恋愛でも友人関係でも、あまりに疎遠になると自然消滅する。
「消滅」というのはかつて共有した時間までを否定するようで嫌いな言葉なのだが、現在進行形の関係が消滅するということではある。
ツアーをひとつ行き損ねた上に、めっきりテレビに登場しなくなり挙句に1年間活動休止。
新しいニュースなど出てこない。
のぼせた頭が冷えるには十分な時間だった。
吉川晃司は1988年初めごろ「BACK TO ZERO」というライヴを武道館で行い、そこから休養に入った。
本当はすぐにでも次のステップに行きたかったが契約の問題などで1年間活動「できない」状態だったのだ、ということは私は後で知ることになる。
吉川晃司が日常から姿を消して暫くして、「BOOWYの布袋寅泰とユニットを組む」というニュースをようやく目にした。
私は申し訳ないがBOOWYには全く興味は無かった。Merry X'mas SHOWで見たからかろうじてメンバーの顔や名前は知っていた程度だったし曲もほんの数曲しか知らなかった。そのせいか、布袋とユニットを組む…といわれてもピンとこない。
ただ、アイドルという地位を自ら「解体」した吉川晃司が次に目指すと思われた方向にそれが合致しているのだということは判った。
判ったけれど、正直なところ私は特別わくわくするでもなく「ふぅん」と思っただけだったのだ。
この時点で、ファンとしてかなり「自然消滅」間近な心理状態であったことは間違いない。
そして1989年。
「COMPLEX」という双頭の奇妙な生物は蠢きだした。
シングル「BE MY BABY」に続きアルバム「COMPLEX」のリリース。
ところが、あろうことか私はこれらを買うことはなかった。(後に中古で購入)
終わっている。
さすがに、そろそろ自分でも終わっていることに気付きはじめた。
そのままなら多分私と吉川晃司は二度とライブ会場であいまみえることは無くなっていただろう。
しかし何故か───ファンになる前から私の周りに吉川晃司という言葉が飛び交っていたように───まだ「自然消滅」は許さないと言わんばかりの偶然が再び私を吉川晃司に引き寄せた。
卒業後さほど親しく付き合いをしていたわけではない高校の先輩からのこんな電話。
「COMPLEXのコンサートのチケットが余ってるんやけど行く?」
すんません、行かせて頂きます。
というわけで、大阪城ホールでのCOMLPEX TOUR 1989に急遽参戦決定。
座席は、スタンド席のかなり後ろの方だったと記憶している。
ろくに予習もせずに行った。
1枚しか出ていないアルバム。当然、布袋のソロ曲や吉川の以前の曲もやる。
ステージの遠さと一度終わった感のある気分のせいで、私は比較的冷静にそのライブを観察していた。
一番覚えているのが、私の斜め前あたりの席にいた高校生くらいの男の子が、吉川のMCが入って次の曲に行くたび、
布袋く~~ん、なんか喋ってよぉ~~!
と叫んでいたこと、というのが情けないのだが…。
それでもやっぱり、ライブは楽しいなぁとしみじみ思った。
だから、遅まきながらCOMPLEXをちゃんと聞いてみよう、と思った。
で………
気づけばBE MY BABYのシングルビデオや買っていなかったアルバムがいつのまにかうちに揃い始めていた。
危ないところだった。
あそこでライブへ行かなければ、本当に私はフェイドアウトしていたと思う。
ありがとう、先輩。
天安門事件があった。ベルリンの壁崩壊があった。
そして1990年。
COMPLEXの2枚目のアルバムROMANTIC1990は、そんな大きく変化しつつある世界に如実に影響を受けていた。
シングル1990
その中のほどけた靴紐を結んでという歌詞を聞いた時、「吉川もこんな歌詞が書けるようになったんだなー」と妙に感慨深かったことを覚えている。
この曲は今でもお気に入りの一つ。
昨年の20周年表ツアーで歌われていたのが聞けてとても嬉しかった。
アルバムの最後の曲「after the rain~朱いChina」を聞いた時は、むしろ「吉川晃司」がこんなメッセージ色の強い歌詞を書くということに違和感すら覚えたものだ。
たった2年の活動の中で、吉川晃司は着実に貪欲になにかを吸収していたのだろう。
1990年6月。
大阪城ホール公演を、今度は自分で2日分とった。
すでに社会人になっていた私はしかし、わずか入社1年3ヶ月で会社を退職しようとしていた。
理由はここで書くようなことではないが、とにかく退職という選択に対して自分が決めたことにもかかわらず(むしろ自分で選択したからこそ)一種の敗北感を感じていた。
残った有給休暇を使って吉川の歌声を、躍動する姿を、皮膚で体感する。
そのころ、殆どと言っていいほどMCをしなかった吉川が言った。
