私の上京10年の区切りとなった1980年代の始まりは、俳句と共に始まった。坪内稔典氏の【俳句とはこの後どう書くか】の言と、俳句以前の私自身の【この後どう生きるか】が見事に一致したのである。私の70年代、とくにその後半は全くの【空虚】であった。真っ暗闇という言葉があるが文字通り、何も無かったのだ。そのことにめげずに【フリージャズ】や【ニューミュージック】【歌謡曲】の世俗とは一定の距離を置いた《表層文化》つまり今日のサブカルチャーの本質論【軽いが重くて深い】に聞き耳を立て、何とか突破口を開こうとあがいた。あがき抜いていた。しかし、全ての努力は何度も空を切り、無に帰した。そんな時に、私が後に続こうとした70年安保(団塊)世代の一群が【俳句】の現代化に挑んでいた。まだ、闘いは終っていなかったのだ。ただその闘いは、70年安保当時のイデオロギーに凝り固まった《展望》などといったものの欠片も無い、ちっぽけな消耗戦でしかなかった。彼らの闘いとは、何とあの受験国語の必須項目(アイテム)であった【芭蕉】の俳句を、現代において蘇生しようということであった。芭蕉とは、たしか江戸時代に、当時辺境であった東北を《何のあても無くさまよい歩く》というやつである。その起点は日本文化の中心地であった《江戸》であったが、そこでも俳諧・発句という大よそ《得体の知れないもの》をこねくり回していた・・というアレであった。その俳句・俳諧を、何故・どのようにして現代の私たちの足下で再生するというのだろうか。すべてが謎であった。・・・《続く》
従来の同記事シリーズの(6)の内容に著しい誤りがありました。ここに訂正します。松尾芭蕉は伊賀藤堂藩の下級士族の出身です。「奥の細道」の旅に、江戸から同行した曾良は幕府隠密(諜報員)だったことは定説になっています。幕府や各藩、商家などにとって各種旅人や薬売りなどは貴重な情報源となっており、彼らのスポンサーとなっていたのも事実です。また当時、各藩で階級の上下に関わらず【連歌俳諧】は和歌と並んで必須の嗜みで、在江戸の各藩の武家に弟子を多く持っていたようです。奥州への出立に当たっても、千住宿での2日間に多くの大名や有力商人などの饗応を受けていたようです。芭蕉は表向きの諜報活動の傍ら、みちのくの歌枕の地を訪づれ、独自の発句形式による新たな詩表現のかたちを追及したものと思われます。いずれにしても、芭蕉にとって奥羽各地への旅は、まさしく【非日常】を渡り歩く《漂泊》の行為であったはずです。その行き着くところが辞世の句とされる境地であったのでしょう。・・・《続く》
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉
昨日、所属している俳句結社の終刊号が到着した。一昨年いっぱいで編集長が辞め、昨春にやっと決まった後任が今年の新年号までで辞めた。以後、隔月刊とすることで何とか持たせるとの方針が誌上で発表された矢先、今度の2・3月合併号で、早速終刊となった。さらに、新誌名で再スタートするとの主宰の宣言も掲載されたが、当の終刊号には投句用紙が付されておらず、新しい結社誌への継続方法(同人費・投句)が書かれていなかった。完全に終ると言い難く、あいまいなかたちを取ったのではなかろうか。いずれにしても、新雑誌が送られて来るなり、追加の文書ででも伝えられない限り、こちらからは如何ともし難い。ところで、同日に首都圏のM誌の見本誌と会費の振込用紙が届いた。同人資格の継承は予想通り却下されたが、一会員(投句者)からまた始めるかどうか決めかねている。同人・会員合わせて200名位で、内会員は70名ほどであろうか。7句投句して3~7句選となる。隔月刊なので、同人昇格(2段階に分かれ、共に自選7句)までに何年かかるかしれない。事務方の女性同人からは、一度句会に来て下さいとあった。同じ首都圏とはいえ、都内ではない。交通費・時間・労力の全ての点でまず無理である。とりあえず、1年間(6回)投句してみて新味を探ってみることにしたい。見込みが無ければ捨てれば済む。もう1誌同人になっておいてよかったとつくづく思う。こちらも隔月刊の上、句会出席はとてもじゃないが無理だ。いずれにしても、今後は完全マイペースの句作と評論の準備に集中したい。目標は2度目の俳句大賞に絞りたい。・・・《続く》
深秋のクレーンこの世を吊り上げる まほろば 結社誌終刊号(主宰最終選)より
日本初の俳句結社誌「ホトトギス」
いま若者たちの間に【昭和歌謡】が大ブームだという。それもそのはず、ここにある《肉声》の確かさは、今では老若男女を問わず完膚無きまでに喪われている。私たち1960年代に幼少期を送り、70年代に都市文化の中でPOP音楽の萌芽を身を持って体験した者には、現代の若者たちの《歌》への衝迫感が痛いほど伝わって来る。ラジオの深夜放送や音楽情報誌などから敏感にいまを生きていることの喜びを得る方法を感じ取り、街のレコード店でその正体を探る時の胸の高鳴りは21世紀の現在も忘れられない。生きていることの実感が希薄なネットを通した【音楽配信】によっては生まれない《感動》がここには満ち溢れている。せめてその手触りだけでも彼らに伝わればいいのだが・・。
ぎりぎりの傘のかたちや折れに折れ 北大路翼 話題のベストセラー句集『天使の涎』より