獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ガーシー(東谷義和)『死なばもろとも』(4)

2023-11-17 01:51:50 | ガーシー

ガーシーには嫌悪感が先に立つほどだった私ですが、ガーシーのおかげで救われたという人もいたのですね。
また彼は家族思いで、母や妹には今でも慕われているようです。
ガーシーについて、好奇心がわきました。
ガーシーはどのように育ったのでしょうか。
彼なりの正義とはいったいどういうものなのでしょうか。

そこで、ガーシーの自伝的な本があるというので読んでみました。

ガーシー(東谷義和)『死なばもろとも』(幻冬舎、2022.07)

かいつまんで読んでみたいと思います。

(目次)
□序章 ジョーカー誕生
□第1章 逃亡者
■第2章 しゃべりだけで成り上がる
□第3章 芸能界への扉
□第4章 アテンダーという裏稼業
□第5章 酒と女とカネと反社
□第6章 死なばもろとも
□第7章 社会の不満が生んだ怪物

 

第2章 しゃべりだけで成り上がる
□朝鮮学校の在日コリアンと襲撃合戦・リアル『パッチギ!』ワールド
□走り屋をやっていたリアル『ナニワトモアレ』
□イベントサークルで入学したての女子大生とヤリまくる
□入社3日目に車を3台売ったらブチギレた上司
■中古車のブローカーとイベント業・二足のわらじで独立
■阪神・淡路大震災によって到来した中古車市場バブル
□中古車販売で儲けたカネを裏カジノで2億円熔かす
□十三の「ヌッキーマウス」から
□西淀川警察署での手打ち式
□ヤクザになるかアナウンサーになるか
□ロンブー田村淳との初めての出会い

 


中古車のブローカーとイベント業 
二足のわらじで独立

会社を辞めた俺は、大学時代に一番仲良くしていた友だちに速攻で電話をかけた。 「俺、今会社辞めたところなんや。サラリーマンなんて絶対向いてへん。お前もそう思うやろ。会社なんて辞めて一緒に働かんか?」
そいつも俺と同じく、新入社員なんてオモロないと思っていたらしい。
「よっしゃ。俺も辞めるわ」
そいつも会社に辞表を叩きつけた。善は急げや。こういうときはスピードが大事なんや。すぐに大学のゼミの小松先生のところへ2人で出かけた。
「先生、俺ら2人とも雇われのサラリーマンには向いてないことがわかったんですわ。俺らは自分で商売を始めたいんです。せやからカネを貸してくれませんか」
すると先生は100万円をいきなりボンと出してくれた。しかも「何でも挑戦してみい」と背中を押してくれる。
この100万円を元手に、俺らは「マーベラストーキョー」というイベント会社を作った。右も左もわからん中、電通だの博報堂だの、何やよくわからん会社に飛びこみで営業をかけまくった。
大学を出たてのペーペーが2人飛びこみ営業したところで、相手にされるわけがない。最初は鳴かず飛ばずやった。
「こんな調子じゃ先生が出してくれた100万円があっという間に底をついてまう。ヤバイな」
イベント会社の仕事がいきなりうまくいかないのなら、とりあえず車でも売ってみるか。なにしろ、新入社員がいきなり3台も新車を売ったんや。とりあえずこっちで行ってみよか。
とはいえ、「カーセンサー」や「Goo」みたいな車雑誌に広告を載せるカネはない。オークションで車を仕入れるための資金もなかった。カネがない俺らが、どうすれば車を売れるのか。そうだ。学生や。サークルでの経験を生かすんや。
17歳のころの俺は、早く18歳になって車の運転免許を取りたくてしゃあなかった。親に頼みこんででも、誰かから借金をしてでも運転免許の教習所に通い、ボロ車でもいいからマイカーがほしかった。今の学生もきっと同じに決まってる。連中を客として車を売ろう。そう思いついたんや。
車をエサにヤリサーの延長で学生相手にイベントを打ってしまえばええ。どうやって二つのビジネスを同時進行させたかって?
マハラジャ六本木みたいなナイトクラブを借り切って、学生を集めてパーティを開く。ビンゴ大会の景品の1等賞は車や。ボロ車や事故車は修理代や車検代がかかるから、タダ同然でもらえた。その車を景品にして客を集めるんや。パーティの登録料だけもらえたら損はしない。
安く車を買いたい学生なんていくらでもおる。車がタダでもらえるパーティということで大人気になって、その周りの学生にも「車もってたら女の子にモテるで」「マイカーでデートに誘ったらイチコロやで」とかナントカ営業トークをかまして売りさばいた。


