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癒さぬ傷口が 栄光への入口

吉川晃司と私(2017)~ライブこそ人生~ 

2020-10-15 | キッカワ。
LIVE IS LIFE、と吉川晃司が口にするようになったのはおそらく随分前のことだと思う。
「ライブが人生の本番」
時期こそ定かではないが最初はこんな感じのいつものカッコつけてるのか本気なのかわからない調子で言っていた。
ライブで歌うために曲を作るし、アルバムも作る。
映画の仕事も、ミュージカルの舞台も、すべてはライブで歌うことの肥やしに還元するため。
今でこそようやく役者の仕事も本業であるように語るようになってきた。それはおそらく、「役者が人生の本番」である人たちに対して自分がいつまでも兼業であるかのように振る舞うのは失礼だと思い至ったのではないかと想像する。
とはいえ、吉川晃司にとってステージで歌うことのためにすべての出来事があるという考えは根っこの部分で変わってはいないだろう。

デビュー33周年、52歳を迎える年。
なんのアニバーサリーでも区切りでもない、新しいアルバムの予定もない、そんな年のデビュー記念日に、この年のツアーが発表された。

ツアータイトルは
KIKKAWA KOJI LIVE 2017 “Live is Life”

何を思うきっかけがあったのかはわからない。
東日本大震災があり、
自分に出来ることを求めてひたすら奔走し、
SAMURAI ROCKで叫び声を上げ、
30周年は自身の来し方を広く深くなぞり、
自分がライブで歌うことの意味をWILD LIPSで確かめてきたように。

この5年を駆け抜けてきた吉川晃司は「ライブこそ人生」という原点に再び向き合おうとしたのかもしれない。
それは私の想像上の物語だけれど。

50代になった吉川晃司の「ライブこそ人生」は、これまで発してきた同じ言葉よりも一層意味が重く深くなったように感じる。そう言ってもいい歳になったのだろう。

そしてもしかしたら、すでにあの兆候は出ていたのかもしれないなとも思う。


当初発表されたツアーメンバーは、前年と同じ顔触れだった。
しかし追って3月に追加メンバーの名前が発表された。
菊地英昭。
EMMAが帰ってくる。

2016年に実家・THE YELLOW MONKEYの再集結で、全国ツアーを廻っていたEMMA。
私も大阪城ホールとロームシアター京都で再集結ツアーに参加した。
2001年1月4日以来、15年ぶりのイエローモンキー。目の前に立つEMMAは、この約10年の間吉川晃司の隣で私たちの目の前にいた人とは違う、まぎれもなく「THE YELLOWMONKEYのEMMA」だった。
今更ながら、こんな人をずっと間近に見てこれたのはすごいことだったんだな、と思った。

そのEMMAが、TYMのツアーの空いた2017年夏の吉川晃司ツアーに帰ってきてくれる。

「EMMAちゃんは実家に帰ってしまったけど、考えてみたらちゃんとしたお別れをしてないからけじめをつけようと思って出てもらった」
EMMAが参加し始めた当初は「EMMAちゃんは(本来)吉井くんの隣にいるべき人だから」と言っていた吉川。EMMAが「本来いるべきところ」へ戻ったことを祝福しながらも、未練たらたらで寂しさを隠しきれていないのがとても珍しい。
本当にEMMAのギターとEMMAが大好きだったんだろうな、と思う。


ちなみに本人とは大きく関わっていないのだが。
2017年3月には、野球の世界大会・ワールドベースボールクラシック(WBC)が開催されたのだが、CSでこれらの試合をテレビ中継したJ-SPORTSで、「SAMURAI ROCK」がテーマ曲に採用された。
侍ジャパンとひっかけての採用だと思うが、野球の中継を見ていて放送開始時や終了時やダイジェストが流れたりする時にいきなり吉川の声が聴こえてくると慣れないので毎回ビクっとしてしまったものだった…。

野球関連のついでに完全に書くのを忘れていたことをここで書いておくが、
2013年8月6日にマツダスタジアムで行われたピースナイター(広島で平和を祈念するイベントが催される試合、8月6日当日に開催されたのはこの年が初めてだったらしい)では全身(全身!)カープのホームユニを着用して始球式を務めた。 体格が良いので普通に投手コーチかベテラン投手に見える(笑)。
また2016年にはカープのリーグ優勝に伴いマツダスタジアムで行われた日本シリーズの開幕セレモニーで開幕宣言、国歌斉唱。
この頃から地味に広島出身だからとカープ絡みの話がちょくちょく聴こえてくるようになったのだが、同郷のウエノコウジ(熱狂的カープファン)がバンドに加わってからは以前よりさらにカープファンであることを前面に出してくるようになった気がする…。

話は2017年に戻る。

「ライブこそ人生」と銘打ったツアーは、7月8日広島から始まった。


KIKKAWA KOJI LIVE 2017 “Live is Life”

【サポートメンバー】
GUEST GUITARIST : 菊地英昭 (THE YELLOW MONKEY)
GUITAR : 生形真一 (Nothing's Carved In Stone、ex.ELLEGARDEN)
BASS : ウエノコウジ (the HIATUS、ex.thee michelle gun elephant)
KEYBOARDS : ホッピー神山
DRUMS : 湊雅史 (ex.DEAD END)


