day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

吉川晃司と私(1996)~BEAT∞SPEED

2019-07-29 | キッカワ。
12年半の沈黙を破り続きです!(笑)

どんどん記憶も遠のいていくしこのままフェードアウトしてやろうかとも思っていたんですがいまだにこのシリーズに若干ながらアクセスがあるようなので老化した脳をぎりぎり絞りながら続きを書いてみることにしました。
このシリーズすべてそうなんですが、当時明確に書き残したメモなどがあるでもなく、探してきたライブのセットリストやディスコグラフィーなどを見ながら当時のこと、当時の自分が思っていたことなどを思い出しながら書きます。当然記憶違いや見当違いのことを書くこともあると思いますがそのあたりはご容赦下さい。




アルバムとツアー「FOREVER ROAD」で、一旦立ち止まった足を前へ進め始めた吉川晃司。
しかしトップスピードに乗っていくのはそう簡単ではなかった。

その前に──

FOREVER ROADの章で完全に書くのを忘れていたのだが、このアルバムがリリースされツアーが開催されたのは1995年だった。
つまり、この年の初め、阪神淡路大震災が起こっていた。
私が吉川の記憶を辿って書いているこのシリーズで、私も大きな揺れを体験したあの震災について書くのを忘れていたということは、つまりこの時には吉川晃司は表立ったアクションは起こしていないということだろう。
あの年の3月頃には大阪城ホールで多くのミュージシャンが集まってチャリティライブが開催された。確かCHAGE&ASKAも参加していたので見に行った覚えがある。
この時、私は思ったのだ。
吉川晃司はこういう時、目立つ方法で何かやる人ではないのだと。
陰では何かしら行動していたのかもしれないけれど。
やらない善よりやる偽善、という境地にはまだ達していなかったのかもしれないし、そこはよくわからない。
とにかくこの時に彼が何らかの行動を起こしたという報道には触れていないと思う。
それを受けた上での彼の2011年については、その項で語ることにする。


きっと詳細な真実が一般の我々に向けて知らされることは今後も無いのだろうけれど、もしかしたらこの頃にはすでにそれは始まっていたのかもしれない。
が、そんなことは我々が知る由もなかった。

春にライブアルバムが出て──
夏から秋にかけて、シングルとアルバムが畳み掛けるようにリリースされた。
1996年7月1日 アクセル。
1996年9月30日 SPEED。

今もファンに愛されている、ライブ定番曲だ。
今これを書いている時点のツアー(35th)でも歌われている。

10月にアルバムのリリースとツアーが発表されていたが、夏には珍しくイベントライブが1本あった。
東京と神戸で1本ずつ。私は神戸のワールド記念ホールに参加した。
特に記憶には残っていないのだが、2本しか開催されていないこのライブの関西での開催が神戸だったのはもしかしたら震災復興支援チャリティの側面もあったのかもしれない。
このライブは吉川単独ではなく、高橋克典・貴水博之とのコラボレーションだった。
最後には共演の二人も一緒に「No No サーキュレーション」をやってくれるというなかなかな贅沢。
ちなみに何故か異様に記憶に残っているのは、当時貴水と吉川がものすごく卓球にはまっていて二人で卓球ばかりやっているという話だった。


そうこうしているうち秋になって、アルバムがリリースされた。それに伴いツアーも開始。
1996年10月16日 BEAT∞SPEED。

秋にリリースされたせいかこのアルバムには冬のイメージがある。
何故だろうと思ったがこの冬に友人の車でスキーに行った時にこのCDをかけていたからかもしれない…。

Cloudy Heart以前の、ライブでノリのいいPOPさも兼ね備えたようなものがあると思えば、DATE RIPPER やRADIO GUITERのようにギターの音がやけに鋭く刺さってくるもの、前作の空気を纏っているROUTE31のような見晴らしの良い曲など、『吉川晃司の曲はこう』という形がここへきてやっと見えはじめている気がする。
さすがにもうこの頃には初聴で「?」ということはなくなってきた。
ライブで演奏された時にどんな雰囲気になるのかの想像もつくようになってきた。

そんな中、異彩を放っていたのがラスト曲の「パピルス」だった。


ツアーではこの曲がオープニング曲となった。
曲調と相まってどこか荘厳でそれでいて退廃的で、幻想的な始まり。

この時のセットリスト(拾いもの)


パピルス
DATE RIPPER
SHADOW BEAT
サイケデリックHIP
愛にそのまま
SACRIFICE
SEXY
RADIO GUITAR
BOMBERS
INNOCENT SKY
SEX CRIME
ROUTE 31
GIVE ME A BREAK
PEEKABOO
Fall in Dream
A-LA-BA・LA-M-BA

=アンコール=
KISSに撃たれて眠りたい
せつなさを殺せない



…しかし実はこのツアーでの個人的な思い出は特にない(笑)。
このツアーの間には、SHADOW BEATがシングルカットされている。
今思えば1年にアルバム2枚(ライブ/オリジナル)シングル3枚って怒涛のリリースラッシュではないか。
まだCDが売れていた時代なんだろうな。

──と思ったら年明けにCOMPLEXの頃から所属していた東芝EMIから離れて移籍するという。
そのせいだったのかはわからないが、結局このツアーのライブ映像が発売されることはなかった。10数年後にDVD-BOX『LIVE=LIFE』に入るまで、このライブを追体験することは出来なかったのだ。

当時はそういったことにはあまり興味がなかったのでどういう経緯だったのか全く知らなかったのだが、とにかくこの頃外資がばんばん入ってきてレコード会社の再編がすごかったようだ。とにかく一旦はユニヴァーサルのJ-POP部門に移ったようだがその名義でのリリースは実際にはない。そのあと名義だけで言えば所属はポリドール~キティMMEとなる。このあたりも再編の兼ね合いで実際にはどう異動したのかもよくわからない。
とにかく1997年に東芝EMI時代のベストアルバムが出て、その後の数枚のシングル・アルバムはポリドール~キティの名義となるのだが──

私はコアなファンではあるけれどマニアではないので、実際のところレコード会社についてそこまで興味を持って情報を追ったりしてはいなかったのだが、そんな私ですらあとから思うとポリドールからキティの数年間は『苦難』の代名詞のように感じている。

2019年の今年、三国志展のボイスナビを担当した吉川が三国志にはまったきっかけについて語る中で、「30代の前半に人生の最大の岐路があり、その時に指南書として読み始めた」といったことを言っている。
その「30代前半」は、このあたりから数年のことだ。

それでも、私は無根拠になんとかなると信じていた。
何故なら、吉川は『ライブでパフォーマンスすること・私たちファンに会うこと』を決してやめなかったからだ。


---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
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