阪神・淡路大震災によって到来した
中古車市場バブル
当時はオークション代行業がなく、中古車のオークション会場にはちゃんとしたディーラーでなければ入れんかった。そこで俺は仲が良かった車屋の先輩からオークション業者の免許証を借りて、その人に成りすましてオークション会場に入りこんで車を仕入れた。

中古車の営業がすこし軌道に乗りかけたころ、事件が起きた。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災や。
「もうアカン。この騒ぎじゃ車を売るどころやない。別の仕事探さなアカンな」
メチャクチャになってしまった街を見て俺はそう思った。
しかし状況は違った。震災によって、激震地の車が大量につぶれて廃車になった。 すると震災直後から車がメチャクチャに売れ始めたんや。
どんなボロボロであろうが、こんなものに乗れるのかいなと不思議に思う事故車であろうが、走行過多であろうが関係ない。仕入れたら仕入れたぶんだけ、文字どおり飛ぶように車が売れた。
「カーセンサー」や「Goo」に広告を載せるそばからバンバン車が売れて、ホンマに 異常なくらい儲かった。なんやこれワケがわからん。俺が23歳のときのことや。
このチャンスを逃すわけにはいかん。もう一回車屋をちゃんとやろ。金融公庫に融資を頼んで資金を準備し、本腰を入れてまともに車屋を始めることにした。
俺はもともと走り屋や。走り屋仕様の特殊な車が売れることはよく知っていた。走り屋はみんな練習用に車を買う。ある程度まっすぐ走ってくれて、モノがきれいであれば、事故車だったり多少問題があったりしてもどうでもええ。
俺は当時、日産のスカイラインGTSターボと、ホンダのシビックが好きやった。 その2種類の車をいっぱい仕入れることにした。全部事故車ばかりや。オークション会場に出かけて事故車を買ってきたあと、どんな事故を起こした車か、入手経路はもちろん客にきちんと説明する。ドリフト走行だの時速150キロの爆走だの、走り屋はムチャをやりたがる。どうせ危険運転でいつか事故るんやから、最初からポンコツでもかまわんわけや。
今やったら詐欺罪でしょっぴかれてまうが、俺は当時「走行不明」という名目で中古車を売りさばいていた。オークション会場に出かけると、業者がメーターを巻いて車を出品する。メーターが1万キロだろうが2万キロだろうが、実際の走行距離は10万キロかもしれんのや。メーターを巻いた事実を伏せて売ると、もろに詐欺になってまう。そこで編み出されたのが「走行不明」という言い方や。
スカイラインGTSターボは、当時は中古車でも100万円超えやった。俺らは「走行不明」の事故車を仕入れて50万円で売りに出した。すると若い子は、メーターを巻いてる事故車だとわかったうえで喜んで買ってくれる。
板金工場でマフラーだの足回りだのオプションでつけて、走り屋のために改造車仕様にしてやった。 幼なじみが板金の技術をもっていたので、俺がカネを出して板金工 場を作った。その板金屋の経営も並行して手がけ、事故車を修理したり改造車を造ったりしたわけや。
当時のアジャスター(保険会社の調査員)はユルユルやった。「六甲で事故しました」「環状線で事故しました」と連絡を入れると、レッカー車で運ばれた車をアジャスターが見に来る。「分損じゃなくて全損扱いにしてくださいよ」と頼みこむと、アジャスターはけっこう簡単に全損扱いにしてくれた。
全損扱いになると、買ったときは50万円の中古車やったのに、保険金が150万円 も降りてくる。走り屋がムチャやって事故ったのに、100万円の黒字や。悪いヤツ は、わざと事故を起こして保険金をせしめていた。
そんな様子を知りつつ、保険金を手にした客に俺らは次の車を売りつけていったわけや。あるときアジャスターのデタラメが表沙汰になって、インチキの全損判定をしてた連中は全員クビになってもうた。せやから今はめっちゃ判定が厳しくなったと思う。古き良き時代の昔話やで。

 

 


解説

サークル時代のトーク力とクルマ屋の経験がいきて、中古車販売で成功したようですね。

そのまま、その商売を続けていれば良かったのに……

 

獅子風蓮