄になってもらえないか?」と故郷の長たちに迫られる。
暴力的にじゃないですよ?かなり穏やかに。拒否してもいいよ?みたいな感じで。

何で拒否しても良いのかというと、生贄候補は他にも居るからで。(無論、少年が最有力候補なんですけども)
少年が拒否すれば、その子が生贄になってしまう。(その子はすでに覚悟を決めている)

で、少年は悩む。
死ぬのは怖い。でも、拒否すればその子が身代わりに……

そして、悩み抜いて気づくんですよね。
生贄の運命を受け入れても、拒絶してもダメなんだ、って。

何故って、受け入れたとしても、それでもし上手くいかなければ、確実にその代役の子が追加で生贄にされてしまうから。
安易に生贄という運命の存在を認めてはいけない。そう気づく。
で、自分の持っている力を使うことで、作中の世界に迫っている危機を回避することこそ最善なんだと言うのですが。

安易に「命は尊いから生贄なんてダメだ!」の一点張りで自己犠牲を否定するのではなく「自己犠牲的行為を安易に『それで解決が目指せるなら良いだろ』と肯定するのは、それで上手くいかない場合にさらなる自己犠牲を強いることに繋がるからダメだ」と理詰めで否定するのがね。
遊んでたとき、かなり印象に残ったのを覚えてますわ。

竜宮院聖哉にもそのあたりのことを口にして欲しかったですかね。
まぁ「イグザシオンが怪しい」って言葉にはそれが裏に含まれていると思うけど。
それで魔王に通用しなかった場合、エルルの死が無駄になるからそんな選択肢なんて選べるか!ってことでしょうし。
(とはいえ、絶対に魔王を倒せるという確証が仮に出てきたとしてもなんだかんだ理由をつけて否定するんだろうなとは思いますがw)