ティコ・ブラーエ


パパとママの視点から
子供と建築探訪
こどものおやつから考える体にやさしいレシピ

家族

2010-01-10 | ママ
岡山から大阪へ。
新幹線乗り場、振り返るとずっと見送ってくれている姿が見える。
何度繰り返したシーンでもやっぱりぐっとくる。
渉くんの成長ぶりに両親もおじいちゃんおばあちゃんも大喜びだった。
子供の力は本当に凄いもので、みんなに笑顔を与えてくれる。
それだけに別れはさびしい。

大阪ではパパさん両親とお姉さん家族みんなで新年会。
おかえりなさい。
やさしい言葉に心があたたかくなる。
元気な姿を披露できて渉くんもご満悦。
昨夜母と発見した氷遊び、両手をピンク色にしながらいっぱい掴めたね。

バイバイ気をつけてね、とおかえりなさい。

いつでもあたかかく迎えてくれる家族がたくさんいることを思い、嬉しくなる。
結婚したことで家族が増えればいい、とパパさんが言っていたこと。
お互いの家族を大切に、みんなが仲良くできる幸せ。
今年もみんなで集まって楽しめるパーティー、いっぱい考えよう。




数学ロマン

2010-01-10 | パパ
数学の世界には過去の数学者が予想した命題で、後世にその解決を託されたものがいくつかある。その中には、予想を証明する過程そのものが理論を発展させる契機を孕んでいたものもあれば、あっさりと反例が見つかり、否定的に証明されて終わるものもある。
たとえば、オイラー予想というのがある。



オイラーは18世紀の数学者で、数学、物理の分野では彼の名にちなんだ定理がいくつもあるぐらい多方面で活躍した人物である。彼は、晩年視力を失いながらも精力的に研究を続けた精神の人でもあった。
そのような人物でも予想が外れることがある。それが、オイラー予想である。

オイラー予想
x4 + y4 + z4 = w4
を満たす自然数の解 (x, y, z, w) は存在しない。


とはいえ、そこは大数学者の予想。そんな簡単には、正しいか間違いかわかるはずもなく結局200年もの間、人類の挑戦を跳ね除け、結局1986年ハーバード大学のノーム・エルキーズが反例をコンピューターにより発見して、あっけなく幕を閉じることとなった。ちなみに発見された解は

(2682440)4 + (15365639)4 + (18796760)4 = (20615673)4

で、それはそれでよく見つけられたなあと感心しますが。

オイラー予想によく似た構造でフェルマー予想というものがあるが、こちらは、まったく別の運命をたどることになる。

ピエール・ド・フェルマーは弁護士業を行うかたわら、余暇に数学を楽しむような生活をしていた。



彼は、古代ギリシャの数学者ディオファントスが著した『算術』 を30歳頃手に入れ、熱心に研究していくうちに、証明を書かずに48の書き込みを残して世を去った。後世の数学者たちは、その48の証明の記されていない命題を順次解いていくことになるのだが、ただひとつだけどうしても解けない難問があった。これが後にフェルマー予想とよばれるものである。

