森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2003年11月~2004年

2008年08月31日 | あるシナリオライターの日常

 先日、当ブログのメインコンテンツであった【あるシナリオライターの日常】を終了しました。当時の日記はもう少し続きがあるのですが、9月に入ってから連日更新ではなくなり、やがて書くことをやめてしまいました。
 締め括りのために、その後の経緯を約一年単位で書いていこうと思います。

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 2003年11月1日。
 待望の息子が生まれました。
 私は性別に関係なく『明日葉』という名前にしようと考えていましたが、男の子の名前としては可愛い過ぎるとの指摘を受け、最後の一文字だけ変更しました。
 普段は「あす」「あすくん」と呼んでいます。

 2004年1月。
 ゲーム制作会社を辞めてからお世話になっていた製本工場が、突然1月末で閉鎖することになりました。急いで次の仕事を探し、NHKの営業代行会社に入社することになりました。
 仕事の内容は、NHK受信料の長期滞納者から受信料を徴収すること。断られ、無視され、怒鳴られ、時には暴力さえ振るわれるのが当たり前の仕事です。それらに対抗するように、多くの営業員はしつこく粘り、誤魔化し、騙し、時には脅すようにして受信料を集めていました。

 入社から間もなく、NHKは不祥事について騒がれ始めます。視聴者の目は厳しさを増し、前述したような強引な営業が徐々に通用しなくなり、会社の営業成績は落ち込んでいきました。
 幸いにして、私は強面でも、話術が巧みでもなかったため、そのような営業戦略を用いることができずにいました。体力と機動力に任せてひたすら足を使い続けた結果、周囲に比べれば成績は然程落ち込まず、あまり苦情も出ませんでした。

 2004年9月。
 私は社長の目に留まり、入社一年目の新参者でありながら、翌年に予定されていた仙台支社の統括に任命されることになりました。他の役員を黙らせるためにも今の成績を維持するようにと命じられ、俄然張り切った私は、年内一杯トップクラスの成績を維持し続けました。
 当時は同人活動も行なっており、望月女史、エイブル氏、谷村女史、カジマ氏らと共に同人ゲーム制作に勤しんでいました。私も含めて、いずれもプロの経験を持つメンバーです。仙台でしっかり働いて貯金をすれば、いずれは自分達の会社を立ち上げることも夢ではないと、無邪気な夢を見ていました。

 年が明けて間もなく、転落が始まるとも知らずに。

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