外国では、俺たちと同じやもっと若い連中が戦ってる。
それに比べてこの国は平和で幸せだ。
でも、学校とか、職場とか、試験とか、他から見れば小さな事でも、皆毎日何かと戦ってる。
そんなやつらの為に歌います。
そう言って歌ったのが、私が「メッセージ色が強くていやだなあ」と思ったあの「after the rain~朱いChina」。
不覚にも、私は微動だにしないまま泣きそうになっていた。
多分、他人から見れば些細なことで。
お前はもっと頑張れた筈なのに逃げ出した負け犬だと言われても仕方なかった時。
慰めるでも叱咤するでもなく、ただ背中を押された気がした。
今日負けても明日勝てばいい。
負け続けても、勝つまでやればいい。
そんな勇気をもらえた気がした。
出社最終日、私はしかめっ面ではなく笑顔でいられた。
一方COMPLEXはわずか2年で活動を休止すると発表されていた。
吉川晃司と布袋寅泰は既に様々な問題で衝突を繰り返し、同じユニットでやってはいけないところまできていたのだ。
「ROMANTIC1990」のアルバムはほとんど吉川と布袋が顔を合わせることなく作られたとあとで知った。
そして、東京ドームでのラストライブ。
布袋が「別に東京ドームなんかでやらなくても」とか言ったらしいが吉川が「布袋君はBOOWYでやったことがあるからいいけど俺は東京ドームでやったことないからやってみたい」と言ったらしい。
結局、その後も吉川晃司がドーム会場に登場することは現在に至るまで無い。
「COMPLEX」は、伝説になった。
しかし、私はわくわくしていた。
COMPLEXが出来ると聞いた時の何倍も。
なぜなら、それは「吉川晃司」のソロ活動の再開を意味していたからだ。
---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
「消滅」というのはかつて共有した時間までを否定するようで嫌いな言葉なのだが、現在進行形の関係が消滅するということではある。
ツアーをひとつ行き損ねた上に、めっきりテレビに登場しなくなり挙句に1年間活動休止。
新しいニュースなど出てこない。
のぼせた頭が冷えるには十分な時間だった。
吉川晃司は1988年初めごろ「BACK TO ZERO」というライヴを武道館で行い、そこから休養に入った。
本当はすぐにでも次のステップに行きたかったが契約の問題などで1年間活動「できない」状態だったのだ、ということは私は後で知ることになる。
吉川晃司が日常から姿を消して暫くして、「BOOWYの布袋寅泰とユニットを組む」というニュースをようやく目にした。
私は申し訳ないがBOOWYには全く興味は無かった。Merry X'mas SHOWで見たからかろうじてメンバーの顔や名前は知っていた程度だったし曲もほんの数曲しか知らなかった。そのせいか、布袋とユニットを組む…といわれてもピンとこない。
ただ、アイドルという地位を自ら「解体」した吉川晃司が次に目指すと思われた方向にそれが合致しているのだということは判った。
判ったけれど、正直なところ私は特別わくわくするでもなく「ふぅん」と思っただけだったのだ。
この時点で、ファンとしてかなり「自然消滅」間近な心理状態であったことは間違いない。
そして1989年。
「COMPLEX」という双頭の奇妙な生物は蠢きだした。
シングル「BE MY BABY」に続きアルバム「COMPLEX」のリリース。
ところが、あろうことか私はこれらを買うことはなかった。(後に中古で購入)
終わっている。
さすがに、そろそろ自分でも終わっていることに気付きはじめた。
そのままなら多分私と吉川晃司は二度とライブ会場であいまみえることは無くなっていただろう。
しかし何故か───ファンになる前から私の周りに吉川晃司という言葉が飛び交っていたように───まだ「自然消滅」は許さないと言わんばかりの偶然が再び私を吉川晃司に引き寄せた。
卒業後さほど親しく付き合いをしていたわけではない高校の先輩からのこんな電話。
「COMPLEXのコンサートのチケットが余ってるんやけど行く?」
すんません、行かせて頂きます。
というわけで、大阪城ホールでのCOMLPEX TOUR 1989に急遽参戦決定。
座席は、スタンド席のかなり後ろの方だったと記憶している。
ろくに予習もせずに行った。
1枚しか出ていないアルバム。当然、布袋のソロ曲や吉川の以前の曲もやる。
ステージの遠さと一度終わった感のある気分のせいで、私は比較的冷静にそのライブを観察していた。
一番覚えているのが、私の斜め前あたりの席にいた高校生くらいの男の子が、吉川のMCが入って次の曲に行くたび、
布袋く~~ん、なんか喋ってよぉ~~!
