種山壮(shuzanso)NY

ラスベガス編

合歓の木

2012年07月03日 | 夫婦のこと

昨日知人が住むマンションの中庭に数本植えてあるのを見て意外さを感じました。ニューヨークに住んでいるときは見る機会がなかったので、はたしてこれが「合歓の木」なのかと半信半疑でした。しばらく様子を見ることにして仲間との取り留めない会話に参加しました。

合歓の木を説明した文章が色々ありますが、私の好きなことばを少し長くなりますが引用します。

ねむの木には何となく甘美なイメージが漂っている。その風にすら反応して、こまかく揺れる葉のたたずまいには木の情感というものがあふれている。向かい合ってるこの葉が、夕方陽が沈むころになると、ひとつに閉じて眠りにつく習性は、言いようもなくロマンチックである。ネブ、あるいはネムの呼び名は。周知のとおり「眠る」から来ている。夜間に葉を閉ざして折り重なる姿を、古代の日本人も夫婦になぞらえて眺めていたのだろう。「合歓」は、楽しみを共にしあうことだし、男女が同衾(どうきん)するという意味もある。昔の人もやはり、この木の葉の見せる特異な習性を男女に見立てて、エロチックな名を冠したのかも知れない。(政次満幸 夫婦の構造)

私が知人のマンションで見たのはまさに「合歓の木」でした。向かい合った葉がひとつに閉じていることを確認して知人宅を後にしました。


PRiNの話し 

2012年02月08日 | 夫婦のこと

拙ブログの訪問者の方からお便りを頂きました。

 

5歳になる孫が久しぶりに遊びに来るというので、それでは何か美味しいものでもご馳走しようと思い、PRiNを作ることにした。     

 

プリンの元と牛乳をミックスしたものを型に入れて冷蔵庫で一晩寝かせる。 朝方に早く目が覚めてしまったので冷蔵庫からプリンを出して、型から皿に移し替える。それを八等分に綺麗に切った。二切れ分を仏壇にと思って、別の皿に入れてサランラップを被せ、残りの6切れにもサランラップを被せた。

 

早朝より仏壇でガチャガチャ音させるのは、我が家でも気が引けたので、仏壇に供えずに再び床に就いた。言わなくても小皿のプリンは仏壇用と妻は理解するものと思った。

 

不覚にも5時頃から爆睡してしまい、目を覚ましたのが9時だった。 寝ぼけたまま台所に行ったら『お父さん行って来ますプリンありがとう』のメモ書き。慌てて仏壇に行ったら、「お初さん」は供えてあったがプリンはなかった。御先祖様にと用意した小皿のプリンは妻が食べてしまって出勤した。 

 

その日は寂しい仏壇だった。 今日、仏壇に詫びながら妻がプリンを供えていた。

 

片田舎の小さな家庭の小さな光景。 

 

「お初さん」= 御仏飯(オブッパン)ですが
その日に炊き上がった御飯を一番初めに盛って供えます。(自分のお茶碗に入れるのは後です)

 

他愛もないありふれた光景ですが、旦那さんは奥さんを怒ったのでしょうか。

「幸福とはささやかなものだ。そしてそんな幸福を最大限喜ぶことだ。」ふとこんな言葉を思い出しました。

 

夫婦とは不思議な関係です。こんな言葉もあります。「何でも金で買える時代だが、夫婦の良き味わいだけは金では買えない。それは宿命的に対立するふたりが仲よくこねてつくりあがるものだ。」山あり、谷ありの人生、お互いこねることで味わいが出てくるのでしょうね。

 

旧約聖書の「伝道者の書」(コーヘレトの書)は虚無主義の極致とも言われるのですが、4節にはひとりよりもふたりが良いと書いてあります。二千二百年以上昔です。

 

ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、よいむくいがあるからだ。

 

どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

 

また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりではどうして暖かくなろう。

 

もしひとりなら、うちまかされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 

ちょっと話を広げてしまいましたが、一人できないことがふたりだとできることも沢山ありますよね。ふたりの行き違い、意見の食い違い、そんなもの当たり前、なんせ宿命的に対立ふたりですから。ふたりでこねましょう。

 

 

 

