新聞を読んでいると、世界の動きは複雑で、よく見通せない時代に今生きているなあと感じる。
米ソの冷戦時代は、均衡する2つの巨大な力のもとで、どちらかの立場に立てばそれでいい、わかりやすい構造であった。しかし、ソ連解体とベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終結によって、世界はアメリカを中心とするグローバル資本主義に突入していく。それでも、まだアメリカというコアが存在するはっきりした構造であった。しかし、リーマンショックによる世界同時不況でアメリカというコアを見失い、各国が、かけひきをしながら協調していく複雑な構造になってきた。ただこのことは、悪いことではなく、今まで何も考えずに、大きな物語にのっかて生きていけた時代から、各個人が世界の状況を知り、考える時代へと転換するよいきっかけになると思う。
日本も今後、アジアとの共生を図るべく、ただ生産という物中心の観点から脱却して、文化まで共有していく発想が必要になってくる。
そこで、今日は江戸時代、日本人が西洋の文化を吸収する際に、何を考えたのかを、杉田玄白の解体新書の翻訳作業を通して考えてみることにします。
杉田玄白は江戸時代の蘭学医で、漢方医学から西洋医学へと興味を移し、西洋医学を理解するために、解体新書を翻訳した人物です。
彼は書いている。
訳には三種類ある。一つは翻訳であり、もう一つは義訳であり、最後は直訳である。例えばオランダ語で「ベンデレン」は日本語の「骨」に相当する。このときそれを「骨」と訳す。これが翻訳である。またオランダ語に「カラカベン」というのがある。この語の意味は「軟らかい骨」ということである。そこで訳して「軟骨」とする。これが義訳である。またオランダ語に「キリイル」というのがある。これは日本語に相当する語はなく、また意味を取って解釈することもできない。そこでこの場合は「キリイル」とそのまま書く。これが直訳である。
このような基準で玄白は翻訳を行ったようである。
まず簡単なのは、眼、口、鼻、耳など特別に医学の世界だけで使われるものではなく、日常的に使用されているもの。これらは、第一の翻訳で済まされる。
彼が苦心したのは、義訳においてであり、だからこそ、そこに彼の西洋医学への思いもみてとれる。
「神経」という語を一例にとってみると玄白は、「軟骨」と同じようにこの語を義訳により造語している。ここで不思議なのは、オランダ語の「神経」に相当する概念をすでに日本語の中にあった「経路」であてて翻訳しなかったことである。実は、そこに玄白の強い思いがあったようだ。「経路」というのは、漢方医学の言語体系によって汚染された言葉であり、玄白は西洋医学を漢方医学すなわち自身の文化的文脈を通して理解するのを良しとしなかったのである。換言すると、西洋医学を西洋文化の文脈で生のまま日本に取り込みたかったのである。
玄白にとって翻訳とは、文化の融合に対する自身の思想なしには、成立しない行為だったのではないか。
われわれは、自身の文化を強く意識して日常を送ることはない。だからこそ、文化を共生して生きていく時代には、自身の文化を相対化させ、生のまま取り込むのか、自国流に手を加えて取り込むのかを考えなければならないと思う。