小説を執筆する際、その大まかな流れは以下のようになると思います。
主題を決め、内容を考え、構成を練り上げ、そして執筆する。
本コンテンツではこれまで、主に『内容を考える』部分について書いてきました。
今回は『執筆する』ところに焦点を絞って書いていきます。
ところで皆様は、文章についてどのようにお考えでしょうか。
仮に小説を歌に置き換えれば、私は、“文章とは歌声である”と考えています。
よく、文章がうまくなくても心に響けばいい。内容が良ければいいという声を耳にしますが、私は異を唱えたい。
文章力が低い小説は、歌声が酷い歌と同じです。
どんなに詩が良くても、心を込めて歌っていたとしても、ガラガラの濁声では聞くに堪えません。音域が狭くて声が裏返ったりしたら聞き苦しいことこの上ありませんし、滑舌が悪ければ何を言っているのかわからない。声量が小さければ聞こえません。
同様に。
文章の流れが悪い。文体がジャンルに合っていない。語彙が少なく、状況を的確に表現できていない。描写が足りない。そのような文章では、物語の持つ魅力を十分に引き出し、読者に伝えることはできません。
小説を書くということは、作詞・作曲・歌唱のすべてを一人でこなすことと同じです。
作詞も作曲も自分でしているからこそ歌が下手でも気にならないかもしれませんが、もし作詞者・作曲者が別にいたとすれば、もっと上手い人に歌ってほしいと思われることでしょう。
文章力が低いということは、折角の物語を自分の手で台無しにしているということに他なりません。
誤字・脱字や表現の誤りは、歌詞の間違いや音程を外すのと同じです。
これは上手い下手以前の問題です。そもそも人前で歌を披露する段階に達していません。
練習に練習を重ねて、それでも本番で軽微なミスをしてしまったというのならともかく、最初から「ミスをしないようにしよう」という意識がないのですから。
文章作法を守らないということは、壊れたマイクやスピーカーを使ってノイズやハウリングを撒き散らしているのと同じです。
これは歌唱力や詩、曲の良し悪し以前の問題です。聴衆に対する配慮が足りません。
文章作法とは、先人の試行錯誤によって構築された歴史の集大成です。その根底にあるものは、より読みやすいように。よりわかりやすいようにという読者への配慮です。
アマチュアは勿論のこと、特にプロを目指している方には絶対に守っていただきたいものです。「読者への配慮が欠けている者にまともな小説が書けるわけがない」と審査員に断じられ、最初の数行を読んだだけで評価対象外に弾かれます。
どんなに素敵な物語だったとしても、読まれない作品に価値はありません。
小説を書く上で、一番大切なものは何か。その問いには、人それぞれ違う答えがあると思います。
しかし少なくとも、いかなる要素においても、必要最低限クリアしていなければならないレベルというものがあるはずです。
そして私の知る限りにおいて、その必要最低限すらクリアできていない文章によって構成された作品が非常に多い。
中には何作書いても変化のない、向上心すら欠けていると言わざるを得ない方も少なからず見受けられます。
執筆は制作の最終段階です。
物語の破綻や主題選びの失敗に比べれば、遥かに取り返しが容易な部分です。
文章力に自信のない方は、推敲と校正にしっかりと時間をかけて下さい。初稿の執筆にかけた時間の倍程度を推敲に費やせば、十分に洗練された文章を書くことができるはずです。
拙作【僕達の惑星へようこそ】では、新人賞に投稿するために3ヶ月近い時間を推敲・校正に費やしました。それでもまだまだ拙い所は残っています。
推敲と校正を重ねながら、自分の書く文章に、読者への配慮は欠けていないか。向上心を忘れてはいないか。
今一度、自身に問いかけてみていただければと思います。