ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

都市は美術館

2010-03-22 | パパ
フランスにおける多くの中世建築の修復を手がけた建築家ヴィオレ=ル=デュク。




彼の修復への強い思いは、時に恣意的とも受け取られ、「歴史上でもっとも重大な罪を犯した一人である」とまで言われることもあった。
彼は、母方の画家である伯父に多大な影響を受けて、見たものを詳細にスケッチできるようになります。このスケッチ力が、後に修復という図面よりも実測を重視する世界へと彼を導いていったのかもしれません。
彼は、絵画・彫刻・建築の3分野にわたるフランスの国立の美術学校であるエコール・デ・ボザールへの入学を家族から勧められるが「建築家を型にはめこむ鋳型だ」として頑として受け止めず、イタリア旅行へと向かう。
イタリア共和国のシチリア島南岸の丘陵斜面にある大遺跡群アグリジェント(別名:神殿の谷)を訪れた彼は、次のように書き残している。

「アグリジェントの記念建造物とシャトル大聖堂にはホメーロスと福音書の間にある相違と同じものがあります。・・・前者は想像力をかき立て、視覚的な感動を与えてくれます。それに対してゴシック建築は、謙虚な気持ちを奮い立たせ、心を揺り動かします。」


  

このイタリア旅行によって、彼はゴシック建築への畏敬の念を抱くようになります。
そして、1840年にラ・マドレーヌ教会堂の修復を手始めに、パリ大聖堂、サン・セルナン教会堂などの修復工事を手掛けることになります。
彼は修復という行為に際して、次のような理念を述べています。

「建物を修復することは単にそれを保存することではなく、それを修理し、それを作り直すことであり、修復とは建物をいかなる時代にもあり得なかったほど完全な状態に復権させることである。」

ここで、彼の修復への恣意性というか創造性を嗅ぎつけて、強く批判をしたのがジョン・ラスキンであった。





彼は「建物の最大の栄光は、建物の経た時代のうちにあるのだ」
と主張しています。

ラスキンは、建物の中に歴史は凝縮されていくと考え、ヴィオレ=ル=デュクは建物の様式が歴史を反映するのだと確信していた。

骨の折れるような修復工事にもかかわらず、最後にはラスキンに次のように言われてしまう。

「修復とは、建物が被りうるもっとも完璧な破壊のことである」と。

しかしヴィオレ=ル=デュクの創造性とは、歴史を断絶し、個人の才能を都市に誇示するものではなかった。
芸術家の横尾忠則氏が新聞に書いているように、歴史の延長線上に乗ってこない天才というものは、非凡ゆえに理解されず、アマチュア芸術家とみなされる。プロになるためには、歴史を学び、そこから出発しなければならない。実際画家の学びの場は、ルーブルなどの美術館であり、そこで過去の巨匠の作品を模倣することであった。(日本の美術館は、余暇の場所や地域復興の場には、なりえても学びの場にはなりえないのではないか。)
話が横にそれましたが、そういう意味で、ヴィオレ=ル=デュクは、正式な教育は受けていないが、プロの建築家なのです。

そのことは、彼の次の言葉に端的に表現されています。

「当時の建築家の身になることであり、当時の工匠だったら如何に対処したかを仮定してみればいい」

「アプリオリに、ある配置を決定することは推定に陥ることであり、修復工事において、この推定ほど危険なものは他にない」

アプリオリとは、経験してはいないが、明らかであると考える認識や概念のことであり、彼がそれを否定しているということは、彼自身が修復を通して、歴史を正面から受け止め、そこに建物の合理性を見出し、都市に再生しようとしたことをうかがわせる。

そうして、彼は中世ゴシック建築の原理の解明を試み、1863年に「建築講話」を出版します。彼にとって、修復とは、建築を学びそれを理論へと発展させる行為であったともいえます。

「私たちがある建築物を眺めるとする。これは、すばらしい建築物だと思う。しかし、本能的な判断では十分でなく、この建築物はなぜ美しいのかを自問する。印象の原因を知ろうとし、そこで推論の力に頼る必要に迫られる。私たちは、私たちを魅了した建物のすべての部分を分析するが、この部分は将来、私たちが設計する立場になったとき、設計をまとめあげげられるようになるための訓練である。」

彼のこの言葉は、建築家にとって、都市は学びの空間であり美術館のようなものであるといっているように思える。

戦後の日本のモダニズム建築は常に保存か解体かの議論に晒される。それは、文化か経済かの論理の二項対立的な問いのたてかたであるといってもいい。修復という学びの場を通して、都市の美術館化を促し、建築物に刻まれた歴史や様式を広く一般に認知してもらうことから日本文化は蘇生していくのではないでしょうか。そろそろ問いのたてかた自体を問い直してみる時期にさしかかっているのではないかと思います。