以前、増田のおばあちゃんに関連して、有料サイト「すたぽ」の紹介をしました。
音声記録のみの【友岡講演2】ですが、これがなかなかいいんです。
友岡さんの貴重な、生の声が聴けます。
この講演の最後の方に、おそらくこの増田のおばあちゃんのことを話しているところがあります。
感動します。
というわけで、反訳をこころみましたので、かいつまんで要約をお届けしたいと思います。
Salt84 -【友岡講演2 3/8】 本来の仏教(2021年7月27日投稿)
「友岡講演2」(3)本来の仏教
一人の人間の力には限りがあると言われるが、 いつも困難な時代を拓いてきたのは、一人の小さな革命である。
何者にも負けない、屈しない。
本当の力とはどこから湧き出でてくるのか?
友岡雅弥氏が所属する団体において講演された貴重な音声を8回にわたって連載させて頂きます。
今回は第3回目です。
(文章は適宜要約してあります)
で、もう一つのテーマがありましたね。あの番組には。
本来の仏教には、仏像がないんです。
これもかなりみんなショックみたいで。
これが、ビルマとか日本に入ってきて、仏像を作るようになったっていう話なんですね。
もともとは、本来の仏教には、仏像はなかったんです。
お釈迦様の死ぬ1週間前くらいの遺言が残っているんです。
お釈迦様はね、80歳超えたときに言うんですよ。
__私はただの老人である。
肉は削げ落ち、がりがりだ。
まるで牛に引かれた古い荷車が、ギシギシと音を立てながら進むように、私の関節も音を立てている。
私は普通のおじいさんである、と。
だから弟子たちよ。
私が死んでも、けっして私の姿を像に刻んで拝んではいけない。
仏像を作ったらいけないと。
今、奈良で仏像展をやっています。
……本来、仏教には仏像はなかったんです。
仏教というのは仏さまを拝む宗教ちゃうんです。
仏さまになる宗教なんです。
仏のことをブッダっていいます。
ブッダとはどういう意味か。
ブッダというのは、目覚めた人ということです。
で、仏教では、普通の人生を夢の中に譬えるんです。
夢の中っていうのは、自分がないでしょ。
夢に翻弄されるんですよ。
怖い夢見たら、怖いと思うんですよ。
美しい夢見たら、急に美しいんですよ。
後ろから追いかけられたら、急に追いかけられるんですよ。
そういう風に、夢の中で人間は、夢に翻弄されている。
怖かったら、怖い怖い怖い。
急に楽しい楽しい、楽しい。
急に悲しい悲しい、悲しい。
何かで、これで頑張ろうって、目標立てて、前進して、達成してなんて夢は、まあないです。
夢に翻弄されている。
それと普通の人の人生が同じであると考えるわけです。
普通の人の人生は、自分の外のもの__夢と同じように__お金、お金があったらうれしい、なかったら悲しい。
会社の部長になったらうれしい、傲慢に、リストラにあって悲しい。
若くてピチピチしていて、藤原紀香みたいに……しかし、若いからといって……40,50、60になる。
そうすると、若い時美人だっただけに、それが崩れていくのが悲しい。
最初はソフィーナつけて、次はニュースキンつけて、カバーマークつけて……いろんなことしだすやけど、もうどうしようもない。
それはそれでいいんですよ。
でも、若い時に美貌を自慢していたら、それが悲しくなってしまう。
財産とか地位とかを一切関係なく生きていたら、リストラ遭っても頑張ろうと思う訳ですよ。
それを傲慢にもそう思っているから、リストラ遭ってかなわんのです。
ということで、普通の人間ていうのは、そういうふうに財産とか地位とか美貌とか若さ……いつかは崩れていくかもしれないものに、こだわる。
で、あったらうれしい、なかったら悲しい。
左右されている。自分がない。
そういう状態から目覚めました。起きました。
お金があろうとなかろうと、若かろうが年をとろうが、一切関係なく、自分は自分で自分の道を生きていく。
これをブッダっていうのですよ。
お釈迦様と違う。
ブッダは誰でもなれる。
釈迦はそういうのずっと言ってきてる。
弟子たちもそう。
神様じゃない。
生きて生きて生き抜く人間。
日本の仏教は全部正反対ですから。
死んだ人はみんな仏様。
__おい、八。仏様には罪はないぜ。
ってね。
生きて生きて生き抜く人が仏なんです。
で、そういう人になろうよっていうのが仏教なんです。
仏になろうと思ったら仏を拝んだらダメですよね。
簡単な理屈。
もうそんな人おらへんと思うけど、カネ、カネ、金持ちになりたい。
松下幸之助みたいに金持ちになりたい。
という人が、松下幸之助翁像なんていうのを作ってね、それに向かって朝晩、
__どうか、あなたのような金持ちにしてください。チンチンチン。
♪明るいナショナル、明るいナショナル、チンチン、ラジオ、テレビドンドン
なんて拝んで、松下幸之助みたいになれます?
なれへんでしょ。
安室奈美恵みたいになりたいと。
でも自分、顔大きい。
ソフィーナの顔小さくクリームつけても顔小さくなれない。
安室奈美恵像を作ってね、それに向かって、
__どうかあなたのような、顔の小さい、ダンスの上手い人にしてください。チンチン。
♪Can You Celebrate ? ...
って拝んでいて安室奈美恵になれますかってことですよね。
そんなことなら、沖縄のアクターズスクール受けなさいということですから。
簡単なことです。
あーなろうと思ったら、あーなった結果をなんぼ拝んでもしょうがない。
あーなった原因を、自分でも実践しなければ。
これ非常に簡単な理屈です。
仏になろうと思ったら、仏を拝んだらダメなんですよ。
仏になった実践をしなければならない。
だからお釈迦様は、私を拝むなとはっきり言っているんですよ。
拝んではいけない、言っているんですよ。
私と同じ実践をしなさい。
貧しい人の中に飛び込み、その人たちと泥んこになっていきなさい。
それが仏、なわけです。
しかし釈迦が死んで380、5・60年かな……経ってから、インドのガンダーラっていうところで仏像が作られだした。
しかしこれは美術作品。
それまで何を拝んでいたか。
仏像ちゃうんです。
チャイティアっつって、仏の教えの文字なんですよ。
釈尊の言葉を一部切り抜いたりしてね、それを拝んでいた。
拝めば拝むほど、その通り実践しよう、と。
その方を尊ぼうと。
こうなるんです。
これが本来の仏教なんです。
ぼく、創価学会入る前に、創価学会の本尊見てびっくりしましたね。
日蓮ていう人は凄い人やな。
文字なんですよ。
これ、開けば分かります。
文字なんですよ。
本来の仏教、文字なんですよ。
仏像拝んだらダメなんですよ。
この日蓮、本当に仏教分かってるなって思いましたね。
……それがいつの間にか時代とともに、仏像をおがむ宗教になり果ててしまった。
で、日本ではそれよりひどいです。
【解説】
夢に翻弄されている。
それと普通の人の人生が同じであると考えるわけです。
分かりやすい譬えですね。
あーなろうと思ったら、あーなった結果をなんぼ拝んでもしょうがない。
あーなった原因を、自分でも実践しなければ。
よく分かります。
獅子風蓮