森の詞

元ゲームシナリオライター篠森京夜の小説、企画書、制作日記、コラム等

2008年08月30日 | レポート

 私は幼い頃から、愛されることが恐かった。
 恋愛や性交渉が恐かったのではない。人間社会全ての関係と行動が恐かったのだ。中でも日常生活における他者との関係、とりわけ『愛情』に関するものごとは一番の恐怖の対象だった。
 何気ない挨拶や、社交辞令、ちょっとした会話で自分が話題に上ることさえ、私にとっては苦痛だった。けなされている時のみならず、褒められている時でさえ……いや、褒められている時の方が辛かったように思う。
 私は他人が自分に好意を持っていることが信じられなかった。人の言葉には必ず裏があると考えていたし、実際、私の周囲にはそのような人間が多かった。
 自らけなされることを望んでいたわけではない。確かに人は、誰かを褒める時には心の内に複雑な打算を抱えていることが多く、けなす時は純粋に蔑むことしか考えていない。裏を探る必要がないという点では後者のほうが気が楽だ。
 ……だが苦痛であることに変わりはない。
 ならばどうすればいいのか? 
 幼き日の私は頭で考えるまでもなく、次第に誰とも関係を持たないように、そのきっかけさえ与えないように振る舞うようになっていった。
 私はある時点から、誰かに『伝える』ということをやめた。同級生は勿論のこと、教師や保護者にも何も言わなかった。私は概ね『よくできる子』だったから、やがて保護者も私には干渉しなくなった。
 私は常に一人だった。友人が必要とも思えなかったし、行事や活動にも可能な限り参加しなかった。もっとも、中学生になる頃には、余りに極端に孤立すると逆に他者の介入を招いてしまう(どうして一人にしておいてくれないのだろう?)ことを経験的に知っていたので、ある程度の繋がりは保持しておいた。
 おそらく、私の学校での印象は『物静かな目立たない子』といった所だったのだろう。何処のクラスにも一人はいる、控え目で大人しい生徒……教師の印象も悪くない……その程度のものだ。しかしその当時、私がどれほどの苦労と細心の注意を払ってその印象を作り上げたかを考えると、未だに目眩を起こしそうになる。
 私にとって一切の人間の行動は理解しがたいものだった。どうして人間は他者に関係を求め、くだらない行為を強制するのだろうか?
 私の人間に対する疑問は、その頃から始まったように思う。

 少し、私の境遇にも触れておいたほうがいいだろう。
 つい先程、私は『保護者』という言葉を使った。これは別に両親に対する拒絶や反発から生まれた表現というわけではなく、私が成人するまでの大部分を共に過ごした相手が本当の親ではなかったからだ。
 私はとある港町の小さな教会で牧師の娘として生まれた。町外れの小高い丘の上に建てられた古い教会で、ペンキの剥げかかった白い壁に蔦が絡まっていたことを覚えている。
 母は私を生んですぐに亡くなり、私は幼き日々を父と二人で過ごすことになった。しかし私には、父との生活の記憶はほとんどない。憶えているのは、昼間の教会で何人かの信者に向かって話をする父の姿。そして夜、無数の蝋燭が紅い光を揺らめかせる祭壇の光景ぐらいだ。
 それは何かの儀式だったのだろう。厳かなパイプオルガンの和音が、幾度となく同じ旋律を奏で続けている。私は祭壇へと続く通路に敷かれた紅い絨毯の中央に立ち、足元から響いてくる振動に身体をすくめているのだ。
 やがて私は不安になり、父を呼ぶ。
 祭壇に立つ父は、紅い外套を身に纏っている。そして振り返り、何も心配することはないと言う。幼き日の私に微笑みかけることもなく、父は再び祭壇に向かう……いや、これはただの夢かもしれない。
 人の記憶というものは意外とあやふやなものだ。私がまだ幼かったということを差し引いても、この記憶には不自然な点が多く見受けられる。儀式にしては人が少なすぎること、オルガン奏者の姿が見当たらないことなど……何よりも、教会で牧師が執り行う儀式の中には紅い外套を纏うものなどないはず。
 おそらく、後に見た映画のシーンなどと混同しているのだろう。演説するローマ法王の姿を見て、父親の姿を思い浮かべたことがあるように。

 私が六歳になった頃、父もまたこの世を去った。
 死因は知らない。父の死に関わると思われる記憶もない。ただ、ある時点から私のそばに父の姿はなく、私は教会から遠く離れた親戚の家に引き取られていた。
 私を引き取ったのは母の弟だった。私から見ると叔父にあたる、中規模の会社を経営する人物。妻と娘の三人で暮らしており、その中に私が加わることになった。後の私の観察例から分類すると、そこは非常によくあるパターンの、エゴイストで排他的な人間の集まる家だった。この類の人間における最大の特徴は、何の根拠もなく自分は他人よりも優れているという錯覚を抱きつつも、実際のところ自分には何一つとして優れた点などないのではないかという漠然とした不安を抱えているところだ。
 彼らは自分と同レベルの仲間を集め、集団で行動する。自分と異質な存在が現れた場合には、何とかして自分よりも低い位置にそれを置こうとする。いや、本当は仲間内でもそのようにしたいのかもしれない。だがそれは困難だ。何故なら彼らは、本当に同レベルの集まりなのだから。
 話を戻そう。
 前述したような特徴を持つ人々の家庭に放り込まれた私は、延々と父と母の悪口を聞かされた挙げ句、庭に作られたプレハブ小屋に隔離された。彼らの話には十分すぎるほどの悪意が込められてはいたが、内容的にはバリエーションに乏しく、客観性を欠いていた。
 彼らの話は概ね次のような形に集約した。
 あんな男と結婚したお前の母親は馬鹿で不幸だった。お前はあのろくでもない男の血を引いているのだ、と。
 彼らの話が何処まで本当かは知らない。母は死に、父も既にこの世にない今、父と母の関係がどのようなものだったのかなど知る由もないことだ。
 いつの頃からか自分に父の記憶が殆どないことに気づいた私は、その後もことあるごとに両親の悪口を持ち出す叔母(叔父は酒を飲まない限り無口な人間だった)から逆に父のことを聞き出そうと試みたが、それは失敗に終わった。父のことを悪く言う割には、叔母は父のことを何一つとして知らなかったのだ。ただあるとき、ふらりと現れて、母を連れて行ったらしい。叔父の知っていることもそれだけだったし、私が父について知りえたのもそれだけだった。
 私は父のことをよく考えた。
 記憶の中に幽かに残る、痩せた長身の男の姿。
 それは求める程に消えてゆく幻。
 遠くからは見えるのに、決して触れることのできない深い霧の海だった。