と叫んでいたこと、というのが情けないのだが…。
それでもやっぱり、ライブは楽しいなぁとしみじみ思った。
だから、遅まきながらCOMPLEXをちゃんと聞いてみよう、と思った。
で………
気づけばBE MY BABYのシングルビデオや買っていなかったアルバムがいつのまにかうちに揃い始めていた。
危ないところだった。
あそこでライブへ行かなければ、本当に私はフェイドアウトしていたと思う。
ありがとう、先輩。
天安門事件があった。ベルリンの壁崩壊があった。
そして1990年。
COMPLEXの2枚目のアルバムROMANTIC1990は、そんな大きく変化しつつある世界に如実に影響を受けていた。
シングル1990
その中のほどけた靴紐を結んでという歌詞を聞いた時、「吉川もこんな歌詞が書けるようになったんだなー」と妙に感慨深かったことを覚えている。
この曲は今でもお気に入りの一つ。
昨年の20周年表ツアーで歌われていたのが聞けてとても嬉しかった。
アルバムの最後の曲「after the rain~朱いChina」を聞いた時は、むしろ「吉川晃司」がこんなメッセージ色の強い歌詞を書くということに違和感すら覚えたものだ。
たった2年の活動の中で、吉川晃司は着実に貪欲になにかを吸収していたのだろう。
1990年6月。
大阪城ホール公演を、今度は自分で2日分とった。
すでに社会人になっていた私はしかし、わずか入社1年3ヶ月で会社を退職しようとしていた。
理由はここで書くようなことではないが、とにかく退職という選択に対して自分が決めたことにもかかわらず(むしろ自分で選択したからこそ)一種の敗北感を感じていた。
残った有給休暇を使って吉川の歌声を、躍動する姿を、皮膚で体感する。
そのころ、殆どと言っていいほどMCをしなかった吉川が言った。
外国では、俺たちと同じやもっと若い連中が戦ってる。
それに比べてこの国は平和で幸せだ。
でも、学校とか、職場とか、試験とか、他から見れば小さな事でも、皆毎日何かと戦ってる。
そんなやつらの為に歌います。
そう言って歌ったのが、私が「メッセージ色が強くていやだなあ」と思ったあの「after the rain~朱いChina」。
不覚にも、私は微動だにしないまま泣きそうになっていた。
多分、他人から見れば些細なことで。
お前はもっと頑張れた筈なのに逃げ出した負け犬だと言われても仕方なかった時。
慰めるでも叱咤するでもなく、ただ背中を押された気がした。
今日負けても明日勝てばいい。
負け続けても、勝つまでやればいい。
そんな勇気をもらえた気がした。
出社最終日、私はしかめっ面ではなく笑顔でいられた。
一方COMPLEXはわずか2年で活動を休止すると発表されていた。
吉川晃司と布袋寅泰は既に様々な問題で衝突を繰り返し、同じユニットでやってはいけないところまできていたのだ。
「ROMANTIC1990」のアルバムはほとんど吉川と布袋が顔を合わせることなく作られたとあとで知った。
そして、東京ドームでのラストライブ。
布袋が「別に東京ドームなんかでやらなくても」とか言ったらしいが吉川が「布袋君はBOOWYでやったことがあるからいいけど俺は東京ドームでやったことないからやってみたい」と言ったらしい。
結局、その後も吉川晃司がドーム会場に登場することは現在に至るまで無い。
「COMPLEX」は、伝説になった。
しかし、私はわくわくしていた。
COMPLEXが出来ると聞いた時の何倍も。
なぜなら、それは「吉川晃司」のソロ活動の再開を意味していたからだ。
---吉川晃司と私 buck number---
【1】(1984~85)~出会う前~
【2】(1986)~鮮烈すぎる出会い~
【3】(1986~1988)~解体への…~
【4】(1989~1990)~COMPLEX~
【5】(1991)~LUNATIC LUNACY~
【6】(1992)~Shyness Overdrive~
【7】(1993)~10th Anniversary~
【8】(1994)~My Dear Cloudy Heart~
