まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【東方の大国】私たちは誰か・・日本天皇は古代満州王朝の嫡流!中国=唐も一目置いた理由/ふるさとニッポン*起源編

2021-02-19 03:34:13 | ふるさとニッポン
縄文から弥生に日本列島の民族構成が転換される中で、邪馬台(ヤマト)国(239年に卑弥呼が魏に朝貢)に象徴される【倭】と称される東方の大国が形成されていった。3世紀のことである。その後、謎の世紀とされる【空白の4世紀】を経て日本国家の出発として大和朝廷【大王】が現近畿地方~北九州に確立された。その記録として4世紀末(391年)に現在の北朝鮮~満州(中国東北地区)の【高句麗】国の史料(好太王碑文)に倭人(朝鮮半島南部~日本列島西部。必ずしも現在の日本ではない)が攻め込んできたが、撃退したと記述がある。その後、倭の五王から6世紀末の聖徳太子の時代である【日出ずる国の天子】を経て、7世紀の大化の改新(645年)による天智・天武の【天皇】が成立し、中国・朝鮮半島(新羅)に対して国号【日本】を名乗った。その天皇は現代の天皇家につながる存在であるが、当時天皇を統率者【スメラミコト】とする日本国はどのように見られていたのだろうか。それによってわが国の起源がおぼろげながらわかってくる。・・・《続く》

CGS超日本史 第5回 大唐帝国から見た東方の大国