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day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

安田章大写真集『LIFE IS』とそれにまつわる色々

2020-10-05 | エイト。
9.24、慌てて例年のアレをアップしたんですが、この日はこの本がうちに届いてました。



発売日前後には、関ジャニ∞クロニクルFの番組内でほんの短くではあれ本人のコメントを挟んで紹介したり、ラジオ番組で語ったり、ニュース番組で小さな特集を組んでもらったりしてました。
(もっとも、そのうち何件かは関西では放送されないものでした。残念。) 同じ写真集についての取材なのに、それぞれで少しずつ語る内容が変わっていたりしたみたいで、本当は言葉で語って語って語りつくせないくらいの思いがこの写真集にはあるんだな。
10/3の「サワコの朝」ではとても深い話も聞くことができて。
これらの取材の中で、例えばFCの会員やweb会員、雑誌インタビューなど色んな媒体で章ちゃんの言葉を懸命にかき集めたファンでも初めて聴くような話がたくさんありました。
それについての雑感は後で。


雪や氷に閉ざされた地で撮影されたそれは、テーマの一つである「輪廻」を容易にイメージできるような舞台で。
幾度も幾度も生と死の淵を綱渡りのように生き延びてきた安田章大という人の、生の世界と死の世界が交互に浮かび上がってくるような写真たち。

命あるものが何一つ無いかにすら思える極寒の大地。
枯れて倒れた樹木。
暗闇。
動物の骨。
雪の舞う水際。
洞穴の闇。
慰霊のような、あるいは反魂の儀式のような火。
闇にきらめく星たち。流れる星。
森の生き物に擬態する。
血のように真っ赤な果実。
それは生きている証。
生の世界のものに触れる。
命のあたたかさ。

生きている。

ただただ静謐な世界に、遠くで静かな歌が聴こえるような気がした。


この日はこうだったけど、

この表紙を開くたびに、こちらの心を映し出して見え方が変わってくるのかもしれない。



別冊の小冊子は、髄膜腫の手術前後の安田章大の様子を家族が撮影したものだったり、それが発見された時のMRI画像が掲載されている。ブルーで印刷されたそれは、当然ながらショッキングなものだ。
思っていた何倍も腫瘍は大きかった。
自身ではショックや不安を感じなかったというが、実感がわかなかっただけかもしれない。

私事だが、両親や兄弟をみんな癌で亡くした母が自分の癌が判明して手術することになった時、全くいつもと同じ様子で電話をかけてきていつもと同じ明るい調子で笑いながらこう言った。
「あんな、お母さん癌なってん。ほんで〇曜日に手術やから一応言うだけ言うとくわ」
後で聞くと、ステージ4目前だったらしい。摘出した患部は想像をはるかに超えて大きかった。
(母はその後抗がん剤治療も中断したが再発することもなく2020年現在健在です、念のため)
もし自分だったらと想像する。大きな自覚症状もなくそんな告知を受けてすぐ手術しましょうと言われたら多分私も手術が終わった後の苦痛が来るまではあっけらかんとしていそうだなと思った。

章ちゃんは家族や仲間たちをとても大事にする人だ。
だから、両親や家族や仲間たちに大きな不安や心配や苦しみを与えてしまったことでやっと自分がどんな境目に立っていたのかを理解したのかもしれない。


サワコの朝の中で、当時の章ちゃんのお母さんの記録が紹介された。お母さんは今年の誕生日(ついこないだ!)に、こんな日誌的なものを残していたことを教えてくれたのだそうだ。
出来るだけ冷静に、事実だけ記録しようとする苦心が見受けられる。
私には子はいないけれど、お母さんの想いはいかほどだっただろうと想像する。自分が病気になった方がずっと気が楽だったかもしれないな…。
でもそんなお母さんが、大けがの時だったかに、「こんな病気や怪我をしたことはアンラッキーだったけど、支えてくれる周りの人には恵まれてラッキーやったね」と言ってくれたそうだ(確か、GR8ESTツアーのMCで言っていたと思う)。
こんな風に言えるようになるまで、どれだけの葛藤や苦悩と戦って来られたんだろう。
そういう人に大切に育てられたからこういう子に育ったんだろうな…。

これらの写真の中に、手術のすぐ後なのだろう、ひどく腫れてむくんだ顔で、それでも大きな口をあけて食事をしている彼の姿があった。
お母さんの手記の中にも登場するが、これは快方へ向かう際に起こることなので術後の経過が順調である証だったのだという。
「ジャニーズのアイドル・関ジャニ∞の安田章大」の雑誌グラビアでは絶対に見られない姿。