【9】(1995)~FOREVER ROAD~
【10】(1996)~BEAT∞SPEED~
【11】(1996~97)~0015→HEROIC Rendezvous~
【12】(1999)~HOT ROD~
【13】(2000)~HOT ROD MAN RETURNS~
【14】(2001)~SOLID SOUL~
【15】(2002)~PANDORA~
【16】(2003)~Jellyfish&Chips~
【17】(2004)~20th Anniversary~
【18】(2005)~エンジェルチャイムが鳴る夜に~
【19】(2006)~Savannah Night~
【20】(2007)~TARZAN~
【21】(2008)~SEMPO,and・・・~
【22】(2009)~25周年、両刃の剣を携え~
【23】(2010)~夏と冬のGROOVE~
【24】(2011)~日本一心~
【25】(2012)~愚~
【26】(2013)~SAMURAI ROCK~
【27】(2014)~反発の30年~
【28】(2015)~骨折してもシンバルキック~
【29】(2016)~WILD LIPS~
【30】(2017)~ライブこそ人生~
【31】(2018)~武道館で、笑顔の再会を~
【32】(2019)~吉川晃司、起動。~
【33】(2020)~空に放つ矢のように~
【34】(2021)~BELLING CAT~
【35】(2022)~OVER THE 9~
毎回、楽しく読ませていただいてます
コンプの曲の中で、好きな曲(心の琴線にふれる曲)が
一緒でなんだか嬉しいです。
いつもお読み頂きありがとうございます。
先日トラバ頂いたときにすぐお返ししようかと思ったのですがこちらのCOMPLEX編を書いてる途中だったのでこちらにさせて頂きました^^
この後はどういう区切りで書いていこうか考え中です。
アルバムごとにするかな?
私はBOOWYもハマっていたので
COMPLEXの結成は非常に嬉しかったです。
当時すっげーすっげー仲良かった男友達が布袋崇拝だったので(笑)
COMPLEXのライブには
その男友達&彼女と一緒に私もライブに行きました(どーゆー組み合わせだ^^;)
その3枚のチケットをげっとしたのは実は私なのですが
徹夜で並んでチケットを取ったのは後にも先にもこれ一回きり。
それだけ熱かった(笑)
そして今振り返っていて思い出したのは
89年の7月、この男友達が事故で亡くなったのです。
彼女さんと電話で話しながら泣きました。
それで私はCOMPLEXが聞けなくなった。ショックが大きすぎて。
そしてそのままキッカワさんとも布袋ともフェイドアウトしたのです。
この男友達とはお互い彼氏彼女が出来ようが結婚しようが
一生続く付き合いが出来るとお互いに思っていたし
本当に何でも話すことが出来たヤツでした。
もうこいつを上回る男友達は一生出来ないと思います。
そうやって振り返ると自分もキッカワさんも
怒涛の80年代を過ごしていたんだなあと。
人に歴史あり?(笑)
つーかそれはフェイドアウトじゃありません(苦笑)
徹夜でチケとり…
吉川ではしたことないなー(必要ないし
どうも徹夜はチャゲアスの記憶しかなく。
1990の時はどうやって取ったか覚えてませんわ。
この後、たいした変化のない10数年なんですが書いてるうちにぼつぼつ思い出してくるのかなー。
何で自分の中で記憶が部分部分ガコッて抜けてるのかなと
自分でも忘れてたくらいだし(爆)
今(B'z)みたいに近くにファン友達もいなかったのでね。
そのまま足が遠のきましたヨ・・・。
岡山って当時ぴあなんてなかったし
チケットはそれこそローカルプレイガイドか
レコード店でしか扱ってなかったんで
それで並んだんですよ~。
明け方路上で寝てた・・・誰かがCOMPLEXの
ポスターを布団代わりにかけてくれてました。
最近じゃ徹夜もなんか怖いですね。もうチケとりで徹夜なんて絶対ないと思いますけど。
昔はよかったなぁ。