day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

吉川晃司と私(1993)~10th Anniversary~

2005-12-07 | キッカワ。
暫くストップしてました。再開します。


1993年、吉川晃司の「10周年year」が始まった。

デビューは84年2月である。
ちなみに「20周年year」は2004年だった。
ということで、この年は「10周年の94年2月へ向かう」という少しフライング気味の企画だったような気もする。
ともあれ、「デビュー10周年記念」と謳われた企画が続々登場した年でもあった。

「KISSに撃たれて眠りたい」 は「10年の感謝を込め」という位置付けで発表されたシングルである。曲は現在も「定番」とまではいかなくとも節目のライブには時折演奏されるもの。
「せつなさを殺せない」「ジェラシーを微笑にかえて」の流れの線上にある、この時期のポップ色を押し出した曲のひとつの「いきつくところ」だったのではないかと思う。
 これは「曲」そのものよりもPVがいかにも10周年ぽくて印象深いものだった。デビュー当時のやんちゃな少年から新撮の現在の吉川まで、テレビ出演やCMの映像などから構成されていたものだ。このイントロでも出るしこのシングルのジャケットにもなっている、(10th Anniversaryライヴのパンフレットにもなった)ギターを抱いた写真は私のお気に入りの一つである。

 この頃から吉川は自分ひとりでなく作詞家との共同作業で詞を書くことが多くなった。
 完全に任せてしまわずフォローに回ってもらっていたというのはそれでもまだどこか拙い歌詞を見れば察しがつくが、貪欲に上を───それはセールスやチャートの順位などという数字で判断できるものでなく───見ようとしている姿が透けて見える。作詞、作曲、プロデュース……一通り自分の手でやってみて、自分に足りないものは自分一人で埋められないことを理解し始めたのかもしれない。
 自分が進化するために、誰かの助けを仰ぐ。
 助けを仰いでそれに頼ってしまうのではなく、そこからきちんと必要なものを吸収する。そして、助けを借りずとも「自分で」出来るようになろうとする。
 どこまでも、欲張りだ。

 20代後半、デビュー10周年。
 吉川晃司は自分がまだまだ発展途上の若造であるということをやっと本当に認めたのかもしれない。
 但したとえそれを認めたところで、では「大人」になろうとしたかというとそうではない。

「どうせ1000年もない人生さ」
「俺たちしか見えない世界だけを目指せ」

 曲調はあくまでもポップながら、吉川晃司は自らを煽って焚きつける。
 いつまでも闇雲に走るだけのガキであろうとするかのように。
 いつまでも理想の世界を信じている青臭いガキであろうとするかのように。


 いくらデビューが17歳の少年だった頃で、しかも「アイドル」という名のタレントが出発点だったとしても。
 10年もやっていれば、普通はもっと安定感が出てくるものだと思う。
 他のアーティストの「10周年」を見ていれば、たいていはもうその時点でひとつの完成形を持っている。安心感もある。しかし吉川晃司の10周年は違った。
 第二次ソロ開始から2年、COMPLEXを入れても4年ばかり。それにしても、駆け出しのミュージシャンのようにあちらへこちらへとふらふら振幅しているのがこの頃の吉川の姿だった。少なくとも私にはそう見えていた。
 「自然消滅」しようとしていた時のような「どうでもよさ」は感じないけれど、この頃の私は吉川晃司のファンであるということを他人に言うのに、「てへへ、恥ずかしながら」のような謙った態度でいたような気がする。
 何故ならこの頃の私は吉川晃司の作る楽曲は完成度が低いと感じていたし、万人に向けて「いいでしょ」と大きな声で言う自信がなかったからだ。

 それなら何故ファンを続けていたのだろう。
 それはやはり、「ステージの上での吉川晃司」に魅せられて離れられなくなっていたのだと思う。
 いくらCDで聴いてもぴんとこない曲だろうが、ライヴで全身でそれを感じた途端生き生きとその輝きを発し始める。それを何度も体感しているからこそ、ライヴに足を運ばずにはいられないのだ。

 不安定であちらこちらへ振幅する姿そのものが吉川晃司の吉川晃司たる所以だということにようやく気付いたのは20周年を過ぎた最近のことである。


2月1日~9日にかけては、
KOJI KIKKAWA 10th Anniversary MEMORIAL LIVE Tour 1993 と銘打たれた短いツアーが組まれた。
どうも15周年と記憶が混濁していて、武道館に行ったような気はするのだがちょっと自信がない…(笑)
ファイナルの大阪2DAYSには両日参戦。

このツアーで参加したベーシストは吉川の高校時代の仲間という山本秀史。この後暫くの間、彼が吉川のベーシストを勤めることになる。また、キーボードには、アイドル時代のバックバンド「PaPa」のメンバーだった、山崎透。
10周年ということで古い曲も…というところでの起用だったのだろうか。

実はこのライブ、私はあまり深い印象が残っていなくて、どんな衣装だったとかどんな構成だったかとか細部がまったく思い出せない。
ただ一つ、ひどく印象的だったのは───
「COMPLEX」活動休止後のソロ活動の中で、決してやってこなかった当時の曲を3曲も───「MODERN VISION」「Pretty Doll 」「BE MY BABY」───いきなりやったものだから、会場が異様なまでに盛り上がったことだろうか。
最近では特に20周年ライブの関係などから、COMPLEXの曲も大抵毎回やるようになったせいかそこだけが異様にもりあがるということはなくなってきたのだが、この時
「ああ、COMPLEXからファンになった人が多くなったんだな」
と妙に感慨深かった。確かに私も嬉しかったし盛り上がったのだが。

このライヴを収録したライヴアルバムが、GOLDEN YEARS vol.1/GOLDEN YEARS vol.2


この年、大学時代の友人が結婚したので二次会で当時の友人が久しぶりに集まった。
あの、私と一緒に吉川晃司と出会った「けーこ」とも暫く連絡が途絶えていたが再会。けーこは結局私のようには吉川ファンを続けているわけではなかったが、「10周年」の大阪フェスには足を運んだという。
顔を見て話すのは何年ぶりかなのに、あの時同じ会場にいたのだ。

不思議な気持ちがした。



まだまだ鼻ったれの若造であると自覚した吉川晃司。
前だけを見て突っ走っていただけだった吉川が、突然足を止めて見つめたのは自分の足元や曇った空だった。


---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~

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