獅子風蓮のつぶやきブログ

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増田弘『石橋湛山』を読む。(その10)

2024-03-21 01:07:13 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想には、私も賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

そこで、石橋湛山の人生と思想について、私なりの視点から調べてみました。

まずは、定番というべきこの本から。

増田弘『石橋湛山』(中公新書、1995.05)

目次)
□はじめに
□第1章 幼年・少年・青年期
■第2章 リベラリズムの高揚
□第3章 中国革命の躍動
□第4章 暗黒の時代
□第5章 日本再建の方途
□第6章 政権の中枢へ
□第7章 世界平和の実現を目指して
□おわりに


第2章 リベラリズムの高揚
□1)文芸・思想・社会批評... 『東洋時論』(1)
□2)政治・外交批評...『東洋時論』(2)
□3)日米移民問題...我れに移民の要無し
■4)第一次世界大戦参戦問題... 青島は断じて領有すべからず
□5)21ヵ条要求問題...干渉好きの日本人
□6)シベリア出兵問題... 過激派(ボルシェビキ)を援助せよ
□7)パリ講和問題... 袋叩きの日本
□8)普選運動・護憲運動... 不良内閣を打倒せよ
□9)早稲田大学騒動


4)第一次世界大戦参戦問題... 青島は断じて領有すべからず
日米関係が移民問題で紛糾した翌年の1914年(大正3)7月下旬、第一次世界大戦が勃発した。その際、元老井上馨がわが国運発展のための「天佑」であると評したことは広く知られている。結局大隈内閣の加藤高明外相は、「日英同盟の誼み」を論拠として、日本がドイツと開戦する方向へ導いていく。ただし日本政府の基本目的は、ドイツ軍艦への攻撃やドイツの青島要塞への攻略に限定せず、極東・太平洋方面におけるドイツ勢力を根底から一掃することにあり、その政治的空白を日本自身が埋めることにあった。
日本の言論界の大半は、政府の強硬方針を支持した。たとえば、大戦勃発時に対英同盟の義務履行のために日本が決起するよう促した『東京朝日新聞』は、日本政府がドイツに対して最後通牒を発した際、これを「公明正大の心事」であるとし、ドイツが20年前に三国干渉を行なった事実に照らして「自業自得」と認めたばかりでなく、将来に備えて中国に対し「相当の注文を発する」べきであると主張した。この種の開戦論が渦巻く中で、『読売新聞』と『新報』は例外的存在であった。とくに『新報』は『読売新聞』よりも、官民一体となった対外進出気運を終始厳しく批判した点で異彩を放った。それら一連の社説の執筆者が湛山であった。
まず湛山は、日本の参戦の可能性が世上で噂されると、8月15日号社説「好戦的態度を警(いまし)む」(『全集①』)で、日本の軍事行動は「如何なる点より考察するも、決して我が国に利益ある事柄にはあらず」と断言し、戦争状態を欧州に限定させ、東洋では一切交戦させないことだと主張した。しかしそれが困難であるならば、交戦区域および時間を制限し、東洋での「紛糾」を極小にすべきであり、その場合、日本は日英同盟に準拠して平和的行動に撤すべきである。もしわが軍が東洋の独墺の拠点を攻略するとすれば、それは日本の責任と義務の範囲を超えたものとなり、わが国家の存立を危険に投ずる大事件となる。のみならず、経済貿易上わが国に不利益をもたらすことになる。それゆえ、わが国はこの機会を逃さず、東洋での利権獲得に努めるべきとの議論はまったく根拠がなく、「我が国民と政府とは、苟(かりそ)めにも斯かる言議に迷さるることなく、飽まで平和の愛好者として、此の時局に処せんことを切望して巳まず」と結んだ。
以上のような湛山の見解の根底には、「戦争は愚にして無益なる」との戦争観があった。すなわち、「戦争は総ての場合に於いて利益を生む者にあらず。然るに之れに費す処は巨額の軍資と生霊とあるのみならず、更に世界の信用制度を破壊し、自国民の生活をも、他国民の生活とも困難に陥るること、現に欧州の戦乱が我が国に及ぼせる影響に依っても知るを得べし」(8月25日号社説「戦争は止む時無き乎(か)」『全集①』)。つまり、エンゼル (Norman Angell) が指摘するよう に、「現代の社会は分業の進歩と交通の発達とに基いて起った信用制度及び商業的契約の上に築かれたものである。されば戦争に依って、此の信用制度及び商業的契約を破壊することは、ただに戦敗国に苦痛を与うるに止らず、戦勝国も亦戦敗国と同様なる損害を蒙り、何等の利益を得る余地もない、然るに今以って戦争の止み難いのは、此の理を覚らず、戦争は矢張勝者に利益を齎(もたら)すものと幻想せるが故である」(「戦争謳歌論を排す」『早稲田文学』1月号『全集①』)。

