獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対華21箇条要求について その3)

2024-03-25 01:48:26 | 中国・アジア

「21ヵ条要求問題」についてです。

いやあ、ずいぶん昔に日本史の授業で習いましたね。
第一次世界大戦がヨーロッパで繰り広げられているときに、日英同盟を口実にドイツに宣戦布告して、ちゃっかりドイツの利権を奪ったという火事場泥棒のような行為。
でも、最近まで知りませんでしたが、元老山県は、意外にもこの21ヵ条の要求には反対だったとのことです。
週刊ポストでの連載「逆説の日本史」で、井沢元彦さんがそんなことを書いていましたね。

d-マガジンで読みました。
かいつまんで、引用します。


週刊ポスト2024年3月22日号

逆説の日本史
井沢元彦
第 1411 回
近現代編 第十三話
大日本帝国の確立Ⅷ
常任理事国・大日本帝国その⑦

強圧的な対華21箇条要求に
関し生じる「二つの重大な疑問」

本人をいまも呪縛する、「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」という信仰。
現在、日本全土が北朝鮮のミサイルの射程に入り、一方でロシアのウクライナ侵略戦争が続いているのに、いまだに「平和憲法を護れ(憲法第九条を変えるな)」と叫ぶ人々がいるのを見ても、その信仰がいかに日本人の心を呪縛しているかわかるだろう。
ウクライナのゼレンスキー大統領は、いやウクライナ国民はいまNATO(北大西洋条約機構)加盟を切望している。アメリカを中心とした強力な軍事同盟に入っておけば、ロシアもウクライナに手が出せないからだ。こういうことを抑止力という。抑止力こそ、現実にはあらゆる理想を超えて国を守り世界平和を守る、もっとも有力な武器だ。
ところが日本はまるで逆で、かつて日米安保条約に反対した人々が憲法改正にも反対している。なぜそうなるかは前回詳しく説明したので繰り返さないが、こういう人々には自分たちがやっていることは「東條英機と同じ」だということに早く気がついてほしい。戦前はいまとまったく逆で、「袁世凱政権と妥協して日中平和をめざそう」などと言えば、現在の「改憲論者」が護憲論者から浴びせられるような悪口雑言を浴びた。「まったく逆」と言ってもそう見えるのは表面上だけで、じつは同じ信仰に基づくものであることはおわかりだろう。それが、論理的にものを考えるということである。そして戦前の日中友好論者にもっとも罵声を浴びせたのは、陸軍であった。なぜなら「十万の英霊」には海軍軍人もいないわけではないが、大多数は陸軍軍人だからだ。陸軍にとって「膠州湾を無償で中国に返還し、友好の道を探れ」などという意見は「極悪人の発想」になる。始末の悪いことに、陸軍には新聞という大応援団がいた。朝日新聞が典型的で、戦前の「満洲は日本の生命線だ。どんな犠牲を払っても絶対に手放すべきではない」という姿勢と、戦後の「なにがなんでも平和憲法を護るべきだ」という主張は「まったく逆」のように見えるが、じつは「まったく同じ」である。要するに、朝日は「宗教新聞」なのだ。本当の新聞ならば真実を報道するのが使命だが、宗教というものは「教え」にとって都合の悪いことは無視する。だから朝日は、「中国の文化大革命は素晴らしい」「北朝鮮は平和国家でミサイルなど造っていない」と言い続けた。この点は毎日新聞も同じで、日本はポーツマス条約締結直後の日比谷焼打事件で正しい報道をしていた國民新聞が崩壊させられた後、基本的に新聞はすべて「宗教新聞」になってしまった。要するに、「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」という「宗教」の「機関紙」だ。だから袁世凱軍が日本人を虐殺した南京事件が起こったとき、毎日新聞(当時は東京日日新聞)は「日本はドイツ人宣教師殺害事件のときのドイツを見習うべき」などという「火事場泥棒のススメ」を紙面でおおいに煽り、結果的にその影響を受けたとしか考えられない右翼青年によって、日中問題をできるだけ穏健に扱おうとしていた外務官僚阿部守太郎は暗殺されてしまった。この事件は最近年表にもあまり載っていないが、じつに重大な事件である。
要するに、これ以後日中問題を穏健に扱おうとした人間の脳裏には、必ずこの事件が浮かんだだろうということだ。もっとわかりやすく言えば、暗殺への恐怖である。じつは、いま分析している「対華21箇条要求」の主役加藤高明の心の奥底にもそれがあった、と私は考える。あまり陸軍の意向を無視して強硬路線を批判すれば、「暗殺されるかもしれない」という恐怖である。そういうことを言うと、すぐ歴史学者の先生方は「加藤が暗殺を恐れていたという史料は無い」などと言う。史料絶対主義者の「史料が無ければそれに伴う事実も無い」という杓子定規の結論である。まるで人間というものがわかっていない。加藤は政治家であり、のちに総理大臣にまで上り詰めた人物だ。そういう人間は、公式でもプライベートでも絶対に「暗殺が怖い」などとは口にできない。そんなことをしたら、政治家としての評価が一気に下がるからだ。つまり、後世にそうした「恐怖」の証拠を絶対に残してはいけないので、そうした政治家の心情を理解せずに歴史の分析などできるはずも無い。要するに、この時代多くの日本人は「暗殺怖さ」つまり「陸軍怖さ」に陸軍と対立することをやめてしまった、ということだ。この「暗殺への恐怖」に注目しなければ、結局「加藤が最終的に陸軍の意向を徹底的に尊重したことは合理的に説明できない」などという結論になってしまう。
では、まったく暗殺を恐れなかった政治家はいなかったのかと言えば、少なくとも一人はいた。犬養毅である。犬養は当初から「火事場泥棒のようなマネはやめるべきだ」と言い続けた。その結果どうなったか、だ。ご存じだろう。五・一五事件で犬養は暗殺されてしまった。直接暗殺したのは陸軍では無く海軍の軍人だったが、そのとき犬養は現役の首相だった。警察は現役の首相の暗殺を防ぐことができなかった。しかも、本来軍人が武器を用いて首相を暗殺すればどこの国でも死刑が原則だが、新聞のキャンペーンもあって助命嘆願運動が起こり、犯人たちは一人も死刑にならなかったことはすでに述べたとおりだ。これで日本人は、軍(とくに陸軍)の意向には逆らうべきではない、とさらに思い込むようになった。
それにしても、対華21箇条要求はあまりにも強硬で日本の国際的評判を大きく下落させるものであることは、当初から予想されていた。では、そうした常識にのっとり、もっと融和的な外交政策を進めるべきだと考えていた人間は、当時日本の中枢には一人もいなかったのかと言えば、確実に一人はいた。その名をクイズにすれば、この時代の専門家ならともかく、おそらくほとんどの人間が正解にたどり着けないだろう。その人物とは、「陸軍の法王」 元老山県有朋であった。

(つづく)

 


解説
日本人をいまも呪縛する、「犠牲者の死を絶対に無駄にしてはならない」という信仰。

ここの理解が、とても重要です。


陸軍にとって「膠州湾を無償で中国に返還し、友好の道を探れ」などという意見は「極悪人の発想」になる。始末の悪いことに、陸軍には新聞という大応援団がいた。朝日新聞が典型的で、戦前の「満洲は日本の生命線だ。どんな犠牲を払っても絶対に手放すべきではない」という姿勢と、戦後の「なにがなんでも平和憲法を護るべきだ」という主張は「まったく逆」のように見えるが、じつは「まったく同じ」である。要するに、朝日は「宗教新聞」なのだ。

ここも重要です。


獅子風蓮