サワコの朝の中で初めて語られたことだったと思うが、手術が無事終了するまでメンバーには病気のこと、手術のことは一切知らされていなかった。
ハイエナのようなマスコミがどこで嗅ぎつけてくるかわからないという危機管理の観点もあるだろうし、章ちゃんからすればそれぞれ各自の仕事をしているメンバーによけいな心配をかけさせたくないという思いだったりもしただろう。
術後それを知らされたメンバーの中には、もし万が一これでヤスが死んでしまっていたら何も知らずお別れも言えなかったと激昂した者もいたという。
それもまた理解できる。そちらの立場なら、私ももちろん激怒したに違いない。
いつだったか、大倉がくらすますだかレンジャー日記の中で、もしヤスを失っていたらと思ったらぞっとした、命について考えさせられた、といったことを書いていたことがあったように記憶している。激昂したメンバーの誰か一人は大倉だったのかもな、と思う。でも他のメンバーも怒ってそうだ。みんなそれぞれにヤスがとても大事だったはずだから。
そんな怒れるメンバーたちに、当の本人は腫れた顔を「おもろいな!」と自撮りしてその写真を送って。
それに対して彼ら(誰かは不明)は「おもろいやんけ!」と自分の変顔を送り返してきたという。
ヤスが生還してくれた、それだけで彼らは(ひとまずは)笑うことが出来たのかも。
そしてそんな仲間たちが面白おかしく茶化してくれたことで、章ちゃん自身も生きていることの嬉しさを実感できたのかな。

10/1の有料ブログ「関ジャニ戦隊∞レンジャー日記」の中で章ちゃんは手術前日の自分の写真をアップしてくれていた。
それは家族に向けた顔だった筈なのに、アイドルとして私たちの前に立ってくれている時と変わらない、無邪気そうでまぶしい笑顔。

この人は、本当に嘘のない人なんだろうな。


でも自分のファンに向けては、うまく回復しない自分の身体に苛立つ日もあること、ファッションが大好きなのに常に色付き眼鏡が手放せなくなって、眼鏡が合わないと自分が思うファッションが出来なくなったり、潜れなくなって大好きだった海の中の世界を失ってしまったことを想って泣いてしまったり、去ったメンバーを想ってその喪失感に打ちひしがれる日があることも。自分の弱さをちゃんと見せてくれてきた。
「大病を乗り越えてなお明るく生きている」の下にはちゃんと苦しみと戦っている自分がいることも、知らせてくれている。同情して欲しいんじゃなくて、同じような苦しみを感じている人に共に行こうねと手を差し伸べるために。


章ちゃん自身のこと、写真集のこととは話が逸れるが「サワコの朝」の中で触れられた話についてこの流れで書き留めておこうと思う。

他の取材の時にはあまり言及されなかったようだけど「サワコの朝」では後遺症で倒れた際に大きな怪我をしたことも触れられていて。
脳腫瘍の手術のことはそのまま隠して活動していく道もあった。実際、隠したまま章ちゃんはたくさんの仕事をこなしていた。アルバムのPVや特典の撮影、激しい舞台「俺節」、メトロック、そしてコンサートツアー。
でも、立ち上がることもままならない怪我を負ってしまった章ちゃんは十分なパフォーマンスが出来ないから中止してくれと。それでも渋谷すばるが脱退することだけでも衝撃や不安を抱いているファンに、満足なパフォーマンスが出来なくてもいいから顔を見せてあげた方がいい、という方向に、自分でシフトしたのかもしれないしもしかしたら「説得されて」仕方なくそうしたのかもしれない。
こんな身体ではもう活動できない、芸能をやめようと考えたこともあるという。

もしも。
すばるが脱退していなければ。
GR8ESTツアーは章ちゃんを休ませての6人でやったのかもしれないなと思ったことならあったけれど。
すばるが、そして亮ちゃんが抜けていなければ、章ちゃんが辞めていたのかもしれないのか。

以前何かのエントリで書いたが私は亮ちゃん脱退発表前に「次の脱退があるなら章ちゃんかもしれない」と思っていた。
ジャニーズを辞める=芸能界引退という考えが彼の中にあることを知らなかったこともあるけど。。
ただ辞めるという選択肢が章ちゃんの中にあったことは意外なほど驚きは無かった。
章ちゃん自身はジャニーさん・メリーさんという芸能界での親に対する仁義として、ジャニーズを辞めるのは芸能活動をやめる時だと考えているという。けど、それはそれぞれ独立して音楽活動を続けているすばるや亮ちゃんを断罪するものでは決してない。
そもそも、ジャニーさんならジャニーズから巣立って独り立ちするという息子たちを喜んで祝福してくれるだろうからね。本当に「章ちゃん自身の仁義の通し方」なんだと思う。
また、以前亮ちゃんについて書いたエントリでも書いたけど、大きな事務所に守られて活動していく自分はダサいと亮ちゃんは思うかもしれないけど、章ちゃんの仁義の通し方はそれはそれでカッコイイとか思ってそう。
どちらも、それが自分の信念に基づいてきちんと考えて決めた道ならばちゃんと認め合える人たちなんだと思うよ。

たくさんのif。たくさんの選択肢があって。
でも、たとえばすばるがあの時に辞める道を選ばなかったとしても「7人の関ジャニ∞」は永遠ではなかったのだろうな。
「関ジャニ∞は仲はいい。けど話合いをしてこれなかったから、やめるメンバーが出たのかも」