もしn≧3であるならば、方程式xのn乗+yのn乗=zのn乗はxyz≠0となるような、整数解を持たない

多くの有能な数学者たちがこの難問に挑み敗れ去りました。そして、数学者の人生を棒に振る難問として、歴史の表舞台から去っていくことになります。

ところが、思わぬところからフェルマー予想への解決の道が開けることになります。フェルマー予想が、かくも人を魅了してやまないのは、この歴史の展開劇と数学がもつ難解さのなかに垣間見る神秘性が複雑に絡み合っているからかもしれません。
まずきっかけを作ったのが300年以上後の東京大学に在籍する二人の数学者、谷山豊と志村五郎である。この二人の共同研究は不思議なめぐり合わせから始まる。
志村五郎はMathematische Annalenのうちの一冊の、24巻を図書館で探していた。彼は特に厄介で難解な計算ができるようにするためにその論文を必要としていたが、その巻は既に貸し出されており、驚くと同時に困ったと感じたようだ。実はその巻を借りたのが谷山豊であった。志村は厄介な計算を終えるためにその雑誌を緊急に必要としていることを説明するため手紙を書き、いつ返すか丁寧に尋ねた。数日後、手紙が志村の机の上に届いた。谷山は、自分も全く同じ計算に取り組んでいて、理論の同じ点で行き詰まっているといって、答えた。彼は考えは共有して、できたら問題について協力しようと提案した。1冊の図書館の本をめぐるこの偶然の出会いによって、数学史の流れを変えることになる共同研究に火がついた。
彼らが予想したものは後に谷山-志村予想として脚光を浴びることになる。しかし、道半ばで谷山豊は自殺し、後を追うように婚約者・鈴木美佐子も自殺するという事件が起こる。
彼の遺書には
「昨日まで、自殺しようと明確な意思があったわけではない。しかし私が精神的にも肉体的にも疲れてしまっていたことに気づいていた人が少なからず居たと思う。自殺の原因について、明確なことは自分でも良くわからないが、何かある特定の事件乃至事柄の結果ではない。ただ気分的に云えることは、将来に対する自信を失ったということ。私の自殺のために、ある程度迷惑を被る方々が居られるでしょう。私の自殺がそのような方々の将来に黒い影を落すことがないよう、心から望んで居ります。いずれにしても、私の行為がある種の裏切であることは否定できませんが、私の最後の我儘と捉えてください。私がこれまでの人生で行ってきたように。」と記されている。
以前、ポアンカレ予想を解いた人物の話をテレビで見たが、この人物は証明後、行方をくらましているらしい。それほどに、難問に取り組むとは神経をすり減らす孤独な作業であるようです。



谷山-志村予想とは
すべての楕円曲線はモジュラー形式である。

というなんとも素人には理解しにくい言葉で表現されている。

モジュラー形式はとてつもなく複雑なものであり、その対称性のために研究され、19世紀になって初めて発見された。楕円曲線は古代ギリシャまで遡り、対称性とは無関係である。モジュラー形式と楕円曲線は異なる領域にあるが、谷山と志村は実質的に同一のものであるのではないかという大胆な予想を打ち立てた。

次に1984年にフライという人物が次のような予想を立てる。
「もしフェルマー予想の解が存在するなら、モジュラーでない楕円曲線が生まれる」
そして後1986年にケン・リベットによりフライの予想は証明される。

なんだかわからない言葉で理解に苦しむが細かいことは無視して以上のことをまとめると次のようになる。

フェルマー予想の解が存在する→モジュラー形式でない楕円曲線が存在
ここで谷山-志村予想がもし正しければ、「すべての楕円曲線はモジュラー形式である」ので、矛盾が生じる。つまり、フェルマー予想の解が存在してはならないということになる。

驚くことにフェルマー予想は、谷山-志村予想を証明することにすりかえられることになり、数学者の人生を棒にふる悪魔の問題から、現代数学の発展を促す表舞台へと返り咲いたのである。そして、その神秘のベールは現代数学(モジュラー形式、楕円曲線)の理論を駆使して剥がされようとしていた。
そこに登場するのが、イギリスの数学者アンドリュー・ワイルズである。彼は、小さい頃にフェルマー予想に出会い、いつか解いてみせると夢みながらも、悪魔の問題を避けて岩澤理論や楕円曲線を研究していた。しかしリベットの証明によって、自身の研究が実はフェルマー予想に近いところにあるということを確信し、7年を費やして証明に成功する。その間、彼は自宅にこもり、孤独な研究生活を家族の支えのもとで行ったようである。



1995年にフェルマー予想は証明され、360年もの人類の挑戦に終止符を打った。フェルマーは余白に

n が 3 以上のとき、n 乗数を2つの n 乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる

と解を見つけたかのように記しているが、現代数学を必要としないと解けなかった難問を彼は本当に見つけ出せていたのだろうか?そこには謎が残る。