春惜しむ老ゆるといふことままならず ボブ・ディランのブロウィン・イン・ザ・ウインド春逝くか 春惜しむことなき主宰の俳句下手 元赤軍派議長塩見孝也春惜しむ(写真) 春惜しむ労働者階級死語となり 俳句の師いるはずもなく春惜しむ 七十五歳の山本寛斎春惜しむ 主人公はあくまで私春惜しむ 春惜しむ願えば必ず実現す(かつてのナポレオン・ヒル) 春惜しむ芭蕉のたどりし道辿る 九条改正あるはずもなく春惜しむ(安倍首相が国会発議の意向) 五体不満足の作者に遭遇春惜しむ 春惜しむ天才棋士は十四歳 春惜しむ豊洲移転は無理なのか 兼題は「明日を占う」春惜しむ 月山の頂上に立ち春惜しむ 智積院のコンニャク定食春惜しむ 壁越しにWE ARE THE WORLD春惜しむ(隣人はニート青年)
最近、元赤軍派議長の塩見孝也さん(76)の現在の姿をYOU TUBEで見た。この人が70年安保闘争のひのき舞台で暴れまくっていた時、私はまだ九州の片田舎にいた。彼らの思想や行動は新聞の紙面で知っていた。満を持して上京した時には、彼らの姿はもはやどこにも無かった。私たちは、彼ら70年安保世代のいない【1970年代】を孤絶して生きてゆかざるを得なかった。そして、1980年代・・90年代、そして21世紀の00年代とまるで流浪の民のように流されていった。2017年のいま、塩見孝也と言っても私たち70年代世代にとってさえ、すでにほど遠い存在でしかない。その塩見さんが、何故いまSNS上で目立とうとしているのだろうか?60年代と70年代の決定的な違いを超えて、少し考えてみた。80年代以降、ポスト戦後俳句の先頭に立った俳人たちもこの70年安保(60年代)世代だからだ。・・・《続く》
母の日の母の不在を訝しむ(5月14日) 母の日や母を送りし日の迫る 母の日に母になりきる妻も無し 母の日や大正に生まれ昭和に死す 母の日や母さんのうた口ずさむ 母の日の母岸壁を去りしとき 母の日の捨てるを知らぬゴミ屋敷 母の日や仕事は辞めたと母来る 母の日の位牌の他は何も無し シングルマザー母の日最も光ます 母の日の誰彼となく掌を合はす 母の日や戦争はもうこれっきり 母の日のシュークリームひとりで喰い尽す 母の日の母の無き子を愛しめり 母の日の母と母とが生き映し 母の日や母はこの世のものと知る
私が最初に俳句に入門したのは38年前のことで、まだ20歳代半ばのことだった。それまでに現代詩や短歌、歌詞などに関心を持ち続けていたので、あまり違和感は無かった。そして、現代俳句の世界にも当然ながら70年安保世代が確実に存在した。俳句とは俳句批判の《場》であり、俳句を批判することで古い自分自身を否定し、俳句形式を新しい自分の拠り所とすることを彼らは目指していた。彼らとは【団塊の世代】と呼ばれたが、彼らの2世である【団塊ジュニア】が現代の俳句の世界で頭角を現し始めている。その一人に「火星」他同人の涼野海音さんがいる。彼について知っていることは、年齢が35歳であることから逆算して、両親は紛れもない【団塊の世代】であることである。そして、彼は俳句形式を批判することも、親の世代が年金生活に入るのを待っていたかのようにデジタル・カメラを首から提げて、暇にまかせて写真俳句に耽溺することもしない。・・・《続く》
病むこともできず五月の闇の中 地球儀の外れて五月の闇の底 五月病快癒の報せいまもなし 五月闇われに老いなど来るものか 昏れてゆくいつか来た道五月の炎 方哉とまではゆかぬが聖五月 万歩計無用の長物聖五月 聖五月カラオケバトル決着す(世界的バリトン歌手) サブカルチャーとしての俳句聖五月 慰安婦像また一つ増え聖五月 懐かしきジャンパースカート聖五月 退位後は太上天皇聖五月 東京ハリストス復活教会聖五月 聖五月シークレットシューズ履きし過去 母子像の贋作あまた聖五月 復活後またも昇天聖五月 難産の果ての光明聖五月 育児拒否似て非なるもの聖五月