シングル「なぐりガキBEAT」の期間限定盤特典映像に、すばるがメンバーを居酒屋に招集して、飲みながら今後の抱負を語り合ったりするものがあった。そこですばるはまとめとして、今後「関ジャニ∞」がさらに上を目指していくにあたってきちんとメンバー同士で会話、ぶつかり合いではなく意見交換としての「会話」をもっとして、グループとしての方向性を作って行かなければいけないのではないか、というような事を語った。
忙しかった時期だし、グループは一見安定していた。ぼち夜でヨコが言ったように、「もう俺らおじいちゃんになるまでこんなままの関係性で行くんやろな」と。それを「永遠」と勘違いするほどに。
若い頃ほどぶつかったりケンカしたりすることもなく、互いを理解し合っているとそれぞれの甘えが出ているようにすばるは感じていたのかもしれない。
すばるはこの頃にはすでに独立も視野に入れてグループに対する危機感を感じていたのかもしれないし、一方で他のメンバーはそこまで真摯にはすばるの言葉と向き合うこともあまり無かったのかもしれない。
そうしてすばるが脱退を決め、GR8ESTツアーで疲弊していた彼らはもしかしたらまたしっかり話し合うことも出来ないうちに亮ちゃんが結論を出してしまったのだろう。

大倉は後輩であるキンプリ永瀬廉に「忙しくてもメンバー同士でグループの活動について会話する機会を意識的に作れ」とアドバイスしたという。ぼちぼち大切な夜の時にも、くらすますで「こういう話し合いは地味に大事」と語った。
その反省が、5人になった関ジャニ∞にはしっかり根付いたのだと思う。
ファンに対して何をどういう形で見せていくのか、どうやって楽しんでもらえるのか、何を表現していくのか。それぞれが考え、持ち寄り、すり合わせ、揉んで、形づくっていこうとしている様子が、47ドキュメンタリーを見ていても見て取れる。
これまで以上に仲良くワチャワチャしているけれどその水面下でちゃんと意思の疎通や現在地の確認というコミュニケーションが取れているのだろう。
「仲のよさ」に甘えている余裕はもう無い。
それが、この1年間見つめてきた5人の関ジャニ∞の姿だ。
渋谷すばると錦戸亮が、脱退して関ジャニ∞に残していった一番大きなものは、そういう「厳しさ」だったのかもしれない──。

すばるの訴えに真摯に応えてあの時に変わっていたら、7人の関ジャニ∞は続いたのかな?
でもその一段レベルの高い安定がもたらされていたら、病気や怪我をした時に章ちゃんがやめたかもしれないんだよね。
ソロミュージシャンとしての「渋谷すばる」も「錦戸亮」も、今の形では会うことはなかった。

だとしたら。
やはり、今この形が正解なのだろうと思う。

「これを『正解』にしていかなアカン」

『正解』の道を選ぶんじゃない、選んだ道が『正解』だったと思える明日を作れるのは、今日の自分なんだよね。

話逸れたけどこの話はここまで。パズルのピースのように散らばっていたものが、この番組で語られた章ちゃん自身のことばで突然パズルが完成したようにすっきりと収まった気がする。
とても和やかに、明るく、色んな話を引き出してくれた阿川佐和子さんに感謝を。

ジャニーズのアイドルの王道は、やはりキラキラしている姿なのだろうと思う。そういう意味で、もともと関ジャニ∞は少し横道に逸れたところを走って来たグループではあると思う。でももちろんキラキラしているところも、めちゃくちゃカッコイイところもあることはファンは知っている。
章ちゃんはキラキラじゃなくてコンビニ感覚のアイドルで、全部曝け出していくというスタイルでいくことにした。
キラキラを求めるファンを切り捨てたみたいに思われるかもしれないけど、と。
(いや、コンビニ感覚とおっしゃいますけど、キラキラじゃないとしてもこんな哲学を伝えてくれる人をコンビニ感覚とは思えないわw)
まあ、もう三十代後半になって、ファンもそこらへんは切り替えしていく時期だと思うしね。受け入れてもらえるのが一番いいんだろうけど。
ジャニーズのアイドルだから、じゃなくて安田章大だから好きだという人はちゃんと残っていくから安心して欲しい。
章ちゃんが全部曝け出しても繋げたいと思った章ちゃんの経験値。 思えば、ヨコがことし、自身の家庭環境について今まで以上に踏み込んだ告白をして、NHKなどそういう番組に出て語ったりするようになったのは、章ちゃんの「自分の経験値をひとりじめせずに他に伝えたい、それで救われる人もいる」といった考え方に影響されたのかな…と少し思います。

願わくば、章ちゃんがこれから経験することがこんな形で伝えなければ!と思わせられるようなしんどいものではなくて、ただ共有して笑っていられることばっかでありますように。

ただ、一番大きな祈りは、文字にせずに心の中にしまっておきます。


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