獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの講演:大聖人は「血脈」否定論者だった(6)

2023-09-04 01:05:03 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
友岡 雅弥講演(1)(August 24,2006)

読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。

 


■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/1994(平成6)年
■会合名/不明

 「大聖人は「血脈」否定論者だった」


(つづきです)

天台宗に戻りますが、伝教大師は立派でしたが、その三代後の「慈覚」、五代後の「智証」でおかしくなった。
すぐ近くに京都があったからなんです。
伝教は、京都の公家・貴族を折伏するために京都の近くに比叡山を作ったんですよ。
せやけども、慈覚達がおかしくなったのは、貴族をお友達にしちゃったんですよ。
対話にも、折伏の対話もあるし、単に迎合するだけの対話もある。

貴族とお友達になったら、貴族は「十界互具」こんなんけしからんと思ってますわ。
『我々の心にも仏界があるけど、なんで百姓にも仏界があるんや。
わしらだけ特別やぞ。』と思うてるでしょ。
で慈覚・智証は十界互具を引っ込めた。
伝教が血脈という言葉を使うてたのを、利用してそのまま真言宗の血脈を取り入れてしまうんです。
『伝教大師も血脈ゆうてるやないかいっ』って、でも全然違う意味で使ってたのに。
真言の血脈をそのまま入れちゃって、それで天台宗は真言宗になっちゃったんですよ。

それが大聖人の時代の直前でした。
大聖人は、そういう真言宗になった比叡山の坊さんだった「最蓮房」に対して、「生死一大事血脈抄」をばーんと送ったんですよ。
あのどこに「一人から一人への血脈」なんて書いています? 
あれ生死一大事の血脈ですよ、一番大事な血脈をあそこに書いてあるていうんです。

実は、この問題が起こるまで「生死一大事血脈抄」の「血脈」て書いてある部分を創価学会は学んではならなかったんですよ。
んで先生がやったんですよ、13年前に、意を決して、自分だけ責任をとろ思うて。
ほんだらやっぱり怒られました。
それで、御自身で責任とったんでした。

「生死一大事血脈抄」講義を戸田講堂でやりましたね、それが前回の発端ですわ。
そこには「一人から一人への血脈」なんて書いてませんよ。
何が「法主から法主への血脈」やて言うんですね。

この最蓮房は、真言宗になり果てた天台宗に育ったから、大聖人が、
『俺の血脈相承とはどんなもんか、ゆったろかー』と言ったんです。
それは、
『過去の生死・現在の生死。未来の生死、三世の生死に渡りて南無妙法蓮華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは言うなり』と言うんです。
法主から法主じゃなくて、自分から自分なんです。
昔も立派な信心してたから、今もがんばらなあかん、未来もがんばろう。
この純真な信心が法華の「血脈相承」と言うんです。

それから、
『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏になる血脈を継がしめんとする』、
日本国の一切にですよ。
唯授一人じゃないんです、唯授全員ですわ。
唯授一人ということは、不思議な境涯を一人にしか譲らんていうことでしょ。
ということは一人しか成仏させへんていうことですよ。
それで『信ある人間はそれに直結する』信心だって言うんですね。
それでも奴らは『血脈相承やて書いてある』と言う。
書いてあるけど書いてないんですね。
一事が万事です。

(つづく)


解説
「生死一大事血脈抄」講義の話。
日蓮正宗の信徒ではありますが、私にもすんなり理解できます。


獅子風蓮



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