湛山が提起した参戦反対論には、このようなヒューマニズムと経済的合理主義と独自の文明史観に基づく戦争否定の思想があったのである。
しかし日本は参戦し、ドイツの拠点である山東省青島と南洋諸島をたちまち攻略し、11月初旬、ドイツ軍の降伏により日独戦争は実質的に終結した。大半のジャーナリズムはこの事態を歓迎し、日本がドイツ利権を獲得することを当然視したが、またもや『新報』の湛山は、11月15日号社説「青島は断じて領有すべからず」(『全集①』)で、次のような反対論を掲げた。
「亜細亜大陸に領土を拡張すべからず、満州も宜く早きにおよんでこれを放棄すべし……。更に新たに支那山東省の一角に領土を獲得する如きは、害悪に害悪を重ね、危険に危険を加うるもの、断じて反対せざるを得ざる所なり」。
なぜなら、日本は従来より「支那」に領土的野心があるとみられて、「支那人」ばかりか米国人、英国人にも危険視されている。今もし山東からドイツを駆逐すれば、それだけでも日本の満州割拠は目立つのに、さらに青島を根拠として山東方面に領土的経営を行えば、「支那」に対するわが国の侵入は明白となり、世界列強を「聳動(しょうどう・動揺)」させる。
では日本は今後どうすべきか。湛山は11月25日号社説「重て青島領有の不可を論ず」(『全集①』)で、まずできる限り急速に「支那の富源」を開発し、その経済上の発達を計るよう提唱した。もしそれが実現すれば、わが「対支貿易」はさらに増進され、これに刺されて、わが商工業は目覚ましい隆興を来たすこと必定であるからである。ただし、そのためには「支那の全土を挙げて、機会均等主義の下に、列強に開放し、欧米先進国民の、無限の資本と、優秀なる企業力を、最大限に、支那に流注せしめ、活動せしむる」ことであり、「排他的行為は、我が日本は申すに及ばず、他の外国にも、断じて行わしむべからず。……青島の永久占領は、支那に、真に我が経済的発展の立場を作る所以にあらずして、却って之れを破壊する愚策なり。断じて行うべからず」と強調した。

要するに湛山は、中国における門戸開放原則と不干渉主義(民族自決主義)に立脚した経済合理主義の実施を日本政府に対して強く求めたのである。いいかえれば、帝国主義政策による利権の拡大はもはや時勢に合致しないと説いたのである。この観点からすれば、日本がドイツと開戦し、ドイツを中国山東方面から駆逐し、ドイツに取って代わることは、「我が外交第一着の失敗」(前掲社説「青島は断じて領有すべからず」) と論断せざるをえなかった。

 


解説
湛山は、中国における門戸開放原則と不干渉主義(民族自決主義)に立脚した経済合理主義の実施を日本政府に対して強く求めたのである。いいかえれば、帝国主義政策による利権の拡大はもはや時勢に合致しないと説いたのである。

現代から見ると湛山のリベラルな主張は当然すぎるほど当然のものです。
しかし、帝国主義が主流であった当時の日本の政治状況の中で、こう言い切る、湛山の度胸と勇気には恐れ入ります。

獅子風蓮