01. サバンナの夜
02. TARZAN
03. RAIN-DANCEがきこえる
04. プリティ・デイト
05. LA VIE EN ROSE 2011
06. SAMURAI ROCK
07. ポラロイドの夏
08. Baby Baby〔追〕MAJESTIC BABY
09. 1990
10. Mis Fit
11. Milky Way
12. すべてはこの夜に
13. 太陽もひとりぼっち
14. SPEED
15. IMAGINE HEROES
16. ロミオの嘆き〔追〕恋をとめないで
17. The Gundogs
18. GOOD SAVAGE
19. Juicy Jungle
20. Dream On

- encore -

21. 宵闇にまかせて -KISS & KISS-〔追〕The Last Letter
22. Over The Rainbow
23. せつなさを殺せない

※〔追〕は追加公演(2018/1/20・21武蔵野の森総合スポーツプラザ)での入替


セトリはまあまあオーソドックス。(30周年のせいで何をやってもオーソドックスに聴こえるだけかもしれない)
とはいえオープニング曲がサバンナの夜-TARZANというのは意表を突かれて嬉しかった。考えすぎかもしれないが、EMMAが最初に参加してくれたツアーが「TARZAN」だったから、EMMAとのお別れツアーでこれを頭に持ってきたのかもしれない。

公演数も少なめだったがそれにしても初日が広島なのは珍しい。たいていは首都圏近郊で始まることが多い。東京五輪の関係で会場が抑えづらくなっている件もあるだろうが、近年ふるさと広島に関わる仕事(ローカル番組のナレーションなども)が多かったせいか、はたまた年をとってきたということなのか。若い頃から東京には出稼ぎに行ってるだけ、心は広島──と嘯いてきた吉川だがここへきてふるさとに対する思い入れが以前より強まっているようには感じている。
グッズにはなぜかカープコラボタオルなるものまで登場し始めた。
ちなみに翌日は福岡公演で、一瞬はしごを考えたのはここだけの話。

さてこの2週間ほど後。
今回は公演数が少なく、金曜日に武道館公演だった。会場争奪戦・週末の部は敗れ去ったとみえる。
ちなみにこの公演では当日券として所謂「見切れ席」、ステージより後ろ寄りになる席も追加販売されていた。

さて。
この武道館のアンコールの時に、さらっと、それはとてもさらっと、その爆弾報告は投下された。

「春ごろから喉に結節みたいなのが出来てて、数日前に念のため診察を受けたらポリープになってた。放っておいたら声が出なくなるかもと医者が言うので、ツアーが終わったらころあいを見計らって手術」
「今も鍵盤何個か音が出ないような状態だけど、気づいてないだろ?そりゃあーた、上手に胡麻化して歌ってるんだよ。こちとらプロですから」
「でもこのままだと音の出ない鍵盤が増えるだけだというのでしょうがない」
「ずっと歌っていくために今のうちに取っておきましょうということ」
正確にメモを取っていたわけではない。大まかに言えばこんな感じのことを言っていた。

喉にポリープ…。
あまりにもさらっと言われて、しかもこの男は、足を折ったの足の指を折ったの肋骨折っただの肉離れだの肺にカビが生えただのあれだのこれだのいつもさらっと言うのだ。何でもないことのように。

「手術をすることになるので、このツアーが終わったら1年くらい歌を休む」

そういわれてようやくハッとした。
ちゃんと治してもらわないと声が出なくなるかもしれないのだ。
ライブこそ人生とツアータイトルに掲げた男が、もしかしたら歌えなくなるかもしれない。
足を折っても肋骨を折ってもステージに立ってきた吉川晃司が、歌えなくなる日が?
いや、そんな滅多なことになるわけがない。
それでも基本的にあまり医者の指示を聞かない吉川晃司が手術を決断するというのはよほどのことだっただろうと思う。
きっとそれは本人の口調とは裏腹に、まあまあ深刻な事態の筈なのだ。

という不安や心配は、1年半後にはそれがちょっとバカバカしくなるような結末を迎えるのだけれど。

その武道館のあと、私は大阪・愛知のライブに行ったけれど、「喉にポリープが出来て手術するから来年は歌手活動を休止します」と言ったシンガーとは思えないいつも通りのパフォーマンスを見せていた吉川晃司。
ツアーは9月中旬で一旦ファイナルを迎えることになっていたが、本当のファイナルがZepp Sapporoとは思えない。本当のファイナルが追加発表されるだろうとは思っていた。
札幌の翌日、それは発表された。
「武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナ」という聞きなれない会場で、翌2018年1月に2日間。
味の素スタジアムに隣接して新設されたアリーナ会場。コンサートではこの吉川の公演がこけら落しだ。
世の中にはアリーナクラスのミュージシャンは山ほどいるのに意外とこけら落し公演やるな吉川…。

しかしツアーが終わったらスケジュールの繰り合わせをして手術を受けるのではなかったのか。
翌1月といえば4ヶ月後だ。
確か「精霊の守り人」シリーズのシーズン3の撮影が年内で先、と言っていたような気はするが、喉の手術をするのに大きい会場のライブ2日間などやっている場合なのだろうか。

1年歌手活動を休むと思うと、もっと心置きなく歌っておきたいと思った──といったことをコメントしていたように記憶している。

札幌のライブハウスには行けなかったが、東京の2日間なら私も行ける。だからその追加公演は嬉しい。
けれど、「心置きなく歌っておきたい」というのが微かな不安の影を落とす。
いつも何でもないことのように病や怪我を飛び越えて、後から笑い話のようにしてきた吉川晃司が、もしかして「これが人生の歌い納めになるかもしれない」という可能性を頭の端にでも置いているのではないか。

そんなうっすらとした不安をひとまず一旦は頭から振り払う。
そういうのは「吉川晃司」に似合わない。



---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
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