<あれから11年2ケ月…忘れない3・11~東日本大震災~>
最近遠出もできないので、パソコンの整理をしながら写真の整理も少しづつしています。
ふと目に着いたのが私が新聞を切り抜いて撮ってた一枚の写真を見つけました。
東日本大震災直後、岩手県宮古市から宮城県石巻市までの沿岸部150キロを約2週間、お経を唱えながら歩いた人がます。調べたら禅宗別格本山・石雲禅寺(岩手県盛岡市)の小原宗鑑副住職(38)。あれから10年。「自分の中で、何が変わったかも分からない。誰かの役にたったとも思っていません」。11年前の経験の結論は今も出せていない。と言っています。
震災発生から約3週間後の4月1日に寺を出「誰かに寄り添ったり出来るかもしれない」。そんな思いもあり暗闇の中、到着した宮古・浄土ケ浜の林にテントを張った。夜明け。見えた風景に「頭の中と現実が一致しなかった」あれからことしで11年余。「自分の中で、何が変わったかも分からない。誰かの役にたったとも思っていません」。11年前の経験の結論は今も出せていない。
ようやく歩き出したが、惨状に声が出なかった。「助けを呼ぶ声をお経でかき消してしまうのでは。ご遺体を探している御家族に死を突きつけてしまうのでは」。がれきに合掌することが精いっぱいだった。
たまらず師匠の中島紹信住職に電話した。「何も出来ないことを学んできなさい」。鎖につながれてたままの犬。浜辺で倒れた雌牛の乳房を真っ黒なカラスがつついていた。「数え切れない命が失われている」。拝みは謝罪に近かった。
大船渡市では遠縁の依頼で体育館の遺体安置所へ。約100体を拝んだ。一方で、隣接グラウンドでは笑顔で元気にサッカーをする子どもたちの姿。死と生、静と動があった。「無があるからこそ、有るということが引き立った」。
今石雲禅寺には不登校の子どもたちや、生きる中で悩みを抱える人らも修行体験に訪れる。震災以降、毎月11日を「知足の日」と定め、当時の被災地の生活を共有している。1日、白米とみそ汁だけ。農家の苦労、調理してくれる人の思い、太陽や生命の恵み。「有る」ことに感謝する。「普段は食い散らかす子どもも残さず食事し、お風呂もきれいに入るようになった。言葉で言われなくても、伝わることがある」。
拝んで歩いたからこそ、より学んだこともある。考えるだけでなく行動する。「両方が整えられて初めて実を結ぶ」。
修行先から恩師に書いた宗鑑さんの手紙--ネット引用
現在の宗鑑さんの姿です。
思い出します。 実は ついさっきまでは 3.11の
ことすら忘れていました。
福島の原発処理水の海洋投棄について・・とか今の
目の前の問題は、皆で考えるのですが・・当時のこの
宗鑑さんの姿は、この写真を見せてもらうまで・・
忘れて居ました。 このように繰り返し忘れては
ならないことを。。アピールしなければ・・と再度
認識を新たにしました ありがとうございました。
<(_ _)>
岩手では昨日朝から震災のニュースでした。
私も11日は特に仏さんの前にいつもより少し
長く座っています。あの写真を見た時の感銘今でも忘れません。亡くなられた人たちの供養にと立ち上がってくれた僧侶に私は感謝しました。
今は余りにも目の前に事件がありすぎてスライドのように11年前のことなど消えていきそうです。
せめて地元の人たちだけでも思い出してあげて
犠牲者に手を合わせたいと思っています。