 


ミレーの絵 - 幸福について

2011年11月19日 | 夫婦のこと

私は幸福について考えるたびに、ミレーのこの絵を思い出すことにしてる。

 

 

 

 

 

一日中、大地と戦う、その激しい労働と汗の生活はつらいにきまっている。夕暮れの祈りはそれから開放された一瞬である。家へ帰ると、この農夫の妻には食事や育児の仕事が待っている。夜遅くまで働かなければならない。わずかこの一瞬にだけ心の安らいがあるが、幸福とはそういうものではなかろうか。

 

実にささやかなものだ。一見甘そうに見える絵だが、ミレーのつらさがこの一瞬ににじみ出ているようだ。わたしは一例としてあげるのだが、このささやかなものを愛する人が、実はほんとに幸福をつかんでいるのではなかろうか。(亀井勝一郎)

 

 


夫婦のこと - ある娘さんの結婚

2011年09月25日 | 夫婦のこと

女将の親戚の娘さんのことですが、最近結婚が決まったそうで、両家の結納を兼ねた食事会も無事終わり、本人達はもとより両家の両親も大変喜んでおられるそうです。

 

「そういえば、私たちもこうして両方の両親の祝福を受けて結婚したんだね」と思い出すようにつぶやいた妻。その言葉に当時のことを思い出し懐かしさを感じました。私たちは幸せな結婚の出発をしたものだと、両親たちに感謝してます。

 

人なみに山あり谷ありの30年間で、平凡きわまる二人の典型的な日本人夫婦なのですが、「夫婦にとって大事なことなんでしょうか」とたずねられます。

 

それはお互いほめあうことではないかと思います。たまに妻から「それ、うまくいきましたね、ご苦労様」といわれれば、正直なところ、嬉しい気分になり、また頑張ろうと思います。

 

私は頑固であります。多分にも妻には迷惑かけてるところがあります。そこは元来明るい性格、辛抱しつつも軽く受け流してるみたいです。

 

司馬遼太郎の「巧名が辻」の山内一豊の妻 千代のことを書いた一節があります。

 

千代は、決してのんきなたちではない。彼女ののんきは、母の法秀尼から教えられた演技である。

 

「妻が陽気でなければ、夫は十分な働きは出来ませぬ。夫に叱言(こごと)をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。おなじ叱言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるものです。陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思い込んで暮らすことです。」

 

 

夫婦のことだけでなく、人間関係、人生こうありたいものです。

 

 

 


Royal Wedding

2011年04月29日 | 夫婦のこと

Prince William & Catherine Middleton

 

ウィリアム王子とキャサリンミトルトンさんの結婚式をNY時間4月29日の朝、テレビのライブで見ました。

 

 

 

 

 

 

実は私はキャサリンさんの姿を見るのはこれが初めてです。知的で気品があり、美しい人で、大変好感を持ちました。家の女将もお似合いのカップルだとそれはそれは、恐れ多くも自分の息子が嫁さん貰ったみたいに歓び大騒ぎでした。

 

聞くところによると、キャサリンさんは一般家庭の出身で「将来の国王」が貴族階級でない人と結婚するのは350年ぶりとのことだそうです。

 

キャサリンさんのWedding Dressはシンプルで、私は大好きです。それにこの人の人柄を感じさえします。今日お会いしたアメリカ人の人たちも好感をもち、テレビに映し出される二人をみて祝福を送ったそうです。

 

ウィリアム王子がまだ the Prince of Wales(皇太子)ではないので、それにあったWedding Dress のデザインになったのかもしれません。

 

このお二人は将来の  King and Queen」として良い家庭を築かれる環境が整ってるような気がします。

 

1.     暫くは王族、宮殿を離れて結婚生活される。

2.     キャサンリンさんは王子妃であって、まだ皇太子妃ではない。

3.     ウィリアム王子が皇太子になるまで暫くは時間がある。

 

お二人はまず「皇太子皇太子妃」それから「King and Queen」になられるまでに十分な時間があることは将来の英国王室にとって大変素晴らしいことだと思います。

 

では英国式にちょっとしたジョウクのビデオをどうぞ HDでも見れます。王室のそっくりさんです。